あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
下町情緒とセレブ感が同居する街
六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどラグジュアリーな雰囲気漂う複合施設群のお膝元、麻布十番。老舗商店が並ぶ商店街も健在で、庶民的な下町情緒と、にわかではない筋金入りのセレブ感が同居する不思議な街だ。
出前のスーパーカブとロールスロイスが並走してもまったく違和感がないし、マイバッグから顔を出しているのが、むき出しのフランスパンでも、はたまた泥付きごぼうでも、どちらも正解だ。
赤江: お世話になっていたテレビ朝日は目と鼻の先。「あべちゃん」の焼き鳥は、番組への差し入れの定番で、実はよくいただいていました。
仕事終わりに麻布十番の商店街をぷらぷら歩いたりもしていて、お店の場所は知っていたのですが、おじゃまする機会がなかなかなくて……あれ? こんなにキレイな建物でしたっけ!? あ、失礼しました(笑)。もっと年季が入った佇まいだったはず……。
現在の建物は2019年12月に建て替えられたもの。味のある風合いの木材を外壁全体にあしらった瀟洒なビルに無邪気な“あべちゃん”の文字が元気に踊っている。
店に入るなり、「え゛――! なんですか、これは!?」と驚きの声を上げる団長。焼き台の上にどどんと鎮座する黒い小山を見て、素通りするわけにはいかない。
ちょっと恥ずかしそうに答えてくれたのは、店主の阿部慎太郎さん。
「初めて見る人はみんな驚くんですけど、タレの“焦げ”なんです。この山の真ん中にタレの甕が埋もれていまして、こんなふうにタレに浸しながら焼いていると、どうしても少し滴り落ちますよね。それがちょっとずつ積み重なって、60年ぐらいかけてこんなになっちゃって。建て替えの時も、このまま移動させてきたんです」
赤江: ろ、60年ものですか!! 黒曜石のように美しく黒光りしております。タレの一滴一滴が固まって……タレの鍾乳洞ですな。もはや現代アートですよ(笑)。
なにはともあれ、席についたら、まずは赤星を。そう、我らがサッポロラガービールだ。
――いただきます!
赤江: くーーーーーーーーっっ。身体に沁み渡ります。毎年言っているような気がしますけど、今年の夏の暑さは異常ですよね。今日で7月の猛暑日日数が過去最多を更新するそうだから、赤星の美味しさもひとしお。指先まで浸透していくのがわかります。
あ、今、足の小指まで到達しました。
極上の牛もつ煮込みに瞠目
キンキンに冷えた赤星で一息ついたところへやってきたのは、団長の大好物であるもつ煮込み。牛の白もつを使ったこちらの牛もつ煮込みは、必ず注文したい看板メニューだ。
赤江: う、お。えーっ、おっ美味しい! おいし〜! (もう一口食べて、さらにトーンが上がって)おいし〜〜!!
赤江: なんですか、この煮込みは。見た目は濃そうだけど、甘すぎず辛すぎず。豆腐はしみしみで、もつはトゥルトゥルのプルプル。もつが口の中で溶けていきます。赤江史上最高のもつ煮込みに遭ってしまいました!
「あべちゃん」では3つの大鍋を使い分け、もつと豆腐が絶妙な具合に仕上がるように煮込んでいる。3番目の鍋では、脂が汁に溶け出さないギリギリのところまで炊き上げ、もつは最終形態に。そんな繊細な調理が独特のトゥルトゥルプリプリを生み出している。
夕方前だというのに、串焼きのお持ち帰りの注文はひっきりなし。すでに焼き台もうもうと煙を上げてフル稼働状態だ。
団長はゾッコンの牛もつ煮込みに加えて、キャベツ、玉子焼き、キムチとこれまた大好物で脇を固めて、しばし赤星の一杯を愉しむことに。
赤江: お、このキャベツはソースがかかっているのかと思いきや、違いますね。焼き物のタレですか?
「そうなんです。焼き物用のタレを使っています。ですが、このタレはまだ調味料を合わせただけというか、甕に入れる前の状態なので、後で焼き物を味わっていただくとわかりますが、味がまだちょっと硬いんです。でも、それが口直しのキャベツにはちょうど合っていて」
赤江: はい、とても美味しいです! 自慢のタレは、やっぱり継ぎ足し継ぎ足しで先代の味を守っているんですか?
「ええ、基本的に先代の味を受け継いでいはいるんですが、結果的にはかなり変わってきていますね。というのも、今は昔と違ってもつ焼きだけではなく、焼き鳥も大量に焼くようになりまして、焼き鳥は豚もつよりも脂がたくさん落ちるんですよ。
そうすると、タレの中にもその脂が入っていきますよね。つまり、よく調味油としても使われる鶏油(チーユ)がどんどん入っていくわけで、タレはよりサラッとした状態になるけど、味は深まっていきます」
赤江: なるほど、タレのレシピは変えていないけど、焼き物の変化で味わいがより複雑に進化してきたんですね。
で、鍾乳洞の成長もさらに加速していると(笑)。
変わらぬ味と、さらなる進化と
「あべちゃん」は、慎太郎さんで3代目。慎太郎さんのお祖父さんが昭和8年に始めた屋台が原点だという。
しかし、太平洋戦争時の2度の大空襲によって麻布十番は全域が焼け野原になってしまった。そこで、このあたり一体の土地を持っていた地主が、復興のためにと、ゆかりのある人たちに土地に譲っていったという。公平を期すために同じくらいの面積で譲っていったため、同じ長さの間口の店が並ぶ美しい商店街が形成されていったそうだ。
創業当時からの定番、焼きとんと煮込みに加え、サイドメニューは徐々に増えていった。玉子焼きは阿部さんのお父さんが加えた一品だが、こちらは築地の玉子焼き専門店「つきぢ松露」のもの。
「親父の好物だったんですよ。自分が食べたいもんだから、メニューに加えちゃったんです。そういう自分も大好物のミミガーなんかを加えましたけどね。このキムチも自分が一番うまいと思っているやつで、すぐそこの韓国大使館前にある店のものなんです。昔は一部の業者しか知らないものだったんですが、テレビで取り上げられてから人気に火がついて、今では手に入れるのは結構むずかしくなってしまったようです」
どれどれと、団長も玉子焼きをひと口。
赤江: ほどよい甘さで、ダシがふわりと香っていいお味。真っ当なお江戸の卵焼きって感じで、最高のおつまみです。赤星との相性もバッチリ!
キムチもこれまた美味しい。ちゃんと辛いけれど、深ーい旨みがあって、辛さがまろやかさで包まれていて後を引きます。伝統を守りながらも、代々の店主の個人的な好みも反映されているんですね。
赤江: ところで、阿部さんはここで生まれ育ったんですか? 子どもの頃から継ごうと思っていた?
「はい、この辺で生まれ育って、ガキの頃は有栖川記念公園とか田町駅のゲーセンで遊んでいました。中学はテレ朝前の六本木中でした。店を継ごうと強く思っていたわけではないけれど、大学生になって、ろくに学校にも行かずプラプラ遊び呆けていたら親父の逆鱗に触れましてね。『やることないならこの仕事やれよ』と。その通りだなと反省して、大学を中退して店に入りました。
飲食店はどこもそうですが人材確保がむずかしくて、家族でやるしかないという事情もあります。うちも今では弟や従兄弟も加わって、みんなで力を合わせて頑張っています」
行きによろうか 帰りにしようか
「あべちゃん」のスタッフはみなさんキビキビと元気がよく、接客が自然で気持ちがいい。そんな雰囲気の良さも一杯の旨さに拍車をかける。
勢いづいてきたところで、焼き物のお目見えだ。団長はとり皮、シロ、レバーをチョイス。件のタレをたっぷりとまとっている。
赤江: ああ、そうそう、コレコレ。このとり皮、差し入れでよくいただいていました!
でも、やっぱり焼き立てはさらに美味しい! シロもレバーもプリっと大ぶりで角までツンっと立っていて美味しいなあ。
赤江: これ、赤星のお供にはもちろんだけど、白いごはんもいいでしょうねえ。メインがもつ焼きと牛もつ煮込み、副菜にキャベツと玉子、キムチ。
実際、自分だけのフルコース定食で食事を満喫していく客も少なくないという。
これまた名物の、大根おろしでサッパリといただく国産牛ハラミを追加してフィニッシュ。まだ味わいたい串もあるが、さすがにお腹がパンパンだ。
ここで団長は、都々逸が好きだったという阿部さんのお祖父さんが好んだ言葉を記した箸袋に目を落とす。
行きによろうか
帰りにしようか
ならば行きにも帰りにも
赤江: “裏を返す”というやつですかね。呑兵衛の素直な気持ちを表したいい都々逸ですね。私もちょっとカフェで読書してから、帰りにまた寄らせてもらおうかな(笑)。
今日は無理だけど、また近いうちに必ずおじゃましますね。
――ごちそうさまでした!
(2023年7月26日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠