サッポロラガービールが飲める店を訪ね歩く「赤星100軒マラソン」は、前回、80軒目にして初めて博多に遠征してまいりました。そして今回もまた、福岡の名店紹介、第2弾をお届けいたします。
訪ねましたのは、福岡市中央区大名にある「寺田屋」さん。え? ウソでしょ? ここ入っていいの? と思うような路地の最奥に、目指す店はあります。
靴を脱ぎ、店へ上がると、なんとも渋い魅惑的な空間が待っていた。L字型のカウンターの入口に近い方には、うまそうなおでん鍋がすでに準備を整えてある。その隣には笊に盛られた野菜が輝くばかりに鮮度をアピールしている。
さらに横に目を移すと、小さな巻貝がヒタヒタの汁の中に沈んでいる。名前は知らんばってん、これ、うまそうばい……。さっそく目が釘付けになる。
L字カウンターの角を回って、詰めれば4人座れるかどうかというカウンターの一辺の真ん中に腰を下ろした。目の前には、寿司屋のようなネタケースがあり、その中に魚や貝や甲殻類のあれやこれやが所狭しと肩を寄せ合っている。
ウニと、サバ、タイと思しき白身に、アカ貝、アサリ、シャコ、アナゴ、ノドグロあたりはなんとか見分けがつくが、あれ? あの魚は何だろう……。深い銀灰色の小さなクロダイのような魚体はぷりっとしていて可愛らしい。
新鮮なネタが私に話しかける
作務衣が渋く、短髪が清潔感を与えるこの店の大将の小田将義さんに聞いた。
「あの魚は、何ですか?」
「アブッテカモっていうの。スズメダイです」
「ああ、アブッテカモなら知ってますよ。いや、嬉しいな、何年振りだろう」
義父母が博多の出身で、今も親戚が福岡にいる私は、若い頃、義母が博多から取り寄せたアブッテカモを何度かご馳走になっている。
しかし、食卓にのぼるときにはいつも焼いてあったし、思い返せば私が知っているものはもう少しサイズが大きかったような気もするので、ネタケースの中に並んですましている姿からアブッテカモの名前がすっと出てこなかった。
「これは季節もので、今日は市場にいいのが出ていたから、ちょっと面白いかなと思って。同じように、今からお盆あたりまでが旬のものとしては、マジャクがあります。アナジャコとも呼ぶ。そう、この、海老みたいなの」
大将の指さすほうを見ると、海老というか、ザリガニのような生き物が見えた。正式名称がアナジャコだそうですが、調べてみるとヤドカリの仲間だ。うむむ、これ、うまいんだろうか。
「あと、そのアナゴの後ろのは、アゲマキ貝。これも夏だけのもので、うまいですね。大珍味です」
アゲマキ貝。マテ貝のようにも見えるが、マテ貝よりは短く、形状も丸っこい。それにしても、大珍味と言われては黙っておれないし、懐かしい響きのあるアブッテカモも当然素通りできない。
それから、あの、エビのような形状でシャコを思わせる名前を持ちながら、実はヤドカリの仲間というマジャクも、今日この日の出会いを逃すべきではないよと、ネタケースの中から私に話しかけるようでもある。
壁に掲げられた品書きに目をやれば、実にたくさんの酒肴が記されていて、自力で選べない。せっかくだから何を選ぶべきかと思うほど、大将に縋るしかないのです。
「アブッテカモ、マジャク、アゲマキ貝、全部ください。それから赤星を1本お願いします」
人も酒肴も一期一会
私は、座り直し、背筋を伸ばした。はじめての酒肴を頼むとき、初めての酒を口にするとき、最近では少し緊張する。このチャンスが、またとないものである可能性を考えるようになって、自然とそうなった。
人も酒肴も一期一会。もとは茶道の訓えというこの言葉は酒の道にも通じるのだな……。などと思いながら、赤星を飲む。
取材隊はこの日、開店前にお邪魔をさせていただいたのだが、夕刻を控えた午後の赤星がまた、格別にうまい。土地の珍味を待つウキウキとした気持ちが、ビールをよりいっそううまく感じさせる。良質の飲み屋さんでこそ味わえる“ビールの味”なのである。
「アブッテカモは、ようと焼いてんやい。焦がしていいけん!」
厨房の若い衆に大将が声をかけている。そうそう、焦がしていいけんね、と私も心の中で叫び、コップに2杯目のビールを喉を鳴らして飲む、すると、そこへアゲマキ貝が出た。焼き貝である。
「潟のものやけん、素焼きだとちょっと味がきついから、焦がし醤油でね。あと、これはバター焼きもうまいし、アサリのかわりに味噌汁に入れてもいい」
レモンを搾り、熱いうちに口に放り込むと、なんともいえない味わいが口の中にじわりと広がる。素朴で深く、海の潮を感じさせる。
ああ、こんなうまいもの、久しく食べていなかったなと、ため息が出る。それくらいうまい。
続いて、アブッテカモ。焦げ目がつくほどしっかり焼いてある。
「水分が多い魚だから塩漬けにして余分な水を出し、鱗もつけたまま強めに炙ります。アブッテカモというと、鴨を連想するけれど、これは、炙って噛む、から来ているらしいですね」
うまかねえ、アブッテカモ。大将いわく、酒の肴にしかならないような魚だそうだが、肴としては大変秀逸だと、私は思う。
そこへ、今後はマジャクが来た。アゲマキ貝同様、干潟の珍味だ。
「唐揚げです。頭にちょっとミソが入っています。僕は、頭のほうはゴマ塩で食べて、尻のほうをタルタルソースで食べる。そうすると、この小さいのでも2種類の味になる」
言われるままに、頭を塩で食べる。柔らかく、口の中でほどけていくマジャクの頭。噛み締めるとミソの風味がひろがり、初めて体験するおいしさだ。
そして尻尾のほうを、これまた言われたとおりにタルタルソースでいただくと、小エビのフライのような絶妙な軽さである。断然、ビールに合います。
燗酒の後に飲む赤星のうまさ
地元の酒から、「あいらしか」という銘柄をいただく。濃厚な海の味わいと潮の香りに、土地の日本酒を合わせてみたいのだ。同時に赤星ももらう。珍味と日本酒で濃くなった口中を更新し、新たな酒肴の流れに入るためである。
壁の品書きの、右上のほうに、「ごまあじ」という文字を見つけた。これはなんだ?
九州というと、ゴマサバがある。ゴマサバという種類のサバもいるが、そのことではなくて、マサバのゴマダレ和えである。ゴマアジは、そのアジバージョンか。さっそく大将に聞いた。
「ゴマサバというのは郷土料理みたいなもの。母親たちの手抜き料理です。ゴマダレに和えたサバをみんなでつまむんですが、余ったら、汁を切ってタッパーに入れておいてね。その日の夜食とか、次の日の朝メシに出して、味の染みたサバを飯にのせてお湯をかけて食べる。鯛茶漬けみたいなものです。今は、サバの時期は終わりだから、アジでやるんですよ。これも、うまいですよ」
私はもとより青魚に目がないのだ。同じ福岡の味に、サバやアジの糠炊きというのがあるのだが、これは、出汁に糠を溶いてサバやアジを煮た料理で、始めて食べた15年ほど前の小倉の夜を忘れられない。今回、それと同じくらいの感動を覚えたのがゴマアジなのだ。
質素で、シンプルで、誰でもいつでも作れる。けれど、これさえあれば酒は飲めるし、どんぶり飯も食える。
日本酒「あいらしか」の燗はこの素朴な郷土の味によく合ったのだが、実は、すぐに飲み切ってしまった燗酒の後に改めて飲む赤星のうまさもまた格別なのだった。
「もう20年も前のことですが、博多のグランドハイアットホテルで結婚式があって、そこでこの赤星を初めて飲んだんです。そのとき、これ、おいしいねえって話になって、それまでのビールから赤星に切り替えました」
大将は赤星との出会いをこう語る。日本酒や焼酎にも詳しい大将は、数々の銘酒を「隠している」と笑う。ご自身も酒好きなのだろうなと思いながら訊いてみると、
「毎晩、飲みようよ。酒は大好きです。店の後片づけが終わってから、国体通りにある朝まで開けてる屋台へ行ったり、バーへ行ったり、カラオケ行ったり、いろいろです。
博多の人間はおせっかいで、屋台にいる他所の土地から来たお客さんにも、何飲みようと? とか、どこそこの店へ行ったことないと? じゃ連れてってやるけんって、そういうことが好き。知らん人と喋るのを好いとうとです」
そう語る大将の笑顔がまたすばらしい。
次は是非、厳冬期に訪ねてみたい
私の前には、丸焼きにしてもらったアカ貝が出た。
一方、赤星で盛大に乾杯した取材隊の面々の前には先の珍味3品のほかに、ポテトサラダ、おでん、鳥の南蛮漬けが並び、大将お薦めのビナという貝も出た。
そう、店に入って最初に目に入った巻貝だ。味は海の塩と昆布という、なんとも贅沢な茹で貝で、これまた赤星にドンピシャでマッチする。
取材隊には20代が3人いる。若者たちである。還暦ライター・オータケから見たら子供たちであり、彼等は腹っぺらしだ。彼等は知らぬ間に牛ネギ焼きめし、なる一品を注文していた。
見るからにうまそうだ。ここはお茶漬けや焼ラーメンなど締めメニューの数々を取り揃えているが、分けてくれた焼き飯を口に入れれば、おお、洋風焼きめしではないか。趣ががらりと変わって、おもしろい。
秀逸な料理と店主の飾らない人柄、それから丁寧で楽しい、客との会話。さらに言えば、酒の揃えと瓶ビールなら赤星という見識。そしてなにより、酒好きを公言する大将の抜群の笑顔。そのすべてが、「寺田屋」の魅力だ。
次は、クエ(こちらではアラ)が出る厳冬期に訪ねてみたい。刺身から入って、鍋をつつく頃にはポッポと温まり、軽く汗ばみながら、
「赤星もう1本!」
と声を張って頼みたい。
(※2023年5月19日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行