なぜアノ居酒屋は時代を超えて愛されるの? お客さんが笑顔で出てくるのはどうして? 近ごろ「女一人でちょいと一杯」にハマりはじめた赤江珠緒さんが、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探るべく、名酒場の暖簾をくぐる――。
■変わらぬ魅力に惹きつけられる人々
名店ひしめく吉祥寺でも指折りの人気店「いせや」。「赤星★探偵団」の団長・赤江珠緒さんは今回、呑兵衛の聖地ともいえるこの老舗に狙いを定めた。
「いせや」には、吉祥寺駅南口から徒歩5分の総本店のほか、井の頭公園に隣接した公園店、北口店の3店舗がある。とある金曜日のお昼前、赤江団長が向かった先は総本店。店内では正午の開店に向けて、スタッフ総出で串打ち作業が行われていた。
赤江: それにしてもすごい量の焼き鳥ですね。これでこの店舗の1日分ですか? いったい何本くらいあるんですか?
答えてくれたのは同店主任の斉藤茂規さん。団長と同い年ながら、「いせや」で働きはじめて20年以上のベテランだ。
「今日は3000本くらいですかねえ。平日だから少ないほうです。土日だとこれの倍、花見の季節は1日1万本はいきますよ。そうなると、もう、てんてこ舞いです」(斉藤さん)
そう、「いせや」は焼鳥がメインのお店。1928年に精肉店として創業後、1950年頃から店先で焼き鳥を販売するようになったという。
「元々は惣菜もやっていたらしいんですけど、肉も焼いてよという声が増えて、店先で焼き鳥を焼くようになったそうです。熱々の串を店先で食べていると、お酒も、となるのが自然な流れですよね。そんなふうに常連さんの要望に応えているうちに、今のような飲み屋になったそうです」(斉藤さん)
人通りの多い角地に建ち、2面を大きく開口して営業する堂々たる和風建築は、いつしか吉祥寺のランドマークとなっていた。老朽化のため、2008年に惜しまれつつ改築したが、創業の地で、以前と変わらぬスタイルで営業を続けている。
建物は鉄筋コンクリートの大きなビルになったが、1、2階は旧店舗の雰囲気をしっかりと残して生まれ変わった。古くからのファンも、さぞや安堵したことだろう。
赤江: 確かに、よく見たらココ、上はマンションになっているんですね。お店の中や店先は焼き鳥の煙で燻されて真っ黒になっているから、てっきり古い建物かと思ってしまいました。10年足らずでこんなに煤けるものなんですねえ。内観もすでに老舗の風格です。
■誰もが自由に、自分の流儀で一杯を楽しむ
店の歴史について聞いていると、いつの間にか店先にお客さんが並び始めた。まだ開店時間の30分前。1階はカウンターとテーブルで50席ほどあるほか、立ち飲みコーナーもある。ゆっくりくつろぎたいという向きには2階のテーブル席や座敷がおすすめで、こちらにも70席ほどある。
赤江: お客さん、もう並んでるんですね。でも、今日なら絶対に座れるじゃないですか。
「いつもこんな感じです。土日だとこの時間にはもう行列になっています。ちなみに先頭の2人はほぼ毎日いらっしゃる常連さんです。単に座りたいだけじゃなくて、自分のお気に入りの席を確保したいから早く来るみたいなんです。先頭のお客さんはカウンターの一番手前のイス席に座るはずです」(斉藤さん)
正午。開店が告げられると、並んでいたお客さんは各々スイーッとお目当ての席に向かっていく。先頭にいた初老の男性は、斉藤さんの予言通りの席に陣取った。焼き台に立つスタッフに「いつもの」という仕草で飲み物をオーダーし、荷物をイスの左横に置く。
赤江: あのお客さん、入店してからの動きにまったく無駄がありません。これぞルーティンというやつですね。えーーっ、カウンターの上を片付け始めましたよ! メニュー表とか調味料とか全部きれいに並べています。……お客さんというより、もう店側の人じゃないですか!(笑)
「ええ、これも毎日のことです。うちは灰皿とか適当に置いちゃうんですけど、全部同じようにそろっていないと、なんだか気になるらしくて……」と斉藤さんも苦笑いする。
開店から間もなく、イスはあらかた埋まり、焼き鳥のお持ち帰りコーナーにも列ができ始めた。赤江団長も「いざ参戦!」とばかりに、焼き台にかぶりつくような立ち飲みコーナーに潜入した。
■つかず離れず、お店とお客の絶妙な距離感
赤江: 瓶ビールをお願いします。それと、焼き物のおすすめは……はい、4本セットの、じゃあ、そのミックス焼き鳥で。タレか塩かはお任せします。
サッポロラガービールをトクトクと手酌。そして、いただきます!
――ぷっはー!
「テレビに出ている人だよね」
「オレ、ラジオ聴いてますよ」
念願の一杯を堪能していると、お客さんたちから声がかかる。まるで知り合いと天気の話をするかのように屈託がない。
赤江: ありがとうございます。みなさん常連さんですか? ……よく顔を合わせるけどお互いのことはよく知らない、と。へ~、なんだかいい関係ですね。
「はい、ミックスです」
目の前で焼かれたばかりの焼き鳥の盛り合わせが手渡される。この日のミックスは、タン、ひなどり、つくね、シロの4本。1本1本が大ぶりで、これで320円とは驚きだ。
赤江: ん、うん、うん、おいしい! さすがお肉屋さんの焼き鳥。焼き加減も絶妙。
常連客がもう一人すっと入店して、定位置に落ち着いた。「今日は早いじゃん」「風が気持ちいいね」。他愛もないやりとりが、はたから聞いていて心地よい。
毎日のように来るお客さんが姿を見せなくなると、スタッフも他のお客さんも、その人になにかあったのかと心配してしまうという。
「いせや」は、けだし吉祥寺の社交場だ。誰もが自由に出入りでき、ほどよい距離感のコミュニケーションを楽しみながらグラスを傾ける。一人静かに飲みたい人はそっとしておく。みんなでお酒を楽しむための暗黙のルールがここには、ある。
「よほど頻繁に来る常連さんでも、うちのスタッフはその人が何の仕事をしているのか、詳しい素性を知らないと思います。ほとんど名前も知りません。互いにつかず離れずの距離を保っている感じで、そこが毎日来ても落ち着けるポイントなのかもしれません。
名前を知らないので、スタッフの間ではお客さんにあだ名をつけて、認識を共有していたりします。例えば“お地蔵さん”とか“ゲーマー”とか、その人の飲んでいる様子を表現したあだ名が多いんですけどね。“パンくん”というあだ名は、本人や他の常連さんにも浸透している珍しいケースです」(斉藤さん)
“パンくん”はレイバンのサングラスがトレードマークの常連客だ。この日は自分の顔写真をプリントしたオリジナルTシャツをまとい、意気揚々と現れた。
赤江: “パンくん”っていうあだ名の由来はなんですか?
「ある日、『これ差し入れ。みんなで食べて』って袋を渡されたんです。なにが入っていたと思います? パン1斤ですよ(笑)。それ以来“パンくん”に」
焼き場スタッフの解説に、当の本人は「オレはいせやのアイドルだから」と上機嫌。すかさず、おそらく40歳ほど年下のいせやスタッフから「自分でいうなよ」とのツッコミが入り、みんなで大笑い。
赤江: はははは! いいなー、私もあだ名をつけてもらえるくらい通いたい。職場の近くにあったら毎日来ちゃっていると思います。焼き鳥もペロッと4本いっちゃいました。本当においしいのに、1本80円って今どき破格ですよね。こんな都会の一等地で、丁寧に炭火焼きしているのに。
■手間はかけても値段は安く、の心意気
「1993年ですかね、消費税3%導入の時にやむを得ず値上げして以来、ずっと80円でがんばっています。うちはビールも大瓶で500円だったり、お酒も手頃だから、2000円もあればかなりお腹いっぱいでいい気分に酔えると思います。でも、実は常連さんはあんまり焼き鳥食べないんですよ。もう食べ飽きちゃったのかも(笑)」(斉藤さん)
赤江: 確かに、みんな入ってくるなり、「日替わり」とお酒を頼んでいますね。今日の日替わりはシメサバ。立ち飲み組は、みんなシメサバで飲んでますよ、焼き鳥屋さんなのに(笑)。
赤江: ここに立っていると、このもうもうという煙がちょっとしたおつまみになりますよね。このおいしそうな香りでも一杯飲めちゃう。常連さんの気持ちもわかります。
若い女性グループやカップルも多いですね。初めてだと、入るのにちょっと勇気がいるかもしれないけど、いったん入ってしまえば全然平気。不思議と気分が落ち着きます。
「90年代までは、男性客ばっかりでむさくるしい雰囲気だったけど、吉祥寺がおしゃれで便利になって“住みたい街”とかいわれるようになってから、若い女性客もずいぶん増えました。みなさん楽しそうに、そしてかっこよく飲んでいかれます」(斉藤さん)
赤江: 焼き鳥はホントにおいしいし、こうして串を持ったまま一歩出ると、そこは大都会。道行くバスの乗客が「いせやは今日も昼から元気だな」とうらめしそうにこちらを見ていて、ちょっとした優越感と背徳感を味わえます。この非日常的な感覚、クセになりそう。
――ごちそうさまでした!
構成:渡辺 高
撮影:峯 竜也
ヘアメイク:高本奈穂子