あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
■カオスな空間でいただく赤星の味
赤星探偵団の元に一通のお便りが届いた。
――先日、バルっぽい店で赤星が飲めるところを見つけました。料理はパスタもあれば酢豚もあって、どれもものすごくおいしいのですが、結局、何屋さんなのかわかりません。店内もカオスです。赤江団長、ぜひ調べてみてください――
店名は「ブイプラス」。料理はたったひとりで作っていて、夜だけの営業らしい。早速、訪ねてみることにした。
高田馬場と早稲田の中間、早稲田通り沿いにある小さな間口の小さなお店。ドアを開けると、厨房を囲むようにカウンターが伸び、さらにその奥にテーブルが1卓ある鰻の寝床のような造りになっている。
内装こそアメリカ東海岸の街の裏路地にありそうな雰囲気だが、そこに置いてあるアイテムは無国籍。中国のものと思しき飯腕やグラス。昭和世代には懐かしいアニメキャラクターが描かれたアルミのお弁当箱。台湾のロングセラー家電の蒸し器。大量のレコードやカセット……確かにカオスだ。
迎えてくれたのは、オーナーシェフの西山慎一郎さん。ワンオペで予約必須の人気店なので、この日は特別に定休日に開けていただいた。
「ようこそ、団長。自分はビールの中で赤星が一番好きでして、店にも置かせてもらっています。うちは、ドリンクは奥にある冷蔵庫から、飲みたいものを取ってくるセルフサービスになっていますので、どうぞご自由に」
「おお、そうなんですね」と冷蔵庫へ。北欧のクラフトビールや自然派ワインが充実している庫内に、ありました、キンキンに冷えたサッポロラガービール、通称“赤星”。オリジナルグラスも用意して万端整い…
――いただきます!
赤江: いやー、やっぱり美味しい。ようやく寒くなってきましたが、冬にポカポカと温かい室内で飲む赤星もオツなものですなあ。
ところで西山さんは、どうして赤星がお好きなんですか?
「味はもちろんなんですが、なんといってもその存在感ですかね。ラベルの佇まいに雰囲気があって。うちの店ではイタリアン的なメニューが主体ですが、休みの日に個人的に飲みに行くのはもっぱら大衆酒場とか町中華。赤星が似合う店が好きなんです」
赤江: おー、それはうれしい。そして頼もしい。私の調査によりますと、店主が赤星好きのお店は99.9%の確率で料理もおいしいと実証されております(笑)。
今日は赤星にも合うお料理を、おまかせでお願いできますか?
西山劇場の幕が切って落とされた。
地元秩父の新鮮な食材をふんだんに
まずはじめに、挨拶代わりに登場したのは、白い皿にぽつねんと鎮座する肉片。「埼玉ホルモン豚レバーの台湾風スモーク」だ。
赤江: (ひと口頬張って)むっ。めっちゃおいしい、めっちゃおいしい、めっちゃおいしい(※クレッシェンドで)。
なめらかな舌触りで、まるでチーズのようなコク。燻煙の香りと、どこか中国っぽい風味もありますな。お、いつになく食レポうまくできたかも(笑)。
へぇ〜、中国のたまり醤油と紹興酒を使ったタレに漬け込んでから燻煙していると。なるほど〜。それでこの複雑な味わいに。これは、赤江的にも、大好物です!
西山さんは埼玉県秩父市の出身。秩父は古くから豚のホルモン焼きが親しまれている土地で、西山さんにとってもホルモンは馴染み深い食材だ。最近、秩父の人気ホルモン店と同じルートで内臓を仕入れられるようになり、スモークしたり煮込んだりと、いろんな酒の肴に仕立てている。
聞けば、同店のウリは秩父産の食材をふんだんに使っていることだとか。西山さんは月曜と火曜の定休日のどちらかは必ず秩父へ帰り、農産物直売所などを回って旬の食材を仕入れている。メニューは固定化せず、その時々の仕入れ内容をもとに一から考えるそうだ。
この日も大量の野菜を担ぎ、西武池袋線の特急ラビュー号に乗って戻ってきたばかりだという。
赤江: ラビューって、あの、割と最近できたオシャレな特急ですよね。綺麗なシートに西山さんが行商人のように乗っている姿を想像すると笑ってしまいます(笑)。
わー、これが今日の戦利品ですか! 春菊に葉にんにく、赤かぶ、この生姜みたいなのは……菊芋? これ、芋なんですか? 恥ずかしながら私、菊芋は初めまして、です。
「秩父の野菜は本当に美味しいんですよ。菊芋なんか、最高です。生でサラダにしてもシャキシャキして旨いし、火を入れるとまた違った食感と味わいで、めちゃくちゃ旨いす。今日はいろいろ出していきますんで」
手際よく調理されて現れたのは「タコと切り干し大根の秩父春菊ジェノベーゼ和え」。添えられた赤かぶ漬けとのコントラストも見事だ。名物の自家製パンと共にいただく。
赤江: 普通はバジルで作るジェノベーゼを、春菊で作っているんですか? それは初めてです。どれどれ……。
おおぉ、春菊のフレッシュな青味とほのかな苦味がいいですね! タコのぶつ切り、そして切り干し大根の食感がまたいいアクセントになって。
この切り干し大根もお手製なんですか。イタリアンで切り干し大根とは、思いもよりませんでした。
赤かぶの甘酢漬けもいいお味。これは日本の家庭の味のおいしさですね。ジェノベーゼと一緒にいただくとまた、味変になって、いい!
「おわっ!」と団長に心からの感嘆詞を吐かさせたのは、自家製のパン。ブリオッシュの型で焼かれたそれは、キノコのような愛くるしい形。しかし、その旨さは暴力的だ。
赤江: まわりは香ばしくて、中はしっとり。小麦の香りもふわりとたまりません。ジェノベーゼとの相性もいいし、豚レバーをちょいとのっけても最高。
西山さん、このパンはいかんです。お代わり必至です。
「旨いですよね。自分でも旨いと思います。小麦粉はフランスパンによく使われる準強力粉に粗挽き粉をブレンドしています。バターではなくオリーブオイルをたっぷり使って、揚げ焼きのように焼いています。いろいろ試しているうちに、旨いのができちゃったんです(笑)。
今日は休みなので、1個だけとっておいたのをオーブンで温めてお出ししたんですが、今度ぜひ、その日の焼きたてを食べてもらいたいです。ぜんぜん違いますから」
赤江: えっ!? 今日は1個しかない!? ざんねんーっ! じゃ、ここからはこのパンを小鳥並みに少しずつついばんでいくことにします(笑)。
残りものでもこんなに美味しいんだから、焼きたてはさぞかし……。
発明ですよ、これは!
人生最高の酢豚と出会ってしまった
店内に、ジュワッ、パチパチパチパチ、と揚げ物の小気味よい音が響く。この“おいしい音”をつまみに赤星が進む。
グラスをグビリと干したところで、何やら黒光りする一皿がやってきた。茨城のブランド豚、味麗豚の肩ロースと例の菊芋を、黒酢を使って酢豚に仕立てたもの。具材は豚と菊芋のみ。なんとも潔い一品だ。
さて、気になるお味は?
赤江: キョーレツにおいしいです! 人生で食べた酢豚の中でダントツです。10馬身差はあります。すみません、豚を馬でたとえてしまいました。
(菊芋を味わって)くわ〜、これはすごい! キミが菊芋か! 揚げてあるから周りはカリッとフライドポテトのような感じだけど、中はふわっとろ! 里芋のような雰囲気もあるけれど、もっと上品ですね。もう一度、言いますけど、ふわっとろです!
赤江はここに宣言します。酢豚の具は菊芋で決まりです。タマネギもニンジンもピーマンも要りません。パイナップル問題なんてちゃんちゃらおかしいです。酢豚は菊芋! 酢豚=菊芋! もはや菊芋が酢豚!
ここで、店が力を入れる自然派ワインへスイッチ。酢豚に合うグラスワインとして、フランス・ラングドックのロゼと、イタリア・ピエモンテのオレンジワインを見繕ってもらった。
団長は迷った挙句、ええいままよと2種を同時に味わうことに。冷えたワインで少しクールダウンしたほうがいい。
ここ「ブイプラス」はイタリアンバル「キッチンV(ブイ)」が前身となっている。西山さんは「キッチンV(ブイ)」で腕を磨き、2019年に前オーナーから店を引き取って独立、「ブイプラス」をオープンさせた。
もともとのイタリアンに加えて、自分が好きな台湾料理、和食や町中華のエッセンスを気ままにプラスするうちに、伊・台・日・中のボーダレスなメニュー構成となったという。「何屋であるか」は本人もわかっていないし、気にしていない。
赤江: なるほど! どおりで店もお料理もこんなにユニークで不思議な雰囲気なんですね。それにしても、2019年オープンとは、新型コロナの大変な時期に重なってしまいましたね。
「ええ。あの頃、とにかくヒマで時間だけはあるんで、実家で過ごす機会が増えて。20歳から東京に来てしまったので、実は地元のことをよく知らなかったのですが、料理人として経験を積んでから戻ってみると、秩父は食材の宝庫だと気づいたんです。で、これを使わない手はない、と。
たぶん、うちが東京で秩父を一番推してる店じゃないかなあ。埼玉食材にこだわる有名店は他にもありますが、うちはよりニッチに、秩父推し(笑)」
赤江: 刺さりまくってます! いつラビュー号に乗って秩父に遊びに行こうかと、お料理をいただきながら、もうそんな気分になっていますよ(笑)。
とんでもないラスボスが現れた
まな板からのトントントンというリズムは、牡蠣のマリネを叩いてタルタルにしている音らしい。
さらにフライパンからはバターで牛肉を焼く、胸が高鳴らずにおられようか、という罪作りな香りが立ち上がってくる。
かくして登場したお待ちかねの一皿は、赤いつぶつぶがのった肉らしき料理。「鹿児島牛の軽いソテーと牡蠣 子持ち昆布のタルタル」と聞いて、団長は「えーっ!」と皿を覗き込む。
赤江: 和牛に牡蠣に子持ち昆布。まったく味の想像がつきませんが、もう我慢できません。とにかく、いただきます!
うぉぉぉぉ、これはすごい。おいし過ぎる。いかんです。人をダメにするおいしさです。禁断の味です!
肉の大地の旨み、牡蠣の海の旨み、それを味噌漬けの子持ち昆布がつないでいるという印象。振りかけられたチーズも全体をうまく調和させてくれているんだよなあ。「ブイプラス」のボーダレスな世界を象徴するようなラスボス的一皿ですね。
一体どうしたらこんなお料理が思いつくんですか?
「この果物を発酵させたら面白そうとか、この肉は台湾風に漬けてみようとか、目の前の食材ごとに、思いつきで仕込みます。そんなふうにパーツをいろいろ試作していくと、ある時にパーツとパーツがパズルみたいにつながって、何倍にもおいしくなるものが出来上がるんですよ。
子持ち昆布は、秩父名物の豚肉の味噌漬けから発想を得て、味噌に漬け込んでみたんです。案の定、それが旨くて、酒の肴に最高で。実は、牛肉と牡蠣を合わせるのは割とよくある手法なんですが、それを子持ち昆布の味噌漬けで味付けしたらイケるんじゃないかなと。
その閃きがずばりハマりまして、我ながら、すごいのできちゃったなーとため息が出ましたね(笑)」
赤江: 博士、あなたはとんでもないモンスターを世に解き放ってしまいましたゾ。
「ははは。料理はシンプルなものが素直に旨いと思います。でも核になる食材が2つの組み合わせだと店で出すにはちょっと面白みが足りない。4つになってしまうと情報量が多過ぎる。3つがトライアングルになってちょうどいいと思うんです。
うちの料理に3つの食材を組み合わせたレシピが多いのも、そんな意識からなんです」
赤江: なるほど〜。そんな計算があったんですね。西山さんのお料理を全部味わってみたいです!
普段の営業日には、あれこれたくさんの種類をいただける前菜の盛り合わせプレートが人気なんですよね。経験者からは「一皿で永遠に飲めちゃうヤツだから気をつけろ」と言われております。
「そうですね。まずは8種から10種くらいが盛り合わせられている前菜のプレートを味わっていただくと、うちの雰囲気をわかってもらえると思います。それぞれを別々に味わうのもいいですが、最終的には南インド料理のミールスとかネパール料理のダルバートのように、全部をごちゃごちゃに混ぜて食べても旨いと思います」
赤江: おー、まさにボーダレス! アンド、フリーダム! こりゃ通わないと、味わい尽くせませんな。
いやー、今日いただいたものもぜんぶ最&高でしたけれども、焼きたての奇跡のパンと、その危険な前菜プレートを味わうまで、不肖赤江、死んでも死にきれません。
近いうちにまた必ず、万全のコンディションでおじゃまさせていただきますね。
――ごちそうさまでした!
(2023年11月28日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠