あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
下町の天ぷら専門店で一杯
「東京のブルックリン」と呼ばれるエリアをご存知だろうか? 隅田川の左岸、蔵前界隈。町工場や倉庫の古い建物がカフェやショップにリノベーションされ、クリエイターたちが集うようになった。その様子がニューヨークのブルックリンさながらだと、注目の街になっているのだ。
台東区三筋は、都営地下鉄大江戸線の蔵前駅と新御徒町駅のちょうど中間に位置するエリア。かつては鳥越神社の境内だった落ち着いた場所だ。蔵前から歩いてくると、おしゃれでモダンな雰囲気も、だんだん昔ながらの下町といった風情に変わってくる。宮造りの銭湯、三筋湯も地域住民の憩いの場として健在だ。
赤江: 今時めずらしい“ザ・銭湯”ですね。私もひとっ風呂浴びていこうかしら。東京のブルックリンだけに、にゅーよーくなんつって。
さて、ギャグも冴えわたったところで、今夜は何をいただきましょうか。東京の下町に来ると食べたくなるのは江戸前のお鮨、お蕎麦、どじょう鍋、鰻もいいですよね。でも、忘れてならないのが天ぷらですよ。今日は天ぷらで決まり!
「天麩羅みやこし」はそんな三筋に佇む天ぷらの名店だ。
屋号が染め抜かれた暖簾をくぐると、迎えてくれたのは店を切り盛りする宮越昌俊さん・京子さんご夫妻。二人三脚で開業40年になるという。
赤江: わー、奥様、着物がよくお似合いで。ご主人もスラリとダンディ。ナイスカップルでございます。
初見で生意気ですが、カウンターど真ん中の特等席をいただきまして、なにはともあれ、まずは赤星、サッポロラガービールで乾杯とまいりましょう。
――いただきます!
赤江: うーん、おいしーー! 冬場にグビグビっとやる赤星は、乾燥した喉が一気に潤いまして格別です。チャージ完了! 天ぷらをお迎えする準備、整いました。
さてさて、メニュー、メニュー。今日はちゃんとお腹を空かせてきましたから、〆のごはんまでしっかりいただく所存であります。
当店は、店主自ら市場で目利きして魚を仕入れるだけに、お造りも抜群だとか。女将の説明を聞きながら作戦を練った結果、お造りの盛り合わせなどが入るコースをいただくことにする。
そこへ出てきたお通しは、さっとゆがいたゲソ。プリプリの一片をもみじおろしとともにいただくと……
赤江: ん゛―――おいしいよぅ。こちらスミイカのゲソとな。するってえと、スミイカさんの本体の方は天ぷらにお目見えするのでしょう。衣をまとってやってくるのでしょう。こいつはますます楽しみだねえ!
続いて、評判のお造り盛り合わせがやってきた。なんとも真っ当で見目麗しい装いだ。この日は赤貝、ヒラメ、ホタテ、本マグロ、おっ、ここにも出ましたスミイカ本体。
赤江: 天ぷら屋さんでこんなにおいしいお造りをいただけるとは! 本当に新鮮でいいものばかりを仕入れていらっしゃるんですね。
「うちは家賃も従業員の人件費もかからないからね。おかげで材料にお金かられるんですよ。魚は、毎朝豊洲へ行って、いいものを選んで使ってます。お刺身でも旨い。その刺身でも十分に旨いタネを揚げることによって、より風味を凝縮させるのが天ぷらです」(宮腰さん)
赤江: うわー、もう、天ぷらへの期待値もマックスでございます。
「では、ぼちぼち揚げていきますね」
そう言うと、宮腰さんは生きている才巻海老を剥き始めた。気持ちのいい手際のよさであっという間に天ぷらに早替わりだ。
赤江:(熱々をパクりとやって)甘いっ! 海老って甘いんだなあ。火入れの加減も中心は生の絶妙さ。まさにお刺身のおいしさに、天ぷらだから引き出された豊かな風味がプラスされていて、たまりませんなあ。
そして、海老の脚を揚げたものもシャリシャリと香ばしくて絶品。ここに赤星をグッとやりますと、ハイッ、サイッコー!
油にジャバッと入れるのが宮腰流
箸を握って待ち構える赤江団長。揚げたてが紙の上にのせられるやいなや、さっと掴み取り、熱々のまま口へ。天ぷらの正しい食べ方“タッチ&ゴー”に夢中だ。
以下、感想をダイジェストでお届けします。
―キス―
衣はサクッ、中はホクホク。なんとも清らかなお味のお魚さん。
―スミイカ―
モッチリしていて、なんともきめ細やか。イカもこんなに甘いんですねえ。
―穴子―
明石育ちのあたしゃ悪いけど穴子にはちょいとうるさいですゾ。でもあなたは合格! というか首席で卒業!
極上の太白胡麻油と綿実油を独自にブレンドした揚げ油は、ほどよく胡麻油の風味がありながら軽い口当たりの天ぷらに仕上げてくれる。胃もたれ知らずでいくらでも食べられそう。冷えた赤星もたまらない、止まらない。
宮腰さんは、団長の食べるペースを見極めて、絶妙なタイミングでタネをジャバッと油に満たされた鍋へ投入していく。
赤江: 先ほどから見ていると、かなり勢いよく油の中へ放り込むんですね。何か理由があるんですか?
「あ、これね、別に機嫌が悪い訳じゃないですよ。前にお客さんにどうかされましたか?と心配されたこともあったけど(笑)。あえてちょっと多めに衣をつけたタネを勢いよく放り込むんです。それで余分な衣を飛び散らせるの。そうすることでちょうどいい具合に仕上がるんですよ。
人によっていろんなやり方があるとは思うけど、私は修業先で学んだこの方法をずっと続けています。だから、あげ玉がたくさんできるんだけど、これがまた人気でね。持ち帰る常連さんも多いですよ。味噌汁に入れてもいいし、ごはんにのせて醤油をかけてもうまいって」(宮腰さん)
赤江: そうでしょう、そうでしょう。天かすなんて呼ばせません。魔法の粒です。私も持ち帰らせていただきます!
天ぷらは野菜シリーズも続々と。レンコン、ナス、青唐。銀杏、小玉ねぎも追加。もう止まらなくなってきた。
赤江: ところで、ご主人が料理の世界に入られたきっかけは?
パチパチと小気味よい油の音をBGMに宮腰さんの話に耳を傾ける。
宮腰さんは当地で生まれ育った。家業は、かつては三味線のバチや印鑑などに活用されていた象牙の卸売業。この辺には昔は貴金属などの装飾品を作る取引先も多かったそうだ。
三人兄弟の末っ子で、兄二人は大学へ進学したが、勉強が嫌いだった宮腰さんは高校卒業後すぐに社会に出た。就職先は叔父が見つけてきた湯島の老舗天ぷら店だった。
「鮨屋はたくさんありすぎて競争が激しくて大変そうだから、天ぷらがいいと思ったみたいでね。湯島はすぐそこなんですが、住み込みで働きました。先輩が河岸に出かけるための準備も下っ端の仕事だから。そうすると住み込みの方がラクなんです。
そのうち若い女も丁稚で入ってきて、若い男女が一緒にいて間違いが起こるといけないからって、3年経ったら全員住み込みから通いに切り替わったね。ありゃ、私の知らないところで間違いがあったのかもしれない(笑)」(宮腰さん)
赤江: 20歳前後の若者たちが1軒の家に寝泊まりしてたら、そりゃ何か起きますよ。
「天ぷら屋の修業ってのは、先輩がどかない限り、なかなか前に進まないの。揚げ場が空かないと、天ぷら屋にいるのに何年も満足に天ぷらを揚げさせてもらえない。タイパがどうとか言う今じゃ考えらない地道な世界でしたね。叔父が見つけてきた働き口だったから、おいそれと辞めるわけにもいかなくて、結局16年いました」(宮腰さん)
赤江: そうすると、30代半ば。職人さんとしては脂ののっている時ですね。で、独立された?
「ええ。親父がこの家を建て替える時に、いつか1階で天ぷらを始められるようにって、店舗仕様で造ってくれて、貸さずにそのままにしてくれてたんです」
そこへ「末っ子で、甘やかされてきたんですよ」と京子さんの合いの手が入る。
「開業したし、当時の男性としてはもういい歳だし、早いこと結婚させなくちゃとご両親は考えたんでしょうね。私は保険会社でOLをしていたんですが、3月にお見合いをして、その直後、お義父さんが『結婚式の日決めてきたから』と言った日が、4月29日」(京子さん)
赤江: ははは! “4月29日”のとこ、ハモってましたね。夫婦漫才ばりに息が合ってました。それにしても、お義父さん、仕事が早すぎ!(笑)
「お義父さんは『結婚指輪を作るから』って、サイズゲージって言うんですかね、いろんなサイズのリングが束になってるやつをジャラジャラ持って訪ねてきてくれたこともありました。あれ? 私が結婚するのって、このお義父さんの方かな? って勘違いするくらいに熱心で」(京子さん)
赤江: こんなにいいお嫁さんを逃してなるものかと必死だったんでしょうね(笑)。
「お義父さんにもお義母さんにも本当に大事にしていただきました。まさか天ぷら屋の女将になるとは思ってなかったので、覚悟を決めて嫁ぎました。けれど、お店に出ようとしても、ふたりが『まだいいでしょ』と引き留めるんです。しばらくのんびりさせてもらいました。きっといきなり大変な思いをさせて愛想尽かされたら困ると考えてたんじゃないかしら」(京子さん)
赤江: なかなかめずらしいケースですね! チヤホヤされたのは最初だけで、嫁いだ途端にこき使われたって話はよく聞きますけど(笑)。
人生イチの白子は天ぷらでやってきた
「このあとは〆にかき揚げが出るけど、白子好き? 今日はいいの入ってるよ」と宮腰さん。
赤江: 白子! 好きです、好きです。アノシラコヲアゲルデスカ?
興奮のあまりカタコトになっている。脳の模型かと見紛うばかりに、プリッと立派な白子は、海苔にくるまれてさっと揚げられた。
赤江: オイシスギルヨ……。人生で食べた白子の中で間違いなくトップランクです。私はもううっかり白子を注文できない体になってしまいました。なぜならこの禁断の味を知ってしまったから。
このまま食べ続けると際限ないので、〆のごはんをいただくことに。
食べ方は、天丼、天茶、天ぷらと白ごはんの3種から選べる。
「どれになさいますか?」の女将さんの問いかけに、団長は食い気味で「天茶!」と即答。甘いタレがかかる天丼も、王道の天ぷらワンバン白ごはんもいいが、カリリとした天ぷらに汁をかける背徳感には抗えなかったようだ。
かくしてやってきたのは、小柱と白魚のかき揚げに、カツオと昆布、干し椎茸でとった出汁がたっぷりかけられた天茶だ。
赤江: これよ、これなのよ。出汁にからみつつしなっとなる直前のかき揚げさんと、サラサラいただくお茶漬けごはん。ほうじ茶のところもあるけど、あたしゃやっぱりこの出汁茶漬けにゃ目がないんだよ。
あ、すみません。あまりにおいしすぎて、変な江戸弁になってしまいました。
職人技の揚げたてを、会話を楽しみながらいただける“カウンター天ぷらの醍醐味”が、ここにはある。「天ぷらならちょっといいトコ知ってるよ」とドヤ顔ができる1軒に出会えた、年の瀬の宵でありましたとさ。
――ごちそうさまでした!
(2024年12月13日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠