あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の3代目団長・片瀬那奈さんが、名酒場の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
■ガード下魂を受け継ぐ極上安うま繁盛店
「ガード下」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか――。
最近は、大胆なリノベーションによって、おしゃれなカフェや雑貨店に生まれ変わるところも増えているが、まだまだ多くの場所は、古くてお世辞にもキレイとは言えない。けれども、安くて、うまくて、ほっこりくつろげるサラリーマンたちの天国が、そこにはある。
JRの線路下で老舗の飲み屋が元気に営業を続けている有楽町は、まるでガード下美観(?)保護区のような大衆酒場ファン垂涎の地。団長はこの日、なかでも指折りの人気店「新日の基」を調査対象に選んだ。
入口には届いたばかりの新鮮な魚介類が入った発泡スチロールの箱が積み上げられている。入るとすぐに階段があり、下は厨房がある半地下の1階、上は中2階のような高さの2階へと続いている。団長は2階中央のテーブル席に腰を落ち着けた。
片瀬: わあ~! 外からは分からなかったけど、奥行きがあってすごく広いんですね。そして、天井がおもしろい形。アーチ状になっていて……。ガード下って、こんな構造の場所もあるのね。
「実はこれ、下までぐるりと丸くなっているんですよ。1階と2階が大きな筒の輪切りの中に店がすっぽり収まっているような状態なんです。この構造のガード下はとても頑丈らしいですよ」
そう話すのは、「新日の基」の2代目であり、現在は会長としてご隠居の身の西澤栄一さん。有楽町ガード下の生き字引である。
片瀬: 会長は、え!? 今年84歳!? なんてお若いんでしょう! 今日は美味しいお料理をいただきながら、いろいろお話をうかがいたいです。よろしくお願いします。
と言って品書きを手に取った団長の目にグッと力が入る。「メニューの数、すごいな」と、ちょっと困って、でも、すごくうれしそう。
毎日手書きで記されるお品書きには、食べ物だけでざっと100種あまりもの魅惑的なワードが並んでいる。この日は刺身だけで約20種、酢の物、煮物、揚げ物、焼き物、お浸しや冷奴その他と、居酒屋メニューがずらり、全方位体制だ。
片瀬: ああ、どうしよ、目移りしちゃって決められない……。会長、オススメは何でしょうか?
「そうですね。肉豆腐はいかがですか。これは創業当時から変わっていないもののひとつで、常連さんにも人気の品です。
それから、魚介は毎朝、河岸に行って仕入れていますから、なかなかいいと思いますよ。ちょうどいま、下で板前さんたちが仕込みの真っ最中です」(西澤さん)
片瀬: いいですね、肉豆腐、ください!
お魚は、んー、いろいろ食べたいけど……えっ盛り合わせもできる? では、おまかせの盛り合わせで!
それから……あ、ノドグロもある! ノドグロ大好き。せっかくなので、いただきましょう。こちらは塩焼きでお願いします!
片瀬: あと、野菜も欲しいかも。天ぷらがおススメ? じゃあ、カボチャ。大好物なの。それと、アスパラのバター炒めもいっちゃおう。
いけない、いけない、この調子だと、とんでもない量を頼んじゃうわ。ちょっと落ち着こう。なにはともあれ、まずはビールよね。瓶ビールもお願いします!
最初に頼んだ肉豆腐とともにやってきたのは、サッポロラガービール、通称「赤星」。こちらでは昭和21年の創業当初から置いているという。今夜の赤星もいい冷え具合だ。
「一緒に一杯いかがですか」と、団長が会長のグラスへトクトクトクトク……。「それでは御返杯。こんな美人と飲むなんて緊張しちゃうな」と会長が団長のグラスへトクトクトク……。こんないかにも日本的な儀式も様になるシチュエーションだ。
――ではでは、カンパ~イ。
片瀬: んーー、うまいな、今日も、赤星!
■昭和戦後史を見届けた老舗の物語
さて、肉豆腐だ。全体的に盛りがいいとは聞いていたが、予想のさらに上をいくボリューム感。豆腐がドーン、肉たっぷりで、まさに肉+豆腐=肉豆腐。
片瀬: すごッ! これ、お豆腐一丁分入ってるんじゃない? いただきまーす。
(アツアツをハフハフやりながら)お醤油ベースのこのお味、ホッとするなあ。何十年も愛情をたっぷり注ぎ続けた味だからでしょうね。大きなお麩もたっぷりと出汁を吸って、どれどれ、ん~、おいしい~。わたし、これなら10杯はいけると思う。
のっけからアクセル全開の団長。アツアツのところをモリモリ食べながら、会長に店の歴史についてうかがった。
「私の父は、戦後すぐ、これからは国民が飢えから解放されて豊かになっていく時代だから飲食業が伸びると確信して、浅草や上野、銀座などにジュース屋や飲み屋を開店していきました。この店もそのうちの1軒なんです。一時は随分たくさんの店舗を抱えていたようですが、商才がなかったんでしょうかね(笑)、結局ここを残すだけになりました。
ここは元々、引揚者の宿泊所だったんですよ。海外から港に着いて東北方面に帰っていく人たちが、上野駅から出発する前にひと休みするための簡易的な寮のようなものでした」(西澤さん)
片瀬: すごい話を聞いちゃいました。なんていうか、もう、居酒屋兼鉄道遺産ですね。そう言われてみれば、壁際に布団を並べたら、ちょうどいい宿になりそうな造りですよね。おこもり感もあって落ち着きそう。
「父は、ここの大家さんの屋号から名前をいただいて居酒屋を始めました。隣に『日の基』という店がありますが、あちらはもともと亡くなった弟がやっていて、私が『新日の基』を担当してきました。今、『日の基』は弟の息子、つまり甥っ子が店主を務め、この『新日の基』は私の娘の旦那、イギリス人のアンディが取り仕切っています」
片瀬: ああ、表の赤ちょうちんと貼り紙に「Andy’s」と書いてあったのは、そういう訳なんですね。国際派の後継者がいて、ふたりの娘さんも一緒に家族で切り盛りされて、頼もしいですね。
ところで会長は開店当初の記憶はありますか? 昭和21年といえば、戦後の混乱期の真っただ中ですよね。
「当時、私は渋谷に住んでいましてね。たまにここに連れて来られると、渋谷に比べてずいぶん都会だなと思いましたよ。劇場がたくさんあって、敗戦後とはいえ華やかな雰囲気がありました。
当時、東京宝塚劇場はGHQに接収されて『アーニー・パイル劇場』と改称されて、駐留米軍専用の劇場になっていました。ですから街には米兵が大勢いて、派手な夜の女たちも多かった。今も鮮明に憶えていますよ」(西澤さん)
片瀬: へ~。なんかもう、映画かドラマの世界だなあ。そうか、当時の渋谷はまだ静かな場所だったんですね。
でも、そうやって戦後すぐから今に至るまでずっと、都心のど真ん中で、こういう家族経営のお店が頑張ってるっていうのは奇跡のような気がして、なんか嬉しいですよね。
時折、店全体にガタゴトと響く、電車の通る音が心地いい。ガード下ならではのBGMだ。
■刺身に、焼き物に、魚のうまさに脱帽
団長は刺し盛りを前に目を輝かせている。
この日は、金目鯛、水ダコ、ブリ、ホタルイカ、中トロ、マグロ赤身の盛り合わせで、これでなんと2500円という破格値。ホタルイカのぷりっぷり具合を見ても、金目鯛の角が立った切り身を見ても、どれも一級品であることがわかる。
片瀬: (刺身をしばし無言で食べて)これ、白いごはんもいいな。あの、ごはんは……あ、置いてない。じゃ、エアごはんでいきましょう!
左手にどんぶり飯を抱えているつもりで、団長は刺身を平らげていく。時折、追加で頼んだアスパラバターもはさみ込み、赤星をグビリとやって幸せそうだ。
片瀬: アスパラのバター焼きなのに、しっかりマヨネーズが添えてあるのがにくいよね。みんなの気持ち、わかってる。
「新日の基」は、モノのよさ、良心価格、何気ない気配りで多くの常連を獲得していった。西澤さんは、往時を振り返り、毎日大変だったと笑う。
「昔は国際フォーラムのところに都庁がありましてね。それから、大手の新聞社も近辺に揃っているから、お陰様でお客には恵まれました。記者たちがその日の原稿を入れ終えた夜中にまた賑わうんです。でも、昔の新聞記者って喧嘩っ早い人が多くてね、店でしょっちゅういざこざが起きて困りましたよ。お金払わずに裏口から逃げちゃう人もいました。
それから、某新聞社には、ツケで飲む人が多くてね。年2回ボーナスの時に会社に支払いの催促に出向くんですけど、その時には地方転勤になっていて、泣き寝入り、なんていう痛い目に何度も遭いました。今となってはもう笑い話ですけどね」(西澤さん)
片瀬: え、それはひどい。今では考えられませんね。いちおう社名は伏せて起きましょう(笑)。そんなこともありつつ、社会が大きく変わっていく中で、会長はずっとここを守り続けたんですね。
■昭和の香りを残しつつグローバル化
開店後間もないのに、早くも2階のフロアは席が埋まりつつある。驚くことに、その大半が外国人だ。
いくつかのテーブルでは、山盛りのタラバガニをみんなで楽しそうに味わっている。どうやら、外国人観光客の間では知る人ぞ知るディナースポットとなっているようだ。
片瀬: 外国の方が本当に多いですね。自分が一瞬どこにいるのかわからなくなるような不思議な感覚。アンディさんがお店に入ってから変わってきたんですか?
「彼の功績は大きいですね。メニューも少しずつ変わってきましたよ。フィッシュ&チップスやガーリックシュリンプがある居酒屋って他にはあまりないですよね(笑)」(西澤さん)
「少し前までは私も河岸へ行って仕入れを手伝っていたんですけど、私が買うものは売れ残るようになっちゃってね。骨の多い魚とか、通好みの魚は外国人にあまり受けない。例えば、トビウオとか……」(西澤さん)
片瀬: トビウオ、おいしいでよね、わたしは好きですよ(笑)。でも確かに、食べ慣れない外国人には上級編かもしれませんね。わー、ノドグロ来たー。
この日のノドグロは1尾3000円となかなか高級な肴だが、これだけ立派な型なら、間違いなくお値打ちといえる。
「ノドグロなんかは、おもしろいことに、日本人よりも、むしろ外国人がよく召し上がるんですよ。日本人は、もちろん美味しいのは分かっているけど、居酒屋ではちょっと手を出しにくい値段なのかもしれませんね。
でも、わざわざ来た外国人は、『せっかくだからこの高いやつを食べてみたい』となるんです。旅行した時って、そういう気分になりますよね。それで食べてみて、『なんだ、このうまい魚は!』と、みんな驚くんですよ」(西澤さん)
うんうん、うんうんと団長は会長の話を興味深く聴きながら、ノドグロの半身をペロリ。「焼き加減も塩加減も絶妙」とうっとりしている。
片瀬: 実はわたし、お酒は好きなんですけど、ガブガブ飲む方ではないので、なんだか申し訳ない気がして居酒屋に行く機会ってほとんどなかったんです。特に、「大衆酒場」っていう雰囲気のお店は今日がデビューって言ってもいいくらい。でも、本当は大好きなんです、こういう気取らないお料理が。
今日いただいた肉豆腐とか、アスパラバターとか、居酒屋とか定食屋さん以外では外でなかなか食べられないメニューですよね。だから、そうものが食べたい時はいつも家で作っているんだけど……今日わかった。
格段においしいですね、お店の方が。素材や味付けの違いはもちろんあるけれども、こういう賑やかな雰囲気の中でいただくからおいしいの。
たくさんあるメニュー、端からぜんぶ食べてみたいです! また来ますね。次回は白いごはん持参で(笑)。
――ごちそうさまでした!
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘアメイク:面下伸一
スタイリスト:大沼こずえ
衣装協力/KAREN WALKER