あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんが笑顔で出てくるのはどうして? このほど赤星探偵団2代目団長に就任した女優・尾野真千子が、名酒場の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探る――。
■選りすぐりの鮮魚が待ち受ける店
中野駅から北へ一直線に伸びるアーケードは、飲食や物販の店舗がひしめく中野サンモール商店街。サブカルの聖地として知られる中野ブロードウェイへと続く賑やかな商店街だ。そのメインの通りから右に少し入った路地に、居酒屋「らんまん」はある。
今では珍しくなった銅板葺き看板建築の一軒家は堂々たる佇まい。初めて入るにはやや勇気のいる店構えだが、いつも飄飄と自然体の団長は物怖じしない。
引き戸をゆっくり開けて「こんばんはー」。
右手に6席のカウンター、左手には檜皮の庇の下に8人でちょうどよいくらいの小上がりがある。さらに奥にも小さな座敷があるようだが、団長は魚が一杯に並んだガラスケース前のカウンター席に陣取った。
尾野: (ガラスケースの中身に興味津々で)これは真鯛かな? こちらのイワシも立派だこと……。ん~、早く食べたいし、早く飲みたい! 瓶ビールをお願いします!
さあ、キンキンに冷えたサッポロラガービールがやってきた。
――それでは、さっそく、いただきます。
尾野: く~っ、おいしい! ずいぶん陽が長くなって夕方5時だっていうのに外はまだ明るいです。明るいうちから飲むビールって、たまりませんよね。みんなが早く一杯やりたいと願いながらまだ働いていると思うと余計においしい。って、私、ホント性格悪いかも(笑)。
「今日のお通しは田せりのお浸しです」と説明してくれたのは、「らんまん」の二代目主人・柳澤豊さんの三女で、店を取り仕切る吉谷寿美恵さん。
「田んぼのあぜ道で採れるせりで、普通のせりよりも味も香りも強いんですよ」
尾野: はい、大好物です。私の生まれ故郷は自然が豊かなところで、子どもの頃からよく自生しているせりや三つ葉を採って食べていたんです。でも、こんな風に根っこのほうまでは食べなかったなあ。
どれどれ……。ん~、おいしい!! ほどよい苦みと土の香り。私、コレ、バケツ一杯いけるかも。お替わりください。
吉谷さんは微笑んで「タケノコもおいしいですよ」。すると団長、すかさず「食べたい!」。ほどなくやってきたタケノコと鯛の子の炊き合わせで、団長はビールをグビリグビリ。とっても幸せそうだ。
この調子ではお目当ての魚料理にたどり着けないと気付いたのか、板長の山本洋二さんにおすすめを聞く。そう、「らんまん」は旬の魚料理で名高い店なのだ。
四季折々の定番の魚は枚挙にいとまがないが、春はサヨリ、小肌、赤貝、青柳、桜鯛。夏はスズキ、オコゼ、ハモ。秋は天然ウナギ。冬はカワハギ、クエ、フグなどが出色だ。
魚によってはお刺身はもちろん、焼く、煮る、揚げるなど様々な調理の融通か効くのもこの店の特長。気分に合わせて、今日の一皿を吟味できるのが実に楽しい。
「桜鯛、この季節の真鯛ですが、今日のはとてもいいですよ」
――それはおいしそう。お造りをお願いします!
「あとはマコカレイに、ホウボウも」
――おぉー!
「初ガツオに小肌」
――あぁー!
「あと、貝もありますよ。赤貝に、それから蛤も大きいのが入ってます」
――蛤もあるの? 食べたい!
「蛤は酒蒸しか焼きか、どちらにしましょう」
――酒蒸しと、焼き? えっ!? どうしよう。やっぱり焼きかなあ。うん、焼く!
ほろ酔い加減の団長の瞳は、どんどん輝きを増している。
■奇をてらわない実直な手仕事
桜鯛のお造りは、松ぼっくりに似せて皮目に繊細な切り込みを入れる伝統的な松かさ造り。薄紅色がなんとも春らしい。
尾野: 皮のところもうま味がたっぷりで、噛めば噛むほど香りがあふれてくる感じ。この本ワサビも辛さの奥にほのかな甘味があって、白身のおいしさを引き立ててくれます。ん~、たまりません。
おっ、いい香りがしてきたぞ。これ、蛤を焼いてる香りですよね? 私の蛤!
かくして団長の焼きハマが到着。大ぶりの殻がパックリと開いて、プリプリの身が余熱でしゅんしゅんと熱せられている。そのアツアツにレモンを絞って、がぶり。
――無言(ひたすら味わう)
年季の入ったカウンターで一人、旬の佳肴と向き合う贅沢なひととき。ゆったりとした時間が流れている。
そこに突然、ジリリリリリリというなんとも懐かしい音が鳴り響いた。「うるさくてすみません」と吉谷さんが黒電話の受話器を取る。
話し終えた吉谷さんは「今どき黒電話なんておかしいですよね」と笑う。
「うちは全部アナログなんです。電子レンジもないし、電気ポットもない。お湯は茶釜と炭で沸かしているの。茶釜のお湯で淹れたお茶は不思議とまろやかになるから、夏でも炭を炊いて沸かしているんですよ」
尾野: 素敵です。この茶釜のように変わらず守ってきた一つひとつの事柄が「らんまん」の落ち着いた雰囲気をつくっているんでしょうね。こちらのお店はいつからやられているんですか?
吉谷さんが「らんまん」の歴史をひもとく。
「創業は大正11年。私の祖父母が始めたのですが、業態としてはミルクホールや魚屋、鮨屋、酒屋などいろいろと変遷があったようです。
この建物は昭和初期に建てられたもの。空襲では風向きのおかげで火災を免れました。根太に堅い赤松を使っていることでかなり頑丈らしく、3.11の震度5強でもコップ一つ割れなかったんですよ。
東京オリンピックがあった1964年に、私の父、柳澤が修行先から戻ってきて、今のようなお店のスタイルに変えました。父は魚屋のあとフランス料理店でも修行したので、以前は舌平目やキングサーモンのムニエルとタルタルソースといった伝統的なフレンチのメニューも出していました。現在82歳になりますが、今でもたまに板場に立って包丁を握っています」
■時代が変わっても大切にしたいもの
尾野: いかにも純和風の居酒屋さんという雰囲気のこちらで、まさかフランス料理もいただけたとは……。一度食べてみたいです! ところで「らんまん」という店名はどこから?
「秋田のお酒の銘柄に由来しています。当時、東京で初めてその銘柄を扱ったことからこの名前を付けたそうなんですが、魚料理に合う辛口のお酒を選ぶようになって、いつしかかお酒のメニューからは消えてしまいました。それでも、この屋号はいまも大切に使っています」
尾野: へ~、そうだったんですね。サッポロラガービール、赤星はいつから置いているんですか?
「もう35年くらいにはなるんじゃないでしょうか。父が『これがいい』と決めてから、うちではずっと赤星です。そう言えば、疑問に思ったこともありませんでしたね。変わらない、当たり前のことになっています」
尾野: 長い歴史に育まれた老舗の実直なお料理。外のせわしさとは無縁の穏やかな時間。こちらでの一杯は、本当に、格別でした。
……と、締めると見せかけて、まだまだいきますよ! 穴子の白焼きと、それから、カツオのたたきもお願いします!
春爛漫の中野の夜はゆっくりと更けていった。
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘアメイク:石田あゆみ
スタイリスト:扇野涼子(BRÜCKE)
トップス:RITSUKO SHIRAHAMA(リツコ シラハマ)
問い合わせ先:RATTAN7(ラタン7)03-3770-7177