あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? このほど赤星探偵団の3代目団長に就任した片瀬那奈さんが、名酒場の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
■主人の包丁さばきを目の前で
江東区門前仲町は、江戸時代からの下町、旧深川を代表する地域。その名のとおり門前町として古くから賑わい、辰巳芸者を擁する花街としても栄えてきた。飲食店が密集しており、とりわけ、飾らない味な飲み処には事欠かない。
今回、片瀬団長は、門前仲町の路地裏で30年あまり、静かに営業を続ける一軒を選んだ。その名も「志づ香」。
「志づ香」は全16席の小体な造りで、厨房を囲むように配された重厚な木のカウンターが印象的な料理店だ。団長は調理の様子がよく見えるカウンターのど真ん中を確保した。気合が入っている。
片瀬: 今日は5月だというのに真夏のような暑さ。こんな日は、キンキンに冷えたビールしかないですね。瓶ビールをお願いします!
さっとカウンターに出されたのは、たっぷりの氷水に、いわゆる“どぶづけ”で冷やされたサッポロラガービール、我らが「赤星」。団長の手酌も板についたものだ。
トクトクトク……グラスの9分目のところでひと休み。
片瀬: ここでひと呼吸おいてから、さらにひと注ぎする瞬間が好きなの。泡がほどよい感じになって。
――それでは、いただきま~す。
片瀬: うん、たまらない。沁みます。
料理は旬の素材を使った日替わりで構成されるおまかせのコースが基本だが、単品でも楽しめる。団長はコースを選んだ。
カウンター内で調理を一手に担うのは、店主の静武徳(しずか・たけのり)さん。「志づ香」という店名は、そのめずらしい名字からとったものだ。
「よく女性の名前から付けたのだろうと思われるのですが、私の名字なんです。静姓のルーツは、地方に逃げていた静御前をかくまって助けたことを機に名乗るのが許されたという説があるとか。
私自身は新宿区百人町の生まれです。新宿といっても、昔から意外と住宅地がある場所でして、それでも、こことは違って、まあ騒々しいところでしたね」
片瀬: じつは私、実家がお隣の東陽町で、七五三も富岡八幡宮にお世話になったり、このあたりには親近感があるんです。地元で飲むとリラックスできるから不思議ですよね。
そんな話をしているうちに、一品目が登場。ホタルイカの酢味噌和えだ。ひと口ほおばった団長は、シャクシャクシャクと小気味いい音を響かせながら、目を丸くしている。
片瀬: 見て、このホタルイカ。プリップリで、はち切れそう。そして、またネギのおいしいこと。この食感、衝撃的だなあ。
(赤星を一口やって)この濃厚な酢味噌だけで、ぐいぐい飲めちゃう……。いけない、いけない、ゆっくりやりましょうね。
■魚にも器にも惜しみなく注がれる愛情
お次はお造り。この日は肉厚なマコガレイだ。魚は毎朝築地に出向いて仕入れるが、熟成させた方がうま味が出る魚は、きちんとねかせてベストな頃合いで提供するのが静さんの流儀だ。
片瀬: ああ、これは!(と、さっきよりも目を見開く)ねっとりとして、濃厚なうま味が押し寄せてくるの。後味もうま味が続くんだけど、爽やか。おいしっ!
「獲れたてのコリコリした食感のお刺身もごちそう感はあるんですが、その魚が持っている風味を楽しむならねかした方がいいと思っていまして。このマコガレイは3日間かけてゆっくり脱水して熟成させたものです」
カウンター席は静さんの丁寧な手仕事を目でも楽しめるライブ劇場。素材のことや調理のことなど、あれこれおしゃべりできるのもうれしい。
片瀬: 入って来た時から思っていたんですが、器がどれも素敵ですね。ご主人は陶器がお好きだとお見受けしました。金継ぎして大切に使われているお皿も多いようですし。
「ええ、土ものの器が好きでして、備前の釉薬を使わないシンプルなものを中心に集めています。金継ぎも自分でやっています。昔は自分でも陶芸を趣味でやっていまして、実はその醤油皿は私が作ったものなんですよ」
「私の作った皿に盛り付けさせていただきました」と出てきたのは、見るからに香ばしく焼き上げられた大きな穴子だ。
片瀬: ご主人、趣味というか、玄人はだしの域です。また、穴子の白焼きが映えますねえ。ワタシ、穴子の白焼き、大好きなんです。ウナギなんか目じゃない、穴子が、そして、白焼きが好きなの。
どれどれ……
片瀬: (遠い目をして)おいひい。皮目がパリパリ、でも身はふわっとしていて、肉汁といっていいのかな、うま味がジュワッと広がる。ワタシ史上最高の穴子です!
「ありがとうございます。鮨屋や天ぷら屋では100gくらいの穴子を使うことが多いんですが、うちではなるべく300~500gの大きなものを選んでます。パリッとした皮目とふわっとした身のコントラストが際立って、焼いた時には大きい方がおいしいと思っているもので」
■予想の斜め上いく驚愕のサラダ
最後の穴子を惜しむように味わって「喉ごしもいいんだよなあ」と独りごちている団長の目の前に次に現れたのは、カニサラダだ。
「サラダといっても、野菜はカイワレがほんの少し入っているだけで、ほとんどカニです。ズワイガニの身を、カニ味噌のソースで和えています」と静さん。
いまいちピンときてない様子の団長だったが、一口食べて「おいしー!」と唸る。
片瀬: これ、カニサラダって呼んだら無礼なくらいザ・カニです。っていうか、もう、カニそのもの。おいしー。
(カニひと舐め&赤星グビリ)はあ、おいしー。本当においしい。私、さっきから、おいしいしか言ってないかも(笑)。
そうこうするうちに、店内に香ばしい芳香が漂い、鼻腔をくすぐる。静さんが、串打った何かにしょうゆダレを掛けながら、丁寧に、じっくりと焼き目をつけている。
このなんともいえない香りの正体は、タケノコの木の芽焼きだ。
顔を近づけてしばらく香りを楽しんだ団長は、丁寧に焼き上げられたタケノコをパクリ。
片瀬: はぁ、ほっとするお味。これ、一度煮てから焼いてあるんですね。お出汁を吸ったタケノコがシャキシャキとして、いい香り。エグ味ゼロ。
ご主人、私、タケノコが大好きで自分でも料理するんですけどね、どうもアクがうまく抜けなくて困ってるんです。私のいつものやり方は……(しばしタケノコ調理相談)
そこへまた別の芳香が漂ってきた。湯気を立て、甘く濃厚な香りと共にやってきたのは、この日の最後の肴、ホタテのウニ焼きだ。
「おじいちゃんが青森でホタテの養殖をしていて、私も小さな頃から新鮮なものをいただいていたので、ホタテにはちょっとうるさいんです」なんて笑いながら、ひと口。
片瀬: はい、合格! というか、めちゃくちゃおいしいです! ホタテ自体もとってもおいしいし、このウニソースが、もう最高。日本酒にも合いそう。白いご飯もいいでしょうねえ。私なら、このひと匙でご飯2升はイケるな(笑)。
「志づ香」さんは、一品一品のボリュームがしっかりあるから、旬のタケノコを堪能できたなとか、今日はおいしいホタテを存分にいただいたなあと、満たされた感じがありますね。
■たっぷり味わってこその口幸
静さんがこの店を開いたのは、ちょうど30年前。料亭や、ふぐ料理も出す割烹料理店などで10年間修行したのちの独立だった。開店当初からスタイルはほとんど変わっていない。
「懐石をやっている中で、洗練された技術や様式に感心する一方で、これは私の考えるおいしさとは違うんじゃないかなという疑問も大きくなりました。素晴らしい部分ももちろんありますが、格式にとらわれて料理の可能性を狭めているという側面もあります。
例えば、懐石で穴子の白焼きを出すことはまずないでしょうね。今では穴子は高級魚の部類だし、おいしい白焼きにしようと思ったら素材探しも焼きの技術も一筋縄ではいかないものなのですが。私は、料理とお酒そのもののおいしさを、気取らない形で楽しんでいただきたかったんです」
〆の稲庭うどんをすすりながら、静さんの話に団長は至極納得の様子。
片瀬: ご主人の気持ち、今日はたっぷりいただきました。ぜーんぶ、本当においしかったです。しかし、この稲庭うどんの〆、最強! うまい! なんなら、またホタルイカの酢味噌和えからもう1ターンいける気がしてきました。
最後に、みなさんにうかがっているんですが、なぜ赤星なんですか?
「日本のビールがドライ系ブームで様変わりした時期がありました。当時、私は、料理と一緒に味わうなら喉ごし重視のスッキリ生という方向性は違うなと思って、いろんなビールを試しました。そんな中で出合ったのがこれでした。
ほどよい苦味がある昔ながらの熱処理を行うラガービールで、これなら食事もよりおいしくなるし、逆に、うちの料理ならビールも進むな、と。以来、ずっと赤星です」
片瀬: お料理、お酒、器、どれもお客さんに楽しんでほしいというご主人の想いがたっぷり詰まっていました。言葉で表すのは難しいけれど、満足感、すんごいです。とにかく、また必ず寄らせていただきます。
――ごちそうさまでした!
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘアメイク:面下伸一
スタイリスト:大沼こずえ
衣装協力/KAREN WALKER