「赤星」が飲めるちょっといい店をまた1軒、板橋に発見しました――。
サッポロラガービール「赤星100軒マラソン」の担当編集Hさんから、そんな情報がもたらされたのは師走に入ってすぐのことだった。
最寄り駅は、東武東上線の上板橋。この駅はかつて「やきとんひなた」(連載26回目)にお邪魔して、もつ焼きと赤星を楽しんだ記憶があるナ。
情報がもたらされた数日後、上板橋駅北口から東武練馬方面へと線路伝いにぶらぶら歩きながら、そんなことを思い出した。
赤星100軒マラソン、数えて86回目の今回は、ぶらぶら歩いたその先の、「酒場ワタナベ」という新しいお店に伺います。
酒場には大瓶の赤星がよく似合う
16時の開店と同時にお邪魔した取材隊を出迎えてくださったのは、ご主人の渡邉裕之さん。なんでも、若い頃にはイタリアのローマで料理の修業をし、帰国後もイタリアンレストランで腕を振るってきたという。
しかし、そんな方が、一体なんで、大衆居酒屋の主になったのだろうか。
「10年ぐらい前の話ですが、神田の『みますや』さんに行ったとき、酒場というものに痺れまして、自分もいつかこういう店をと思ったんです。それから休みの日には下町方面に出かけて酒場巡りをするようになりました。個人的には、八広あたりが好きですかね」
八広というと、焼酎ハイボールで有名なあの店かな? などと思いつつ、頼みますのはもちろん、サッポロラガービール、赤星です。
すると、嬉しいねえ、大瓶の登場です。
この日最初の一杯で喉を潤していると、まずはこれでもつまみながらじっくりと注文を考えてください、とばかりにお通しの三点盛りが供された。
「白身魚の南蛮漬けと春菊の黒胡麻あえ、それと、金時人参のラぺです」
ラペ? ラペとは何ぞや? ああ、細切り人参のサラダってことか。ちょっとそのへんの居酒屋じゃ出てこないお通しだよこれは、と感心しきりのワタクシ、ラぺを口に運んでまたウンウンと頷く。
甘酸っぱくて、シャキシャキしていて、これ、とてもうまいですな。人参だから罪悪感のカケラもないし、何なら丼鉢一杯ほしいくらいだ。
「赤星は、僕が好きで、自分で店をやるなら、ぜったい赤星を置こうと思っていました。それも大瓶。やっぱり酒場には大瓶が似合いますよね」
ラぺのうまさと大瓶へのこだわりが、イマイチしっくりこないのですが、その微妙なバランス感覚がかえって呑兵衛たちの興味を引くのかもしれません。店でよく出る酒は何かと聞くと、生ビールより断然、赤星のほうが出るのだという。
そんな話をしているところへ、一番乗りのお客さんがやって来た。そして、カウンターに座って、ひと言。
「赤星」
おお! キマッタ、って感じ。渡邉さんが教えてくれたのが、このお客さんは、ミスター赤星なのだという。
「この方は、まさに今日の取材に打ってつけです。毎日、赤星を4本か5本は飲まれますよ」
そりゃ、ミスターですわな。ご本人いわく。
「すぐ近くに住んでるんですよ。朝が早いものだから、夕方早めに飲みに来て、家に帰ったらすぐに寝ます。仕事が休みのときは、サーフィンですね。この時期は千葉の波がいい」
真冬にサーフィンかあ。昨今、やれ膝だ、やれ腰だと、痛いところが日替わりの私などには想像もつかない世界だが、毎日のように飲みに来て、しかも、けっこうな量を召し上がるらしいと聞いて、何だかこちらも嬉しい気分になってくる。
タダ者じゃない感がビシビシと
ミスターとお話していると、最初の注文品、「千葉真鯛のカルパッチョ キンカンとともに」のひと皿が出た。
おお! これもそこいらの居酒屋ではお目にかからないタイプのつまみだぞ。
鯛は新鮮そのものでコリコリと身が締まっているし、キンカンの軽い酸味と香りが爽快。赤星を飲みながらつまむのも乙だけれども、これなら、白ワインとかシェリーなんかでも良さそうだ。
なんだか、俄然、油断のならない感じの店に思えてきたナ。
やや身構える感じで次のひと皿を待つ私。その間にも、次のお客さんの姿があり、午後4時の開店から30分もすると、もう店は、ちょっとした賑わいを見せ始めている。
ごくごく、小さな店である。ファサードには、居抜きで入ったことが一発でわかる、前の店の名前と思われる「KABAYAN」(タガログ語で同国民の意味だとか)の文字があり、その上には、「フィリピン風居酒屋」と日本語で書いてある。
だから、一見しただけでは、何の店なのかよくわからない。けれど、こうして入店してみると、お通しもつまみも、実にうまい。いや、うまいだけではなく、タダ者じゃない感がビシビシと伝わってくるのである。
改めて店内を見渡すと、カウンターは4席。2人掛けのテーブルが3卓。そして、6、7人くらいまで詰められそうなテーブルが1卓あるだけの、本当に小さな店。しかも、駅のすぐ近くというわけでもない。
つまり、知らなければたどり着かないし、たどり着いたところで、外観だけでは何の店やら想像がつきにくい、極めてハードルの高い店なのに、出てくるつまみがいちいち見事で、そのたびに、驚かされるということなのだ。
そこへ出たのが「塩水ウニをつかったイカウニ」。抜群だったネ。ウニのとろりとする濃さがイカの甘みに溶け合い、味といえば塩水のしょっぱさだけというシンプルなもの。
即座に日本酒を頼みたくなるところだが、間をおかずに登場した「静岡名店ポテトフライ」が剛腕をふるい、私をググっとビールにひき戻すのだった。
静岡県出身の渡邉さんが、教えてくれる。
「静岡市にチェリービーンズというハンバーガーショップがあって、ポテトが有名なんですよ。そのレシピでつくりました」
トリュフを思わせる風味がある。スパイシーでニンニクも香り、ポテトはほくほくで、とてもうまい。これは、合わせるなら断然ビールだ。
「ナポリのモツ煮」って何だ?
編集Hさん、カメラのSさんもテーブルについて、少しずつ混み始めた店内を眺めつつ、ゆっくりと腰を落ち着ける。何を食べてもうまそうだから、安心して、どんどん頼んでみよう。そんな気分でメニューに目を走らせる。
まず気になったのが、「トリュフ風味のオムレツ」だ。
グラナパダーノというチーズが雪のように振り掛けられたこの一品、食べるというより、口に入れた途端に喉を通過してしまうような不思議な感触を残した。
風味の印象は丸く、柔らかく、ほのかにトリュフが香る。ひとつと言わず2個立て続けにでもイケてしまいそうな絶品オムレツなのである。
トリュフ風味のポテトフライがあまりにおいしかったので、オムレツに展開してみたという、実に安直な注文だったのだが……。
厨房で作る様子を撮影させてもらったSさんも、「玉子を入れてから、めっちゃ早かったです」とプロのフライパン捌きに感動していた。
続きましては、キャベツと紅生姜と天かすのサラダ。
これ、見た目はかなり地味だ。いっそのこと、キャベツと紅生姜だけで、徹底的に地味路線を完遂してしまっていいようなものだと私などは勝手に思うわけだけだけれど、実は天かすが絶妙なアクセントになっていて格別なのだった。
なんだろうなあ。ふやけた天かすが浮いているたぬき蕎麦の残り汁が大好きなせいか、天かすが思いもよらず口中に飛び込んでくると、軽く感動してしまう。そして、このアクセントがまた、ビールをうまくする。
すっかり調子が出てきたわけだが、それはHさんもSさんも同じのようで、ここからは、宮城県産の白子ポン酢にナポリのモツ煮をつなぐという、注文における飛躍を楽しむことになった。
この時期の白子ポン酢。新鮮な上に旬であることも考えると、喰わないという選択は、一種の罪悪であると言いたくなる。どこで喰っても間違いなくうまいというわけではないが、この店では頼んでおいて損はない。
続いて出てきたナポリのモツ煮は、ため息の出るうまさでしたな。なんでも、ズッパフォルテというナポリの郷土料理を、大衆酒場的に「モツ煮」とうたって出しているとのことだ。
白モツ、ガツ、タン、カシラをトマトで煮込んでチーズをかけてあるそうで、濃厚の極みみたいな表情をしているくせに、口に入れると意外にすっきりしていて、それでいて味わいは深い。
味噌のモツ煮込みももちろんうまいけれど、このナポリ風は、酒飲みのみなさんにはぜひとも試してみていただきたい逸品と思えた。
「プロの仕事」を大衆的なお値段で
そろそろ、つまみは、足りたかな。と思ったそばから、たらこマヨスパサラと、モツカレーのライス抜きを注文。我等3人とも、出てくるものがみんなおいしいので、かなり上機嫌になっている。
上板橋の、決して街中ではない、住宅街と思しき地味な一角に、「酒場ワタナベ」はある。2023年の6月にオープンしたばかりというのに、みなさん、すでにこの店のおいしさを知っているのだろう。気がつけば2人がけのテーブル席は、3組の二人連れで埋まっている。
ナポリのモツ煮のうまさから容易に想像がついたことだけれど、最後に食べたモツカレーにも唸らされた。
もしやと思って聞くと、やはり、清水市民のソウルフードであるモツカレーだという。そう、この連載でもモツカレーの元祖「金の字 本店」(56回目)を訪ねて、はるばる清水まで足を延ばしたことがあります。ここにもまた渡邉さんの静岡愛を感じることができるわけです。
うーん、悩ましいな。ここは、居酒屋だ。しかも、かなり大衆的な値段の居酒屋だ。ホッピーを頼むと、ジョッキの縁のすぐ下まで焼酎が入ってくるというヘビーなストロングスタイルの居酒屋である。
ワンオペで、混み合うと少し時間がかかることもあるけれど、つまみはどれも「プロの仕事」の域にある品ばかり。初めて訪れた人はそのギャップに驚き、やがて、歓喜するだろう。
上板橋に「酒場ワタナベ」あり。多くの飲み友達に教えてあげたい一軒だ。
(※2023年12月7日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行