あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんが笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団2代目団長・尾野真千子が、名酒場の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探る――。
■この味を知らずにいたなんて…
浅草寺と合羽橋道具街に挟まれた西浅草、つくばエクスプレス浅草駅至近に立地するどじょう料理の老舗がここ「飯田屋」だ。
「どぜう」と大きく書かれた暖簾をくぐって、2階の座敷を目指すと、すかさず下足番が「お履物はどうぞそのままで」と案内してくれるあたり、いかにも江戸の老舗という風情で、なんとも気持ちがいい。
大広間の窓際に腰を落ち着けた団長の目は、心なしか泳いでいる。
尾野: 実は、どじょう、食べたことがないの。見た目に尻込みしてしまって、ちょっと不安……。いや、何事も経験ですね! まずは一杯やって落ち着きましょう。瓶ビールをお願いします!
やってきたのはキンキンに冷えたサッポロラガービール。通称「赤星」だ。
――今日も赤星を手酌、手酌でいきますよ、いただきます。
尾野: く~っ、おいしい! さて、お料理を注文しましょうね。どぜう鍋、ほねぬき鍋、柳川鍋……うなぎ蒲焼、うなぎもあるの? うなぎ食べたい!……って、いけない、いけない、今日はどじょうを食べに来たのでした。
でも、メニューを見てもチンプンカンプンです。ここは恥ずかしがらずに聞いてみましょう。すみません、どじょう初めてなんです、教えてくださ~い!
「いらっしゃいまし」と現れたのは、「飯田屋」の5代目、若旦那の飯田唯之さん。団長が本日どじょうデビューと聞いて、「おめでとうございます」と若旦那。鍋の定番、どぜう鍋とほねぬき鍋の違いを解説してくれる。
「どぜう鍋は、どじょうが丸のまま、ほねぬき鍋は頭を取って開いてあるというのが一番の違いです。丸のままはちょっと不安という方には、ほねぬき鍋をおすすめしています」
尾野: (間髪入れず)ほねぬきで!
ほねぬき鍋と、初めての人でも食べやすい唐揚げを注文。ほどなくどじょうの唐揚げが到着する。
尾野: うわ、そのまんま、どじょうだぁ、当たり前か。ちょっと怖いけど、いただきます!
……うん、うん、うん、唐揚げは問題ないですね。あ、失礼しました。香ばしくて、非常においしい。(ひと口グビリとやって)これ、ビールが進みます。
そうこうするうちにやってきたほねぬき鍋は、専用の鉄の小鍋に割かれたどじょうが円形に並ぶシンプルなビジュアル。団長の想像とは違っていたようだ。
尾野: ど、どじょうだけなんですね。あ、でも、その下にゴボウのささがきが敷いてあって、大量のきざみネギが付いてきて……。若旦那、食べ方も教えてくださいな。
どじょうはさっと火を入れれば食べられるとのこと。割下がひと煮立ちしたら、どじょうをひっくり返して、ねぎを投入する。ねぎの量はお好みだが、嫌いでなければ一箱すべてこんもりと載せるのがおすすめだと言う。
「ゴボウとネギはどじょうと相性がよく、どじょうの味を引き立ててくれます。もうそろそろよさそうですね、召し上がってみてください。
丸鍋のどじょうは骨が柔らかくなるまで下ゆでしますが、ほねぬきの方は生なので、初めにどじょう本来の香りがふわっと立って、その後に味わいがやってきます。そう怖がらずに、絶対に大丈夫ですから、さ、どうぞ、どうぞ」
尾野: 今年で36歳になりますワタクシ、オノマチ、いま、初めてのどじょうをいただきます……。えいっ!
……ん、あれ? 大丈夫だ。というか、おいしい! なんて表現したらいいんだろ、うなぎとも違うし、いわゆる川魚って感じでもなくて、これがどじょうの味なのか。泥臭さはまったくないし、なんだ、めっちゃ、おいしいじゃないですか。
いままでこの味を知らなくて損した気分です。
■どじょうの味を引き立てる名脇役
「うちのどじょうは秋田県産でして、生きたまま輸送して店の裏の井戸水で管理しています。泥はすっかり吐いていますし、鍋にする直前にさばきますから新鮮そのもの。どじょう本来の味を楽しんでいただけると思います。
お好みで山椒、七色(なないろ)をかけて召し上がってください。風味が変わって、より一層美味しくいただけると思います」
尾野: 山椒大好き。山椒をかけると……ほう、風味が爽やかになって、これまたいいですね。七色というのは、七味のことですか?
「ええ、元々、関西では七味とうがらし、関東では七色とんがらしと言いまして、この辺りでは七色と呼ぶところがまだ多く残っていますね」
尾野: はい、お江戸の豆知識いただきました! ありがとうございます。七色を一振り……ああ、これもいい。そして、(ビールをひと口)また赤星が合うこと。
「そうなんです。私は昔から個人的に赤星が大好きでして、私の代になったら店で出そうと決めていました。炭酸がきつ過ぎず、苦みも程よい。料理の味を邪魔しませんし、飽きずにずっと飲んでいられるビールです。どじょう鍋の甘辛い味にはぴったりだと思っています」
尾野: 赤星の魅力をこんなに思い入れたっぷりに話していただけるなんて、団長冥利に尽きます。
「赤星は140年以上変わらない珍しいビールなんですよね。生ビール全盛のいまでも熱処理しているところがユニークです。それから……」と若旦那。赤星談義に花が咲き、団長の手酌のペースもいい塩梅。
「実は私も今年36歳になります」という若旦那に、「おーー、同級生で若旦那とは、すてき」と団長。話はお店の歴史へと移っていく。
「創業は江戸末期の慶応年間で、約150年前になります。ここはちょうど浅草寺と寛永寺の間に位置していますから参拝客の往来が多く、もともとはそうした参拝客相手に一膳飯屋をやっていました。どじょうは貴重なたんぱく源として庶民にとって身近な食材でして、どじょうを使ったおかずもあったようです。
どじょう専門の店になったのは明治35年になってからです。いまやどじょう専門店は東京にも4軒しか残っていませんで、不思議と浅草界隈に集中していますね。どこも橋のたもとに位置しているのは、どじょうを扱うには常にきれいな水が必要だったから、ということらしいです」
尾野: 昔は田んぼで獲れる庶民の食べ物だったわけですよね。でも今では専門店でいただく特別な料理というイメージがあります。どじょうもだんだん獲れなくなっているんですか?
「はい、年々少なくなって価格も高騰しています。当店では秋田県と組んで、どじょうの生産・流通量を高めようと奮闘中です。お値段も抑える努力をしていまして、うちの看板メニューの一つであるどぜう汁は300円です。この価格は今後も可能な限り守っていきたいと思っています。せっかくですから、ぜひ召し上がってみてください」
尾野: どぜう汁のどじょうは、やはり、丸のまま?(若干遠い目をしてから)はい、いただきましょう! 飯田屋さんの想いの詰まった一杯を。
■一子相伝の割下の味
どぜう汁は白味噌仕立てで、丸のままのどじょうが3匹、ゴボウのささがき、たっぷりのネギが入っている。
尾野: (どじょうを箸でつまんで揺らして)おおー、プルンプルンだ。いただきます!……おっ、おいしい! あれ? ほねぬきより食べやすい気さえします。骨のコリコリもアクセントになっていて、丸のままのほうが好きかも。
「ええ、実は開いてあるものよりも、丸のままのほうが香りが落ち着いているので、食べやすいという方が多いんです。骨もプルプルのコラーゲンも丸ごと召し上がっていただけますから栄養的にも優れています。
昔から、『どじょう1匹、うなぎ1匹』というくらい、うなぎに負けない栄養価があると言われていて、高タンパク低脂肪の健康食として親しまれてきました。実は女性が喜ぶ条件が揃った魚なんですよ」
尾野: やや濃いめの味付けがビールのお供にもぴったり。どじょうは老若男女、すべての人に愛されるべき食材なんだなぁ。尻込みしていた自分に反省。次回は、丸鍋も味わってみたいです。この割下は、やっぱりお店によって個性があるんですよね。
「うちの割下はほどよい甘辛さが特徴です。製法は一子相伝というやつでして、現在4代目だけが知っています。おとっつぁんもある日突然大親父に呼ばれて誰もいないところで伝授されたそうですが、私に声がかかるのは、いつになることやら…。
お客様から末永いご愛顧をいただくためには、この割下のように、変えてはいけないもの、時代に合わせて変えていくべきものの見極めが大切だと思います。割下の伝授は、変わらぬ味をお前なら守っていけるだろうというおとっつぁんの合格の印。早くその日が来るよう精進していきます」
尾野: 同じお店を二回取材するっていうのもアリかも。若旦那が割下を受け継いだ時、確かめに来ます。どぜう鍋で赤星をキュッとやって、このおいしさが変わっていないか私がチェックします。覚悟して精進してくださいね!
――ごちそうさまでした!
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘアメイク:石田あゆみ
スタイリスト:もりやゆり
衣装協力/nooy、Quatorze