サッポロラガービール、愛称「赤星」が飲める店を巡り歩く酒場行脚は91軒目にして実にシブい店に出会い、そこでひとときを過ごすという得難い経験を積むチャンスに恵まれました。
愛知県は一宮市。真清田神社という古社の門前町として繁栄したこの土地の、ノスタルジックな商店街の一角に、愛知県を代表するほどの老舗酒場があります。店の名は、「日の出寿し食堂」。創業は明治時代で、店の歴史はもうすぐ120年になるといいます。
訪ねたのは名古屋遠征2日目の5月21日午前10時。30分後に控えた営業開始少し前に、店に入らせていただきました。
こんなお店が近所にあったら
入口は青い暖簾に引き戸。特段に古色蒼然としているわけでもなく、ガラスケースに並ぶ食品サンプルが懐かしい、ごく普通のレトロな大衆食堂です。
メニューは、和食、洋食、丼ものからお酒まで揃い、こんなお店が近所にあったらしょっちゅう来ちゃうだろうなあ、とつい呟いてしまう、そんな雰囲気なのです。
店内に入ると、すぐ右手に魚屋さんにあるような冷蔵ショーケースが鎮座していて、開店に向けてすでに惣菜の準備が整い始めています。
どれどれ、とばかりにざっと眺め渡した瞬間、ああ、いいなあ、とため息が出ました。
バイ貝煮、タラコ煮、肉じゃが、ポテトサラダ、シュウマイ、明太子、めざし、マグロの刺身、サバや赤魚の煮たの、タケノコ煮、ひじき煮、ときて、おお! 赤ウインナーと玉子焼きがのった、赤と黄が目にも鮮やかな一皿もある。
ここから好きなものを選ぶと、厨房で温め直してから提供してくれるのだという。
こうなったらもう、煮魚で白飯をもらっちゃうおうか……。
一瞬、そういう思いが浮かぶのですが、いやいや、まずはビールだ。そう、赤星の大瓶から始めるのが探偵団の流儀。私はさっそく赤星を頼み、つまみには、ひじきと、ニラ玉をお願いするのです。
シブい木のテーブルにつき、ビールをコップに注ぎ、ふわりとした泡と、朝の光にきらきら金色に輝く液体を眺めわたし、口をつけようとして、いや待てよと一呼吸おく。美しいラベルの真横にコップを置いて、では、いただきますと、心の中で呟いた。
いささか儀式めいて恥ずかしいが、ビールの栓を抜く一瞬の緊張、瓶の冷たさを掌に感じつつコップに注ぐときのさらなる気持ちの高まり、そして、泡がこぼれそうだと毎度ご丁寧に焦るバカらしさが、私は何より好きなのだ。
もちろんビールそのものも好きだし、生ビールもたいへんうまいものだと認識しているが、この栓をシュポンと抜いてから、トクトクと注ぎ、泡がこぼれますよーっという一瞬で止める1分に満たない時間に、私はその日最初のビールを飲む幸福を感じている。
前置きが長くなりましたが、ごくりとビールを飲んだ私は、うん、うまい! と心の中で呟いて、ひじきをつまむのでした。
子供の頃、祖母や母が出してくれるひじきが好きではなかった。学校の給食で出てくるひじきはもっと苦手だった。髪が薄くて茶色がかっているのだからひじきを食えと父がいえば、幼いながらむかっ腹を立てていた。けれど、今は、ひじきがうまい。この店のひじきは、ひときわ懐かしい味がする。
小さな皿に盛られた出来立てのニラ玉が届く。
その皿が瞬時に醸し出す雰囲気と、皿の中身からたちあがる微かな湯気と、さらに視界を広げて木製の古びたテーブルの上に皿が置かれているという得も言われぬ風情を、2秒くらい楽しむ。その間も我が嗅覚はニラ玉から立ち上る食欲をそそる匂いに刺激され続けている。
ああ、これも、飯にのせてちょっと醤油かけてワシワシ食べたい。朝のニラ玉丼。今度、家でやってみようか。
そんなことを思っていると、店の4代目の主がお話を聞かせてくれました。
服部達弥さん。昭和48年生まれの51歳。学校を出てから勤めに出て、外食チェーンに勤務した後、実家へ戻り、32歳で家業を継いだ。
「昔は店先で野菜も売っていたらしいですよ。ラーメンの出前もしたし、どぶろくを出したら評判がよかったとも聞いています。明治生まれの私の祖母の時代の話ですね」
店名に「日の出寿し」とあるように、かつては寿司を出していたという。つまり、その時代時代に合ったものを、そのときできる範囲で提供してきたのが、この食堂なのだろう。
店の3代目、つまり、達弥さんのお父さんの生年は昭和15年。戦時中には空襲でこのあたり一帯も焼かれたということなのですが、戦後、復興を果たし、繊維産業が栄えたことから、一宮の駅から真清田神社のほうまで、生地や服を商う店が軒を連ねる繁栄ぶりだったと言う。
3代目はその頃を、そしてその後の高度経済成長期を若い頃の記憶にとどめてらっしゃるでしょう。では、昭和48年生まれの達弥さんにとって、店を継ぐとはどういうことだったのでしょう。
「長男に生まれたのだから必ず継がなくてはならない、という空気はなかったんですよ。それで僕は9年間サラリーマンをやりましたが、出張や休暇であちこち旅行に行くと、どの土地も同じような店ばかりだなと感じて……。あるとき、ああ、うちみたいな店があってもいいのかなと、ふと思ったのが、きっかけですかね。
もともと、小さい頃から、お前がこの店を継ぐ子か? ってお客さんから散々言われて育ちましたけど、それまでは実感も覚悟もなかった(笑)」
一人で飲むのもオツなものだけど
10時半になって、店が営業を開始すると、すぐにお客さんの姿があった。朝の早い人の昼食か、それとも朝昼兼用の食事か。赤星と、何かほかに頼んだな、と思ってしばらく気にかけていると、どうやら定食のようだ。
改めて壁の品書きを確認しようときょろきょろしていると、ランチの内容が書かれたホワイトボードを見つけた。
エビ天ぷら、マグロ刺身、ニラ玉、ご飯、味噌汁、お新香で、なんと800円。ちなみに、先に私が頼んだひじきとニラ玉はいずれも250円である。ほどよく柔らかめに仕上げるニラ玉は、先述したとおり飯にのせて食べたい逸品なのだが、ランチには他に、天ぷらと刺身と香の物と味噌汁がつくのである。
10時半にお客さんがやってくるのも当然というものだろうし、このランチセットを前にして少し時間の余裕のある人であれば一本のビールを我慢することはできまい。
そこへ、ニラ玉の後に追加注文しておいた天ぷら3品が次々に供された。
いかにも噛み応えがありそうなごぼう天ぷら380円、見事なアナゴ天450円。そして、エビ天2本に茄子とタマネギの天ぷらも添えたひと皿、これも450円。いやあ、参ったなあ。
天ぷら&ビールは禁断の喜びである。今回は、朝から腹を空かせているであろう取材隊の若き面々が一緒に来ているから、迷わずどんどん頼んで分けられるという、これまた大きな喜びがある。
一人で飲むのもオツなもんだが、2人、3人で連れだって出向き、あれもいい、これもうまそうだ、と、思う品を次々に頼むのも、「120年食堂」の上手な楽しみ方かもしれない。なにしろ、どれを頼んでも、うまいのである。
続いて年配のお父さんがやってきた。さっそく赤星。日刊の新聞に目を走らせたり、店のテレビの午前中のニュースをみたりしながら、実にのんびりと昼前のひとときを過ごされている。決して短くない人生の中で見つけた、こんな時間の過ごし方。恰好いいのです。
アナゴ天のホクホク感、ごぼう天のシャキシャキ感、それから、ああ、天ぷらはやっぱりエビだねえと思わせる抜群のエビ天の脇から、5月のアタシを忘れては困りますぜとばかりに、旬のうまさを主張してくるタマネギに感動する。
私はもちろん天ぷら3皿をひとりで平らげられる年齢ではないけれど、ランチ客で厨房が忙しくなる前に、取材隊諸君との共有を前提に頼んでおいたわけです。そして彼等は彼等なりに、肉じゃが、煮魚、野菜の煮物などを注文し、午前の赤星タイムを満喫している。
いい光景だ。120年続く食堂酒場の小上がりで若い人たちが昼前からビールを飲み、おいしい料理を楽しんでいる。これでいい、と思う。私はおすそ分けしてもらったかつ煮と赤ウインナーに、またまた大いに感激している。
明治、大正、昭和、平成、令和…その先へ
そこへまたひとり、年配の女性が入って来た。注文はランチです。ご飯は少な目。そう、決まっているらしい。店の女性との言葉少ないやりとりでそれがわかる。
この人は、週に何回くらい、ここでお昼を食べるのだろう。そんなことを考える間にも、他の席でまた赤星の注文が入っている。ちなみにこの日は火曜日である。店の定休日が水曜だから、今日行っておかなくちゃと思うお客さんが来るのだろうか。
その後、11時半を回ると、ランチ目当てのお客さんが次々にやってきて、店はたちまち活況を呈す。
ご主人は店全体に目を走らせ気を配り、万事、滞りなく、いつものように、こなしている。そんなふうに見える。そろそろお暇せねばと思いつつ、隙をみて、120年も経つ店を継承するとは、どんなことですかと訊いてみた。
「仕込みは朝6時半から。14時から休んで、15時半から20時半まで営業。休みは水曜だけです。休みの日でも午後になると、もう、翌日の仕込みや仕入れをどうするか、考え始めていますよ。
たいへんなこと? そうですねえ、毎日同じことを当たり前に継続すること。それがいちばんたいへんでもあり、大事なことなんだと思います」
明治38年から、大正、昭和、平成、令和と、店は続いてきた。そしてこのお店はきっと今後も変わらず続きます。
JR尾張一宮駅は名古屋駅から東海道本線でわずか15分の距離です。みなさんも一度、気の合う仲間と2,3人で、一宮の「超」のつく老舗食堂を訪ねてみませんか。
(※2024年5月21日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行