サッポロラガービール、愛称「赤星」が飲める店を100軒訪ねるマラソン企画。人呼んで「赤星100軒マラソン」も、今回で99回目を迎えます。野方のもつ焼名店「秋元屋」でスタートを切ったのが2016年。途中、2020年からのコロナ禍を挟んで、苦節9年の長期連載となりました。
今、振り返れば、あの店この店、どれも思い出深く、懐かしい。この連載を通じて知った店は数々あるし、初めて降り立って酒を飲んだ土地も少なくない。よく知らない電車に乗って、見知らぬ駅で降り、店の暖簾をくぐるときの一種の緊張感は、いい歳こいた酒飲みライターである筆者にとっても、かけがえのない経験だった。
そして、飲み終わった後にたびたび思ったのは、今の東京に、いや、今の日本に、まだこんなにいい酒場があるのか、ということだった。世の中は目まぐるしく変わり、流行りの音楽も酒の飲み方も変わる。けれど、いい飲み屋というのは、不思議なことにあまり変わらない。

継ぎ足し継ぎ足ししてきたやきとりのタレや、日夜手を入れて守り抜いたぬか床など、世の中には、変わっちゃいけないものがある。シジミ汁のうまさ、イワシの梅煮のうまさが、時代とともに変化しては困る。削ったばかりのカツオブシの香りは、断じて、あの香りでなければならぬ!
そんなことに、今さらながらに気づかされることが、何度もあった。同時に、昔ながらの味を残すべく手間を惜しまない人たちのおかげで、我等、平和な飲兵衛は、おお、このぬか漬け、漬け具合がちょうどいいなどと言いながら、ぽりぽり齧り、おいしい酒をぐびりと飲めるのだとひとり納得する晩が、何度もあった。
オープンから20年、30年という時間を経た酒場へ行けば、20年前、30年前と変わらぬ何かが残っている。酒や肴の味、主人や女将の人柄、そこで会えたら嬉しい常連たちが、醸し出してきた空気、匂いが、残っている。言葉は大袈裟になるかもしれないが、時代が残っているのだ。
漫画家・水島新司さんのお墨付き

ゴール目前でつい感傷的になってしまい前置きが長くなりましたが、赤星100軒マラソン第99回で訪れたのも、そんな“時代”を感じさせる一軒だ。四谷三丁目の「居酒屋あぶさん」。創業は1986(昭和61)年だから、今年で39年。来年はオープン40年の記念の年になる。
ビルの階段を下り、店内へ入って驚いた。壁には日本のプロ野球選手の写真やサインがびっしり貼られていて、テーブルの天板はガラス板で、その下にはサインボールやサインバットが入っている。店の入口近くのカウンター前には大きなモニターがあり、野球の観戦もできるようだ。
さっそく着席して、赤星をもらい、フードも何品か注文する。

最初の1品はウインナーのころも揚げ、なるもの。素揚げでなし、天ぷらでなし、カツやフライでもない。そんなネーミングに惹かれて頼んだのだが、出てきたものは、おお、見ただけではよくわからない。口にしてみてわかるのは、粉をまぶしてころもにし、揚げたもので、カレー味であるということだ。
ホクホクしてカレー粉がかおり、からりと揚がっていて、まことにうまい。そして、どこか懐かしい。ウインナーとカレー。どちらも、子供の頃から好きだった味で、そのシンプルな組み合わせが還暦過ぎた今になって、なお、うまい。そして、ちょっと恥ずかしい。

この店が開店した1986年というと、私はそろそろ大学も終える頃で、新宿3丁目やゴールデン街の酒場などに、緊張に身体を震わせながら出かけていった頃だ。
市ヶ谷にあった小さな会社でアルバイトをしていたが、四谷三丁目で飲んだことはなかった。ただ、この界隈にあった憧れの出版社の入社試験を受けたものの、あえなく敗退したことだけは、よく覚えている。カレー風味のウインナーが、関西のひとなら、しょうもな、と言うであろうノスタルジーを呼び起こすのだ。

店名の「あぶさん」は、野球漫画の大御所、水島新司さんの代表作の作品名である。店は新宿通り沿いのビルの地下だが、そのビルの袖看板に、あぶさんの主人公、景浦安武の絵が使われている。水島新司さんの店なのか、と思うけれども、そうではない。
店主の石井和夫さんは、四谷三丁目から外苑東通りを曙場橋方面へ下る途中にある焼肉の名店「羅生門」の店長を務めていた。水島新司さんは常連のひとりで、当時、野球チームを結成していたという。
「あるとき、メンバーが足りないから来てよ言われまして。私も野球やってましたから、じゃあ、ということで」

それ以来、店と客、という以上の間柄になった。
石井さんは社会人野球までやったということなので、アマチュアの選手としては最高峰まで経験している。そして、水島新司さんは徹底した取材と画力によって、野球漫画の常識を超える描写で、読者はもとよりプロ野球界の専門家をもうならせた人だ。
そのふたりが仲良くなって、石井さんが店を出すとき、水島さんは自作の名を店名にすることを許諾したばかりか、看板に主人公の絵を使うことにも協力したのだという。
私のミスタープロ野球

石井さんは、調理場に引っ込むことなく、テーブルからテーブルへと挨拶にまわり、お客さんたちと会話をする。常連も、初めての人も、分け隔てなく、楽しませようとする。私は、懐かしい江川卓のポスターを眺めながら言った。
「特定の球団に偏らず、いろいろなチームの選手のサインや写真がありますね。店の中、とにかく野球、野球、野球ですね」

石井さんは、照れたような笑みを浮かべて、こう答えた。
「ええ、私は、長嶋さんが好きでねえ。長女の名前を、長嶋監督の奥様の名前からいただいたくらい。3度ほどお会いしたことがあるけれど、すごいオーラでね。何を話したらいいのか、わからなくなりました」
長嶋茂雄。ミスタープロ野球の話だ。私は、エビマヨ炒めを口に入れ、そのうまさを追いかけるように赤星を飲み、私のミスターを思い出した。

小学生の頃、後楽園球場(現在の東京ドーム)へ巨人戦を観に行くときは、できるだけ長嶋を近くで見られるようにと、父は3塁側の指定席をとってくれた。
夕方早くから球場へでかけ、試合前の練習から、夢中で見た。柴田、高田、王、長嶋、末次、黒江、土井、森、そしてピッチャーは堀内や高橋一三が活躍した時代。巨人は、日本シリーズを9連覇した史上最強のチームだった。
「長嶋さんの引退のときは、私は沖縄にいたんですけど、テレビを見ながら泣きましたね」
「僕は小学生でしたが、同じ中継を東京三鷹の自宅のテレビで見て、泣いてました」

長嶋茂雄は、私の夢だった。そんなことを、はじめて会って、まだ20分くらいしか経っていないマスター相手にしている。この不思議さ。野球がつなぐ縁。
見回せば、若い女性も私たちのようなお父さん連中も、みんな賑やかに、楽しそうに飲んでいる。みなさん、野球好きなんだろうな。
プロ野球と瓶ビール、プロ野球と赤星は、似合いの組み合わせだな……。そんなことをふと思う。

編集Hさん、写真のSさんもテーブルについて、ホルモン辛炒め、沖縄もずく天ぷらなど、運ばれてくる料理にそれぞれ箸をのばす。
「ああ、ホルモン、イケルね」
「イケル、イケル。おっと、もくずの天ぷらって、こんなにサクサクしてうまいもんなんだね」
「本当だ、沖縄もずく、これ、うまいよ」
口々に言葉を発しながら箸もグラスを傾ける手も、止まらなくなってくる。



肉豆腐は土鍋で出てきた。3月初めのまだ寒い晩だったから、この熱々の肉豆腐は、腹に沁みるように温かく、おいしい一品だった。
数週間後に迫ったプロ野球の開幕、セパ交流戦、オールスター、そして終盤の順位争い、日本シリーズ……。野球シーズンが深まれば深まるほど、この店の赤星のうまさもぐんぐんと増していくのではないか。
子供時代にひき戻される不思議な感覚

その間も赤星を1本、また1本と追加する。
店で赤星を置くようになってまだ日は浅いということだが、この昭和を感じさせるプロ野球居酒屋には、赤星はぴったり合っているのだった。そして、もちろん、お客さんたちにも好評だという。

〆に頼んだ焼うどんを、キムチを添えてたくしあげる。海苔と削り節が香る焼うどんも、懐かしいおつまみだ。
ボトルキープをするタイプのバーやスナックなどで、深夜、小腹の減ったときによく注文したひと皿。青春の味、という気もするのだが、今、食べてもうまい。
『あぶさん』を描いた水島新司さんの代表作に『ドカベン』がある。あの漫画を夢中で読み、毎週の連載が待ち遠しかった中学時代も、鮮やかによみがえってくる。

野球によって、一気に子供時代にひき戻される不思議な感覚を再び味わいながら、赤星をさあ、もう一本。
少し暖かくなったら、神宮球場でナイトゲームを観戦し、試合後には、この店に寄ってみたい。野球にまつわる温かい思い出が次々に浮かんでくるだろう。
私にとって「居酒屋あぶさん」は、すでに特別な空間になっているようだ。

(※2025年3月5日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行