あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
魅惑のメニューと「鬼の鉄則」
海外では少量の油で揚げ焼きにする近い料理はあるが、日本で一般的なパン粉の衣をつけて大量の油で一気呵成に揚げるフライ、いわゆるディープフライはめずらしいらしい。とんかつ、エビフライ、カキフライ、アジフライ、コロッケ……これらはもう、日本の洋食レストランで独自に進化し発展を遂げた、れっきとした“和食”と言ってもいいだろう。
揚げ物大好き、わけてもフライには目がないという赤江珠緒団長が向かったのは、東京メトロ丸の内線・南北線の後楽園駅と都営三田線春日駅にほど近い「洋食・ワイン フリッツ」だ。商店街を歩いていくと、おっと、ここだ。見落として通り過ぎそうになる控えめな入り口なので要注意。
席に着くなり、正面に掲げられたメニュー黒板を眺めて、「わーー、チョークの文字からして、もうおいしそう」と手書き文字フェチの赤江団長はさっそくため息を漏らす。
赤江: ワタクシ、完全にフライの口になってやってまいりましたが、これはうれしい驚きです。フライ以外にもこんなにたくさんのメニューがあるとは。
煮込みハンバーグに牛舌のシチュー、マカロニグラタン、ドリア、カレー、それから、洋食屋さんであえて焼きメシってのも気になるじゃありませんか。これは悩みますなあ。
ひとまず喉を潤してから、綿密に作戦を練ることに。シュポンッと景気良くやるのはもちろん“赤星”、サッポロラガービールだ。
赤江: お、ヨーロッパのカフェで定番のグラスですね。こちらにトクトクトクとやりまして……
――いただきます!
赤江: んーー、おいしーー! 赤江のフライの口、よーく冷えた赤星にてカンペキに整いました。さあ、どれからいきましょうか。それにしても迷っちゃいますなあ。
そんな迷える仔羊にひとつ酷なお知らせをしなければならない。実は当店、「料理のオーダーは最初の1回限り」という鬼の鉄則があるのだ。
「なーーぬーーっ!」と愕然とする団長に、店主の田苗見賢太さんは申し訳なさそうに話す。
「すみません。賛否両論あるシステムでして……。いや、正確には、賛の声は聞いたことがないですね(笑)。
なにぶん私ひとりで調理しているものですから、オーダーが集中すると長時間をお待たせしてしまうことになります。コロナ禍で店の体制を変えたのを機に、タイミングよく料理をご提供することを重視してこの方式を導入しまして、みなさまにご協力いただいています」
ランチ営業時は奥様の雅子さん、夜はアルバイトスタッフが給仕などをサポートするが、調理を担うのは田苗見さんのみ。揚げ物はつきっきりで火入れの具合を見極めなければいけないから、続々と入る注文には応えられないのだ。
「なるほど」と合点のいった団長は、赤星を飲みつつしばし黒板と睨めっこ。ホップの心地よい苦味と共に苦渋の決断を下した。
さて、赤江セレクトやいかに?
日本生まれの洋食の奥深い世界
はじめに登場したのは、なんとも楽しげな一皿。前菜の盛り合わせにグラスワイン1杯が付いた晩酌セットだ。
この日は、シャインマスカットの白和え、ラタトゥイユ、ポテサラ、イチジクと生ハム、カラスミとブルーチーズのミニサンドなど10品ほどが盛り込まれた。セットのワインは後半戦にとっておき、しばし赤星で晩酌タイムといこう。
赤江:「マスカット meets 白和え」は初めましてですが、なんともオツなものですね。赤星ともよく合います。
クミンが効いたニンジンのローストも、ペペロンチーノ風のブロッコリーも、どれもていねいに調理されていて、田苗見さんの実直なお人柄が伝わってくるようなやさしい美味しさです。
赤江:このおつまみセットがあれば赤星は軽く2本、本気を出せば4本はいけますね。しかしながら、この後フライさんたちが待っていますので、追い込み馬のごとくじっくりとまいる所存です。
のっけからご満悦の団長をよそに、厨房では、看板メニューであるフライの準備が着々と進められている。田苗見さんのフライは素材によって極低温の160℃から高温の200℃までを使い分け、素材の持ち味を引き出すのが特長だ。
揚げ物を意味するフランス語“フリット”に由来する店名を聞いてピンと来た人もいるだろう。当店は、かつて赤坂などにあった人気洋食店「フリッツ」の流れをくんでいる。
田苗見さんは調理師学校を経て、現在はフランス料理店「目白旬香亭」などを展開する旬香亭グループに就職した。
「フレンチがかっこいいな、なかでも懐石と融合させて“お箸で食べるフランス料理”を打ち出した旬香亭のオーナーシェフ・齋藤元志郎さんの料理に惹かれて志望しました。
フランス料理や当時最先端の技法を使ったスペイン料理の店で修業を積んだあと、配属されたのが『フリッツ』だったんですが、当時は正直、いまさらとんかつかぁとガックリきましたね」
ところが、いざやってみると発見の連続だった。肉や魚介、野菜はもちろん、油からパン粉に至るまで素材に徹底的にこだわっていて、揚げという調理法の追求も尋常ではなかった。田苗見さんはすぐさま、その奥深い世界にめり込んでいったという。
赤江: シンプルな技法だけに奥が深いんですね。田苗見さんご自身が気づいたらディープフライにされていたというわけか……。あ、全然うまいこと言えてないわ(汗)。
どうだ! これがフライ好きな私のわんぱく盛り
さあ、揚げたてアツアツ、フライチームのお出ましだ。
美しい黄金色に揚がったフライは左から、ひとくちヒレカツ、ホタテのいそべ揚げ、カキフライ、エビフライという、悩みに悩んだ挙句のわんぱく盛りだ。どれも同じように見えて、うっすらと素材の色が浮かんでいて、衣の揚がり具合も微妙に違っている。
赤江: これこそ私の理想的なフライ盛り合わせですよ。まさに夢の共演! フライ・オールスターズ! 油音四重奏! 茶色いユートピア!
まずはホタテのいそべ揚げを、あえて何もつけずにいきましょう……。
おいしっ! この衣のなんと軽やかなことよ。それでいて、中の身は半生でしっとりもっちり。は〜、ホタテは油の魔法でこうなりましたか。北海道のみなさーん、ホタテはフライです。刺身で食べてる場合じゃありません。すぐにパン粉つけて揚げてください!
お次は見た目もかわいいエビフライ。サクッという軽快な音が響き、団長は目を丸くしている。
赤江: 言葉にすると陳腐ですが、そりゃもうプリプリですよ。最上級のプリプリです。そうだな……バイーンです。プリプリの上はバイーンです。そして、噛んだ時のエビの甘さがすんごい! 甘香ばしい。甘香ばしくてバイーンです。
さらに、薄ピンクのきれいな断面を見せているひとくちヒレカツを。
赤江:(うっとりしながら)私が今まで出会った中でいちばん上品で、お肉ってしみじみ美味しいなあと思えるヒレカツ。昭和の名女優みたいなカツです。
当店ではフライ用のソースとして、自家ブレンドのとんかつソースに加え、愛知県清須市の地ソース「スーパー特選 太陽ソース」を用意している。
赤江: それでは、ちょいと太陽ソースをつけていただきましょう……。おおお、スパイシーな香りとコクが豊かな極上のウスターソースです。上品なヒレカツさんがリッチな味わいに。こりゃたまりませんわ。
そしてフライのトリはカキフライ。三陸産のカキを使うのがフリッツ流。団長はひとくち頬張って身悶えしている。
赤江: おいしー! おいしすぎるよー! 三陸のみなさん、すぐにカキにパン粉をつけて揚げてー!
火の通り具合がドンピシャ。カキのおいしいエキスが閉じ込められていて、口の中出一気に放たれます。しかし、揚げ方もさることながら、カキ自体も大ぶりなのに濃厚でめちゃくちゃおいしいですね!
「実は1個のフライに、2個のカキを使っています。カキってぷっくりしていてミルキーな身の方と、ひだひだと貝柱のある旨みが強い方がありますよね。それを互い違いに重ねてまとめてあげています。だからどっちから食べてもミルキーさと旨みがミックスされたカキを味わえるんです」(田苗見さん)
赤江: 赤江史上最高クラスにおいしいカキフライでございます。そしてまた、赤星との相性がキャビアとシャンパンくらいに完璧です。いえ、カキフライ・赤星組は、今日、キャビア・シャンパン組を超えました!
「フライは蒸し料理」という調理の極意
赤江: わんぱく盛りをペロリとたいらげてしまいましたが、なんと後味の軽やかなことよ。胸焼け皆無。さすがでございます。ちょっと、そのおいしさのヒミツを教えてほしいんですが……。
「大切なのは、揚げ切らないということですね。素材の中心部まで火が通るように油の中で熱してしまうと、水分と一緒にせっかくのおいしさが抜けてしまいます。ステーキやローストビーフもそうですが、余熱をうまく利用することが重要なんです。
揚げ物ならでは特性として、衣の中で素材自体が持っている水分で蒸すことができます。揚げるというより、蒸し料理として捉えて、揚げ切らずに寝かして余熱で仕上げることを意識すると、いつもとは一味違ったフライになると思いますよ」
赤江: フライは蒸し料理かあ。なるほど〜。確かに、いただいたフライはどれも衣の中で旨味いっぱいに蒸されいて、とってもジューシーでした。
もうひとつ質問があります。いくらお肉がいい具合に揚げられているとんかつでも、食べる時に衣がはがれてしまうと残念な気持ちになります。口に入れる手前で、とんかつではなくなっているから。でも、こちらのヒレカツはウェットスーツを着てますかってくらいに衣がピッタリくっついていて、お肉との調和も見事でした。どうして衣がはがれないんですか?
「バッター液を使うといいですよ。一般的にフライは小麦粉、卵液、パン粉の順に衣をつけて揚げますよね。その卵液をバッター液に変えるんです。卵に水、小麦粉、それにうちでは他の穀物のでんぷんの粉を入れてよく混ぜます。このバッター液が素材と衣の結着剤になってくれます。ただ、あまり厚く付けるとぼてっと野暮ったい衣になってしまうので、ほどほどに加減するのがポイントですね。
それから、パン粉をケチらずにたっぷりまぶして、素材を潰さない程度に押さえつけて、できるだけこんもりさせた状態で油に入れるのもコツです。余分なパン粉は入れた瞬間にパッと広がって離れていきますが、その作用が中の水分をいい具合に調整してくれるんです」
赤江: さすが、フライ博士! 熟練の技をつまびらかにしていただき、ありがとうございます。今の解説を踏まえて味を確認したいのでカキフライのおかわりを……。
あ、ダメ? この流れでしれっと追加注文いけるかと思いましたが、やはりダメでしたか(笑)。
絶品グラタンに大好物のあのデザートも
キッチンから食欲を誘う香ばしい匂いが漂ってきたと思った刹那、いい色に焼き上がった一皿がやってきた。カニのマカロニグラタンだ。
この日の一発オーダーの〆に選び、赤江団長をして「人生で、これほどグラタンを注文しておいてよかったと思ったことはなかった」(後日談)と言わしめた一品である。
赤江: はふ、はふ、は、お、い、ひ、い、で、ふ。おいしいです!
めっちゃくちゃカニが入ってますよ。へ〜、ズワイガニですか。どこをすくってもカニがいることの幸せよ。赤江、40代の終わりに、フライ盛り合わせからのマカロニグラタン独り占めという小学生の夢を実現いたしました。
「日本の洋食って、フランス料理と違って説明しなくてもみんなわかっているし、子どもからお年寄りまでみんなが好きな料理なんです。そこがいいなと、フリッツから多くのことを受け継いで独立しました。ここではお馴染みの洋食をちょっと上質に、でも肩肘張らずに楽しんでいただけたらと思っています」
うんうん、そうだよそうだよ、子どもの頃からの憧れの料理を無邪気に味わえる店がほしかったんだよ、と悦にいる団長の元へ、うれしいサプライズが訪れた。
「お好きだと聞きましたので、ランチ用のプリンをとっておきました」
赤江: きゃーー、ありがとうございます! 私のプリン好きが伝わっていましたか。これ、ランチのセットについてくるプリンなんですね。こんな本気のやつがついてくるんですか! どれどれ……。
これよ、これなのよ! プリンはこうあるべきなのですよ。硬すぎず、柔らかすぎず、ちょーーーどいい固まり具合。カラメルは苦味が効いていて、ほどよ―――い甘さ。洋食屋さんでの夢の食事が、これにて完結いたしました。
赤江: プリンは予約時に言えばいただけるとな。それはいいことを聞きました。次回は、手始めにサラダ、煮込みハンバーグでしょ、フライはカニクリームコロッケとメンチカツ、焼きメシも外せないし……ああ、また悩んじゃうよ。こりゃ、何度も通わなきゃいけませんね。
……あっ! そうか。そういう戦略なんですか、田苗見さん! フリッツの魅力にディープにハマっていたのは、結局のところ私でしたとさ。
おあとがよろしいようで。
――ごちそうさまでした!
(2024年11月29日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠