あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
すでに老舗の雰囲気を醸し出す佇まい
「日本に秋がなくなった」と言われて久しい。2024年の夏は前年と並び、観測史上最も暑い夏となった。9月18日には東京都心で35℃を超え、統計開始以来最も遅い猛暑日を記録。とんでもなく暑くて長い夏だった。ようやく暑さが和らいだと思ったら、すぐに頬を刺すような寒風に襲われ、背が縮こまってしまった。となれば、呑兵衛が恋しくなるのは、おでん、の3文字だろう。
赤江珠緒団長の今回のお目当ては、東急目黒線・武蔵小山駅にほど近いおでんと小料理の店「はし山」。おでんもさることながら、鮮魚の一品料理もめっぽう旨いとの噂を聞きつけ、やってきた。
引き戸をガラリと開けると、カウンターが一直線に伸びるのみの潔い造り。厨房では店主の橋山勇人さんが調理白衣に身を包み、たったひとりで手早く作業を進めている。人気店だけに予約は必須。今日はバッチリ予約して一番乗りだ。
赤江: わー、素敵なお店ですね。お出汁のなんともいえない香りが立ち込めていて、もうすでに幸せな気分です。
オープンして丸5年ですか。ずっと古くからやっているような落ち着きがある空間ですね。いやー、それにしても、棚のお皿の収まり具合の見事なこと。天井に近くなるにつれ棚が手前に迫り出しているんですね。動きやすくてお皿を出し入れしやすい。機能美ですよ。眼福ですよ。
収納フェチの赤江理論によりますと、棚の美しさは料理の美味しさに正比例するとのデータを得ています。こちらは名店、確定です。
「ありがとうございます(笑)。料理もお口に合うといいのですが。ここは元々鰻屋さんだったところを居抜きで借りていまして、この棚は前の店主が相当こだわって作り込んだようで、捨てるなんて選択肢は1ミリも考えられませんでした」と橋山さん。柔らかな口調がなんとも心地いい。
何はともあれ、まずは喉を潤そう。いただくのはもちろん、“赤星”ことサッポロラガービールだ。
――いただきます!
赤江: おいしーー! 寒い季節に、湯気が立ち込めた中で飲むキンキンの赤星はまた格別ですなあ。
恍惚としているところへお通しが差し出される。この日は3品。加賀野菜の金澤美人れんこんを出汁で炊いたものに、あん肝と山形味噌を合わせたタレをかけた一品。福井から空輸された生の鱒子の醤油漬け、焼きなすのおひたしだ。
赤江: わー、お通しからすごい! 豪華! メニューで見つけたら間違いなく頼んでいたはずの大好物ばかりです。
れんこん、美味しいなあ。お出汁がしみしみで、あん肝のコクも加わって。焼きなすも香ばしくて、身はトロッとやさしい甘みが広がって。
そして、鱒子ぉーー、キミはなんて美味しさをかましてくるんだ、危ないヤツだな。赤星が進みすぎるだろー。
多彩な一品料理で楽しむ“おでん前”の時間
ひとりでやんや言っている団長のもとへ橋山さんは、さっとお猪口を差し出す。
「鱒子に合わせて燗酒を少しどうぞ。秋田の地酒、鳥海山の無濾過純米大吟醸です。魚卵とよく合うと思います」
鱒子を10粒ほどパクリ、お猪口をキュッ。
赤江: ……はっ! 一瞬、意識が遠のきました。スッキリとした辛口ながら旨みの余韻が豊かなお酒が、旨み爆弾の鱒子と手を取り合ってフォークダンスをしております。
さらに、ここで赤星をグビリとやりまして……私も踊りたくなってきました(笑)。
「まだほんの序章です。さて、この後のご注文はいかがしましょうか?」
当店は年間を通じておでんを柱にしているが、他のおでん専門店との決定的な違いは、おでん以外の一品料理の多彩さにある。季節の素材を使った酒肴の数々は、蕎麦前ならぬ“おでん前”であり、一杯を愉しむのに幸せすぎるラインナップなのである。
とりわけ魚に関しては、お造りはたいてい10種以上のネタが揃い、焼き物も自家製の一夜干しやら西京焼きやら、めじろ押しだ。
赤江: 白和えは絶対にいきたい。それからお魚も食べたいし、おでんにも余力を残しておかねばならぬし……。
「お造りを見繕いましょうか。お召し上がりになりたいものを入れまして……はい、赤貝と鰹のたたきですね。お嫌いでなければ、本マグロと牡蠣もぜひ」と橋山さんがリードしてくれた。
本日の白和えは、福岡の太秋柿と茨城の栗を存分に味わえる一品。素材の香りを大切にして、柿も栗も注文が入ってから皮を剥くそうだ。
赤江:(ひと口ほおばって)秋です。赤江にようやく立秋です。
胡麻風味の白和えが、柿と栗の繊細な風味をぐっと引き立てています。秋がなくなった現代ですが、武蔵小山に小さい秋を見つけました。
赤江:そして、この白和え、赤星のほどよい苦味とも相性が抜群なのですよ。
「そうなんです。実は私の妻が赤星の大ファンでして、小料理屋をやるなら赤星は入れようと決めていました。私も食中酒のビールには赤星が好きですね。苦味のあるしっかりした味わいが、料理を受け止めてくれるので」
鮨屋レベルの魚の旨さに驚愕!
お造りの先陣を切って登場したのは、稲藁で炙った鰹のたたき、そして、1週間ほどじっくり熟成させた本マグロだ。
赤江: 鰹、美味しいなぁ。焼きなすをいただいた時に、炙った鰹もきっとすごいことになるはずだと確信しておりました。この自家製のにんにくタレがまたサイッコーに合いますね!
そしてこの本マグロ、脂がちょーどいい具合に乗っていて赤身の深いコクが口いっぱいに広がります。食べたことのないマグロです。
「マグロの首の後ろ、肩の辺りの背かみという部位です。味がすごくいいんですが、鮨屋では筋があると敬遠されるところです。うちはおでん屋ですから、筋の多いところも生かせるので、背かみはよく狙って仕入れますね。筋の少ないところをこんなふうに切ると、本マグロの良さが凝縮されたようなお造りになります」
赤江: やっぱりマグロは背かみに限りますよね、大将! ……あ、ごめんなさい、背かみ、初耳です。ただいま赤江の辞書に重要語句として収録いたしました。
剥きたての赤貝も角がピンと立って、いい佇まいだ。卵を持たない時期は肝も食べられるそうで、肝は自家製の出汁醤油をつけて炙ってくれた。
赤江: 赤貝も美味しいです! 赤貝の肝焼きは初めていただきましたが、身のところとはまた違ってなんとオツですな。アサリの浜焼きのようでもあり、気分は一転、海の家でございます。
そこへ「生牡蠣です」と登場したのは、ガラスの器に入った予想外の出立ち。トゥルンと口に入れた団長は悶絶している。
赤江: なんじゃこりゃー! 口の中が旨みMAXです!! そして後味のなんと清らかなこと。
「豊洲で仕入れた活きたままの殼牡蠣を剥いて、海水と同じ塩分濃度のおでん用一番出汁に浸けて冷蔵保存すると、このような出汁をたっぷり吸った生牡蠣が出来上がります。牡蠣の旨みと出汁の旨みがあふれ出しますよね。いいなあ、私も食べたい(笑)」
赤江: ははは。店主が心から食べたいと思っているものはさすが、美味しいったらありゃしません。生牡蠣をこんなふうにいただいたのは初めてです。
それにしても、橋山さん食べ物への探究心と丁寧な仕事ぶりには感服いたしました。お料理は、日本料理を修業されたんですか?
「いや、もともとはバリスタだったんです」との意外な返答に、「バ・リ・ス・タ!? バリスタってあのコーヒーのですか?」と団長は素っ頓狂な声を上げる。
「はい、黒シャツの襟を立てて、イケイケでした」と橋山さんは笑う。
橋山さんは静岡市の出身。東京のカフェで働き始めると、使う人によって味がまるで変わるイタリア製のコーヒーマシンの奥深さにハマり、その道の大家であるバリスタの店にタダ働きを申し出て、休日はコーヒーの研究に明け暮れた。
「豆、焙煎方法、淹れ方の繊細な違いを突き詰めていくと、いろんな飲み物、食べ物に興味が広がっていきました。もっと料理の経験を積みたいと思い、カジュアルフレンチの店で腕を磨きました。その後、独立開業しBARを、のちにカフェダイニングを開きました。どちらも武蔵小山です」
赤江: えっと、まだ黒シャツのイメージです(笑)。そこからどうやっておでんにたどり着いたんでしょうか?
「カフェダイニング時代に、友人の美容師さんの紹介で鮨屋の大将と出会いました。その方が、私がいろんな料理に興味を持っているのを知って『和食は勉強しないの?』と気にかけてくださって。でも、もう35歳でしたから、今から和食をイチから学ばせてもらえる店もないですし、と答えると、その方が、『じゃ、うちに来な。教えてやるよ』と言ってくださったんです。
それからちょくちょくその鮨屋さんでお手伝いしながら基礎から教わり、築地にも通い詰めました。遠回りして、時間もかかりましたが、そうやって鮨屋の仕込みを身につけることができたんです」
橋山さんの話に耳を傾けながら、満を持しておでんの幕開け。第一弾オーダーは、赤江おでんダネ総選挙1位の大根と2位の玉子だ。
当店では、大根が登場するのは例年、大根がしっかり甘くなった12月からとのこと。いい大根が手に入らない時期は、冬瓜とカブがその役目を代行する。この日は冬瓜が最高の出来栄えでお目見えした。
赤江: は、ふ、ほっ、はっ、おいひい!
冬瓜のおでん、いいですね。これはもう出汁そのもの。固形化された出汁です!
そして、この玉子と一緒に固形出汁をやりますと、はあ、もう至福でございます。
独学で作り上げた濃厚出汁のおでん
橋山さんはおでんの第二弾、第三弾を仕上げながら話を続ける。
「料理をいろいろと覚えると、バーよりももっとお食事をちゃんと召し上がっていただける業態にしたくなりました。でも鮨屋では埋もれてしまう。魚以外にもウリになるものが必要だと思いました。それなら大好きなおでんだなと。
私はお酒の中でも日本酒、特に燗酒が好きでして、おでんの出汁と燗酒は最高の組み合わせだと思い、いろんなおでん屋に行きまくっていたんです。それで、魚とおでんを二大看板にして、燗酒も楽しめるこの店をオープンさせたんです」
第二弾オーダーの車麩を味わいながら、「なるほどー」と団長。
赤江: ようやくおでんにたどり着きました! そして今、ワタクシ、絶品車麩を堪能しております。モチッ、トロッ、ジュワッの最高のヤツです。それにしても、橋山さんのおでんは出汁のパンチがすんごいです。出汁自体がお料理です。出汁が肴。
そして、第三弾オーダーはタコ。この日はオスなのでプリッとした仕上がり。メスの場合はふんわりした食感に仕上がるのだとか。
赤江: 美味しすぎてため息が出ます。明石出身の赤江としてましては、タコには人一倍うるさいわけですが、このタコおでんにはグーの音も出ません。黙食します。
福島・会津の酒「栄川」の本醸造の燗がちょうどいい具合だ。団長はキュッとやって、「最高すぎるよー」とまた悶絶。赤星のチェイサーで口の中をクールダウン、そしてまた熱々おでん、人肌の燗酒と、無限ループにハマっている。
「おでんに関しては、完全に独学なんですよ。出汁は関東風と関西風のちょうど中間くらいの雰囲気ですかね。でも、うちの出汁はめちゃくちゃ濃いです。羅臼昆布、枕崎の本枯れ節、血合抜きのマグロ節をこれでもかとたっぷりと使って出汁をとっています。
醤油は使わず、味付けは酒とみりんとざらめ、塩だけ。静岡おでんで育ちましたけど、それとも違っている完全オリジナルで、自分が一番旨いと思うおでんにしています」
レタスも椎茸も珠玉のおでんに
第四弾はロメインレタスだ。フレッシュなレタスをサッと湯掻き、しんなりしたところへ熱々のおでん出汁をたっぷり回し掛け、おぼろ昆布をのせて供される。
赤江: お出汁はまさに燗酒にバッチリ合う深ーいお味です。
このロメインレタスも、根に近い方はシャキシャキしていて、縮れた葉先はいい塩梅に出汁がからんで、いいおでん種ですね。おぼろ昆布の追いコンも効いてるなあ。次の総選挙では上位に入ってきそうなダークホースとなりました。
第五弾は椎茸。徳島生まれのブランド椎茸、天恵菇だ。
この日は新潟産の特に大ぶりなものがおでんとなった。
赤江: めっちゃ美味しいっ! なんですかコレは? この食感はもう、アワビです。きめ細かく滑らかな食感、小気味いい歯応え、出汁に椎茸の旨みも加わって、「ボクがおでんの花形さ」と主張しています。
第六弾はちくわぶ。関東人には人気の種だが、関西人には、ちくわでもないし、麩でもないし、あんなうどんの出来損ないみたいなもん意味わからん、と論争の種になってしまう問題児だ。団長も馴染みがないと言うが……
赤江: 美味しい! これも、ザ・出汁です! ちくわぶは冬瓜や豆腐同様、出汁を“吸う系”の種ですね。自分は味を出さないのに、みんなが出したいい味をいっぱい抱え込んでいます。次期総選挙の台風の目になるやも。
「普通のちくわぶって表面はとろっとしているけれど、芯はアルデンテですよね。その感じも粉もん好きの関西人に敬遠される理由だと思うんです。うちは出汁に浸して、蒸し器の中でじっくり蒸し煮にします。そうすることで、芯まで出汁が入ってやわらかくとろっとした感じでお召し上がりいただけます」
この日の大トリは牛すじだ。
おでんの牛すじはプニプニしたアキレス腱を使われるのが一般的だが、当店ではいろんな肉に付いた小さな筋を集めた肉すじを使い、皿盛りで供する。
柔らかく下茹でされたすじを出汁と合わせ、蒸し器の中でじっくり炊き上げる仕上げの間、出汁で煮含めたムカゴをいただく。「これまた美味しい!」と箸休めもイチイチ旨いから、油断ならず、箸も休まらない。
ついに、牛すじがたっぷりの小ネギをまとってやってきた。
赤江: ん゛―――――おいしゅうございます! ゼラチン質たっぷりの、いわゆる牛すじをイメージしていたので意外な一皿ですが、最高すぎます。
これはもう、超洗練されたスッキリ系ビーフシチュー。和シチューです!
さらに、牛すじの余った汁で雑炊を作ってもらうことに。プリプチとした食感のもち麦ごはんで作るのが、はし山流だ。
「こうやって、じっくりお出汁を煮詰めていくと、脂が回って、だんだんツヤが出て、もったりしてきます。わかりますか。これが出来上がりのサインです。さあ、熱いうちにどうぞ」
赤江: ん゛―――――この上なしにおいしゅうございます。出汁を吸い、牛の脂をまとったごはんがキョーレツに美味しいです。これは、雑炊というよりリゾット、和リゾットです!
いやー、橋山さん、参りました。どれも美味しすぎて、はしゃぎすぎて、赤江、もうぐったりしています。食べ頃の車麩状態です。
調子に乗って自分でも信じられないくらいたくさんいただきましたが、まだお魚もおでんも食べたいものがいっぱいあります。バッチリお腹を空かせて、また必ず寄らせていただきますね。
――ごちそうさまでした!
(2024年10月30日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:東上床弓子
スタイリング:入江未悠