“赤星”の愛称で親しまれるサッポロラガービールが飲める店を訪ね歩くマラソン企画、人呼んで「赤星100軒マラソン」、ついに、このたびの訪問をもちまして80軒目に突入いたします。
還暦ランナーである不肖オータケを先頭に、編集、写真、営業、広告と、スタッフが勢ぞろいいたしまして乗り込みますのは九州・福岡、そのど真ん中の、博多であります。
嬉しかぁ!! 私、博多は大好きですばい。
訪ねましたのは5月中旬、街ではそろそろ博多祇園山笠に向けてじわりじわりと盛り上がりを見せる頃合いでしょうか。遠征取材の成功を祈りに、博多の総鎮守、櫛田神社へお参りをいたしましたら、境内では豪華絢爛な飾り山がお披露目されていた。
700年もの歴史を誇る祭りだけに、本番ではさぞや盛大かつ豪壮な光景が見られることでしょう。
東京西郊のベットタウンの小さな夏祭りくらいしか参加経験がない私には、眩暈を催させるかもしれないその光景を、ただ想像するしかない。しかし、だからこそ憧れる気持ちもわいてくるのです。
さて、このたびの目的の店は、この櫛田神社のすぐ近く、地下鉄祇園駅から歩いて5分かからぬところ。冷泉町という、下町風情が残る一角にある。
小ぢんまりとした一軒家で、藍の暖簾には「牛もつ鍋料理 みやもと」と白抜きされ、赤提灯がひとつ提げてある。
約束の時間、戸を開けて中へ入ると、本物の常連さんにだけ許されるキープの徳利に囲まれた、特等席に案内されました。2階にはお座敷もあるということです。
さあ、博多に来たからには、本場、元祖のもつ鍋を堪能しよう!
メニューを置かないシンプルな理由
さっそく赤星を頼みます。突き出しの小鉢は、酢もつです。
身が細かく切られていて、これまで見てきた酢もつとちょっと違う。口に入れてみると、ふわりとした食感と、ほどよい酢の加減で、とても軽やかに感じられる。
「おいしい酢もつですね」
「店に来られる前に、今日は酢もつがあるか確認するお客様もいらっしゃいます。うちでは、牛1頭から300gくらいしか取れない、腸の一部だけを使っています」
そう教えて下さったのは、女将の智子さん。旦那さんである宮本洋さんが2代目の店主で、料理を担当している。
さて、食べ物はどのように頼んだらいいものか。ちょっと迷っていると、実はこの店、メニューを置かないという。頼めるのはもつ鍋だけと決まっているのである。
「最初にもつとニラだけで食べていただき、お代わりのときに、キャベツとお豆腐を入れます。締めにはちゃんぽん麺。お鍋は、おふたりで食べるなら3人前、3名様なら5人前を目安にしてお出ししています」
あ、そうなんだ。実にシンプル。何も考えなくていい。こういうの、好きばい……。と、心の中で似非博多弁で呟いてみる。
博多の女性が「好かん!」というのは聞いたことがあって、なんとも可愛らしく、痺れたものだったのだが、好きという場合は、なんと言う? 好いとうとよ、なんてのも聞いたことがあるけれど、還暦の私が口にして可愛らしく響くわけない。
それで、単に好きばい、にひとまず落ち着いたわけだが、そんなことを、心の中でブツブツ言っているうちに、早くも平たい鍋が運ばれてきて、目の前の卓上のコンロに置かれたのであります。
もつとニラとスープの混然一体
おお! こんもり盛られたニラの下で、もつがグラグラと煮えている。
「最初はもつとニラだけで味わっていただきます。もつはもう火が通ってますので、ニラがしなっとなるように、オタマで下からガッツリ混ぜてください」
オタマを手にとり、構え、鍋に入れ、ぐっと下まで差し込んでから、ひょいと持ち上げる。すると、みるみる湯気があがる。それは濃厚な、もつの湯気だ。
なんともいえない、いい匂いがしている。人を期待感に包み込む魅惑的な匂いだ。鍋の中のもつは、牛の内臓という。8種類くらい入るという。心臓、肝臓、肺に小腸、大腸、胃袋はたしか4つあったはずだから、そこから3つくらいだろうか?
おお? あれに見えるはまさしくセンマイではないか? そして、これらのほかに考えれるもといえば、ナンコツ、直腸、子宮、そのあたりだろうか……。
オタマで2度、3度とやるうちに、だいたい混ざり、さっきまでシャキシャキの生感にあふれていたニラがねっとりと艶を帯びてしなだれかかってくる。実に魅惑的だ。
今ばい! と心の中で思いつつ、瞬時、女将さんの顔を伺うと、よかよ! と言っているように見えた。
小鉢の中は、もつとニラとスープの混然一体。かなりつよいニンニク臭も立ち上がってきた。猛烈にうまそうである。
この赤星探偵団のサイトに「アニ散歩」という別企画があり、そこではアニキこと片野英児氏がうまいもんを喰ってはやたらと“気絶”しているのだけれど、今回、私は、悶絶した。
還暦だって悶絶する。それほど、うまい。
「お客様の中には、もつとニラばかりお代わりして、それをアテにお酒をたくさん召し上がる方もいらっしゃいます」と女将さん。なるほど、なるほど、私もその、もつニラお代わり派かもしれぬ。
醤油ベースのスープは、昭和49年に創業した初代が考案し、一子相伝で現在のご店主に伝授されたもので、基本的に塩辛めの味付けである。そこに唐辛子もぱらぱらと振ると、なおさらうまい。
こってりと甘いもつの脂の深みと、キリリと口中を締めるニラの青みが噛むほどに深まる。そして、うまみの凝縮したスープをズズズッと啜ると、おお、ビールが欲しい!
コップに注いだ赤星をひと息に飲み干し、次の1杯を注ぎ、それもぐいぐいと飲む。そんな私を見ながら、女将さんが微笑む。
「うちのスープはちょっと塩辛めです。だからビールにも焼酎にもよく合います。瓶ビールは赤星を昔から置いていますが、古い常連さんにも新しいお客さんにも人気ですね。無限にビールを飲んで無限にもつ鍋を食べるという無限ループを味わってください(笑)」
編集、写真、営業、広告など、同行のスタッフ一同も一気に食卓に参加。うぉ、とか、ああ、とか感嘆の呻きをあげながら喰らい、スープを啜り、赤星をごくごくと飲む。
それにしても、もつが抜群にうまい。臭みやえぐみをまったく感じさせない。店主の洋さんに聞くと、余分な脂身などを取り除いて綺麗に洗う下ごしらえには、なんと、4時間を要するという。「うまい」には訳があるのです。
締めのちゃんぽんまで、一切の隙なし
寄ってたかってもつとニラを片づけると、いよいよここでお代わり。第2形態へと進む。
このお代わりには、キャベツとニラがこんもりと盛られていた。1回目の少し煮詰まった濃厚なスープを継ぎ足し、下に隠れた豆腐を崩さぬよう注意して混ぜていくと、1杯目の鍋とはまた別の逸品に仕上がった。
豆腐は、ずっとお付き合いのある、創業70年の老舗からの取り寄せ。しっかりした歯ごたえ豊かな木綿豆腐が、もつから出た出汁にもよくマッチして、うまい。
キャベツは、食感も甘さも、この鍋にトッピングする野菜として最適と思われた。
「オヤジの頃は、このスープ、もっとしょっぱかったんです。昔のお客さんは、オジサン世代のサラリーマンが多かった。世の中全体でみれば、肉体労働の方も多かったし、クーラーも完備していない社会。
みなさんよく汗をかき、水も飲んだ。だから、スープは濃いものが好まれたのでしょう。昔の長浜ラーメンも、今よりしょっぱかった。でも今は、若い人も女性もたくさん来られます。だから時代に合わせて、少しだけ手を加えています」
なるほど。創業49年になる老舗には、時代とともに存在するためのご苦労がある。
さらりと聞き流してしまいそうな話でもあるが、これ、実はたいへん重い話。そのへんのこと理解してスープを味わえば、喜びもまたひとしおというものである。
さて、締めは、ちゃんぽんです。これが最終形態。
「雑炊はないんですか、と訊かれることもありますけど、うちはちゃんぽん一択です」
と胸を張る女将さんが、濃厚なスープの残る鍋に、製麺所に特注しているという、やや細めのちゃんぽん麺を豪快に投入する。
「麺は硬めを好む方、ぐずぐずにスープを吸った状態のを好む方、さまざまですね。お鍋を食べて、もう何もお腹に入らんと思っても、うちのちゃんぽんは別腹。みなさんそうおっしゃいますよ」
ハフハフハフ、ズズズーッ、ハフハフ、ズズーッ、熱々のちゃんぽん麺を啜りあげる。
ふわぁ、うまいな、これ。いくらでもいけるぞ、腹はち切れるまで喰いたい……。締めちゃんぽんの虜となった取材隊の面々の口から、次々に感嘆の言葉が漏れる。
酒を飲むときはあまり食べない私だが、締めのちゃんぽんを前にしても旺盛な食欲を維持し、それは衰える兆しを見せない。そんな姿を取材隊の若手たちは、あ、とおちゃん、今日は珍しくよく喰うな、というやさしい目で見ている。
小鉢に、ちゃんぽんのお代わりを入れ、また啜り上げる。これならドンブリ1杯は軽くいける……。そう思いながら、また啜る。夢中で啜る。
私は今、とてもシアワセな気分である。
(※2023年5月17日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行