あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の片瀬那奈団長が、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
■日本屈指の老舗ロシア料理店
歴史上稀に見る猛暑となった2018年の夏は、今思えば、6月に開幕したサッカーW杯ロシア大会の熱狂から始まっていた。
サッカー通として知られる片瀬団長は、忙しいスケジュールの合間をぬってロシアへ飛び、サンクトペテルブルク、エカテリンブルクでそれぞれ試合を取材。いよいよ4強に絞られた終盤戦の予想を、ロシア料理店でひとり、ザクースカ(前菜)の盛り合わせを味わいながら練っていた。
ロシア人は水代わりに飲むというビールを団長もグビリ……おっ、ラベルには赤い星! これはサッポロラガービール、我らが「赤星」ではないか。
そう、ここは、何を隠そう東京・高田馬場。駅前ロータリーを挟んだ反対側、ドン・キホーテと芳林堂書店が目印のFIビル2階にひそむ、日本屈指の老舗ロシア料理店「チャイカ」。
ロシアから帰国したばかりの団長だが、本格ロシア料理を赤星と共に楽しめる店があると聞いて駆けつけたのだった――。
――あらためまして、いただきます! んー、おいしい。こちらのお店にはロシアのビールも揃っていますけど、日本の気候にはやっぱり赤星が合うんだなあ。
ロシア料理のフルコースではバラエティ豊かなザクースカ(前菜)がビュッフェ形式で並べられるのが一般的だが、「チャイカ」ではアラカルトで、単品はもちろん、数種類をほどよい盛り合わせで味わうこともできる。
この日の盛り合わせは、ビーツとポテトのサラダであるカルトーシカ、サーモンマリネのケター、ニシンの塩漬けのセリョートカ、キノコやキャベツのロシア漬けなど、彩り豊か。まるで「大人のお子様ランチ」といった風情だ。
片瀬: 一つひとつがホントにおいしい! ロシアでいただいたお料理ももちろんおいしかったけれど、さすがは日本ですね。
ロシアでは塩気がちょっときついと感じることも多かったけど、こちらは日本人にちょうどいい塩梅。ニシンなんか、もう最高です!
一皿をペロリとたいらげ、赤星をキュッとやってひとごこち。窓の外に目をやると、西武線の電車が行き来している。そこへやってきたのは、ブリヌイというこれまた聞きなれない料理だ。
ブリヌイとはロシア風クレープのことで、団長はサーモンと野菜をたっぷりと挟んだブリヌイ・サーモンを選んだ。
片瀬: はー、ほっとする味。ロシアでもいろんなところでいただきましたけど、こんなにおいしいブリヌイにはなかなかお目にかかれなかったなあ……。何が違うんだろう。これからはロシア料理が食べたくなったら高田馬場だな。馬場ロシア、恐るべし!
「チャイカ」のテーブルには、キリル文字の文章が並ぶランチョンマットがしかれている。アルファベット順に並ぶその文章は、オーナーの麻田恭一さんが集めた食べ物に関するロシアの諺だという。
「“1枚目のブリヌイは丸まる”という諺もあるんですよ。ブリヌイを焼くときに最初の1枚目はなかなか薄くきれいに焼けないってことを指していまして、“物事は初めはうまくいかないものだ”という意味になります。
うちの店は亡くなった父が始めたのですが、40年もやっているとうまくいかない時もあり、何度か父に店を閉めさせようとしたことがあったくらいです(笑)」
■学校再建のためのレストラン?
「チャイカ」は創業1972年。麻田さんはその誕生の歴史をひもとく。
「父は旧満洲国にロシア人がつくった町であるハルビンで青春時代を過ごしました。ロシア語を学ぶために満州国立大学ハルビン学院に進んだのですが、敗戦と同時に大学はなくなり、父は運よく抑留されずに日本に帰ってきました。日本では出版や印刷を手がける会社をおこし、25年間続けて、ようやく暮らしも落ち着いてきました。
1971年、大学の同窓会がモスクワで開かれ、当時の仲間たちと再会した父は、同窓生たちと杯を重ねるうちに盛り上がり、旅行から戻るやいなや母校の再建を目指します。そして、ここが話の変なところなんですが、学校の設立資金をつくるために、仲間7人でロシア料理店を新宿歌舞伎町の裏に開いたのです」(麻田さん)
片瀬: えっ!? レストランをやりたかったわけではなく、学校をつくるために? どういうこと(笑)?
「信じられない飛躍です(笑)。第一、ロシア料理でそんなに儲かるはずがない。やっぱり特殊なジャンルですから、多くの方が頻繁に来店してくれるようなニーズはないし、料理人の確保や育成だって大変です。歌舞伎町の裏で約12年、新宿二丁目に移転して約12年、それからここ高田馬場に再移転したのですが、案の定、学校の資金をつくるどころか赤字を垂れ流すような状況が続いていました。
それもそのはず、父はコストのことなんかお構いなしに、自分が若い時に経験した味を再現することばかり考えていましたからね。でも、そうやって愚直に続けてきた店なので、味はしっかりしていると思います。ちなみに今は、なんとか赤字は出さずにやっております(笑)」
片瀬: 数ある料理の中からなぜロシア料理を? と気になっていましたが、先代のロシア愛がいっぱい詰まったお店だったんですね。本格派なのに、とってもリーズナブル。お父さんの想いがしっかりと受け継がれています。
■多様性に富む料理に舌鼓
定番の煮込み料理、ボルシチはもちろん通年メニューだが、夏場はビーツを使った冷製バージョンが人気だ。ビーツによって美しいピンクに染まったスープに団長は目を丸くする。
片瀬: これ、ボルシチなの? どこからどう見ても、イチゴ味のデザートにしか見えないけど。
どれどれ……あ、おいしい。ベースはいわゆるヴィシソワーズ(ジャガイモの冷静ポタージュ)ですね!
予想をいい意味で裏切る、おいしくてインスタ映えするスープ。そして、(赤星を一口飲んで)冷たいビールとの相性も……いい!
麻田さんとロシアとの縁も深い。お父さんの影響もあって、一度大学を卒業した後、上智大学のロシア語学科で学び直し、旧レニングラード(現サンクトペテルブルク)に留学。旧ソ連各地でのツアーガイドの経験もあり、食文化を含めロシア文化全般に精通している。
片瀬: ロシア料理といえば、ボルシチやピロシキ、ビーフストロガノフなどが思い浮かびます。ピロシキは路上でファストフードとして売られているのを見かけましたが、ボルシチやビーフストロガノフも一般的によく食べられているんですか?
「ボルシチは元々はウクライナの料理で、今ではロシア全土で広く家庭料理として食べられています。ビーフストロガノフは一説には名家であるストロガノフ家に伝わる料理とされていて、どちらかと言えば高級料理の部類に入ります。シャシリクという肉料理はラム肉を串焼きにしたステーキでして、これはジョージアなどコーカサス地方の代表的な料理。中央アジアの影響を受けていると思います。
ペリメニという料理は、シベリア風水餃子です。シベリアでは餃子を軒先に吊るして凍らせて保存食にします。ご存じのように、餃子はロシアと国境を接する中国やモンゴルでよく食べられていますよね。つまり、ロシア料理は、いろんな国や民族の料理がモザイク状になって構成されてるバラエティ豊かな食文化なのです」(麻田さん)
■ハルビン生まれ、日本育ちの味
団長は麻田さんの話をふむふむと聴きながら、ピロシキをパクリ。サクッとしたパンの中からジューシーな肉餡が溢れてくる。
「ピロシキとは本来は“揚げたもの”という意味でして、中に入っている具材は多種多様です。しかし、うちのもそうですが、日本で作られるピロシキは肉の餡が一般的で、しかも春雨が入っていることが多い。
でも、ロシアでは春雨入り肉餡のピロシキは珍しい。なぜ日本のピロシキがこのようになったかというと、中国東北部の食文化の影響を受けたハルビンのピロシキが、日本ではスタンダードとして定着したからなのです」(麻田さん)
片瀬: オリンピックの取材で、黒海沿岸の町ソチに行った時に、2月でも暖かいし、そもそもロシアにこんな素敵なリゾート地があるのかと驚きました。そういえば、今回、レストランでキエフ風カツレツ(ロシアのチキンカツ)をイメージして注文したら、魚のすり身だったことがありました(笑)。
ひと口にロシアと言ってもあれだけ広大で、いろんな国と接しているんだから、気候風土も文化も料理も多様なわけですよね。もっとロシア料理のことが知りたくなってきました。
〆に選んだのはグリブイという小麦粉の生地を使ったつぼ焼き。中身は鶏肉とマッシュルームのクリーム煮だ。
片瀬: このカップには、おいしい要素しかないはず!
(熱々のふたを外してちぎり、浸して食べて……)はい、うまい!
今日いただいたお料理、どれも、身体にすーっと入ってくる素直なお味がします。
ロシアで現地の人にインタビューしながら感じたんですが、ロシア人と日本人って意外と相性がいいんじゃないかな。それまでは屈強で怖そうなイメージがあったんですけど、実はシャイで、お茶目で、話しているうちにだんだん打ち解けていく感じも日本人の気質と似ている気がしました。
たしかに頻繁に食べるジャンルじゃないですけど、馬場ロシア、ホッとしたくなった時、また必ず来ます!
――ごちそうさまでした!
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘアメイク:青山理恵
スタイリスト:大沼こずえ
衣装協力/MSGM