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久しぶりで、午後の新橋を歩いた。暑さも一段落した9月の上旬のことである。
日比谷方面から歩いて新橋へ向かい、着いたところはSL広場だ。視界には、見るたびに懐かしい気分にさせる「ニュー新橋ビル」が入っている。
金券ショップ、宝くじ売り場、喫茶店、食堂、タバコ屋、ジューススタンドなどなど、さまざまな店が、まさに雑居する。2階には床屋さんやマッサージ店があり、4階には囲碁会館や麻雀サロンもある。昔懐かし、と思わす口に出してしまいそうな、いわゆる昭和の風情がそのまま残っている。
この日、サッポロラガービール、通称「赤星」を探し歩く赤星100軒マラソンの面々は、この伝統ある駅前雑居ビルの、「ザ・ビル内飲み屋街」と言える地下街を目指していたのです。そう、新橋で赤星を探すために。
■昭和生まれの郷愁を呼び起こすもの
入口で手を消毒してビル内に入り、エスカレーターを下りて「憩いの地下街」へ。時刻は午後3時。まだ多くの店がシャッターを下ろしている時間帯だが、すでに開いている飲み屋さんもちらほら。さて、目指す酒場はどこであるか?
地下街はちょっとした迷路だけれど、それでも「ひょっとこ」はすぐに見つかった。この赤星推しまくりの外観はなかなか素通りできるものではない(ここで気がついたのだが、ビルの裏手側のエスカレーターを使えば下りた真正面だった)。
午後3時に店を開けたばかり、私たちは最初の客だった。頼むは、もちろん「赤星」です。
隅っこのテーブルにつき、店内全体を見渡す体勢になって、この日最初のビールと向き合う。午後3時は体内時計的にも、やや早い感がある。それでも、やはり、最初の一本、最初の一杯は格別で、爽快さとほろ苦さが渇いた喉に沁み渡るように感じられる。
すぐに出てきたお通しの小鉢にはヒジキの煮付がたっぷりと盛られている。ほんのりと甘い。そして、海藻の、やはりこれも滋味と呼ぶべき深い香りがある。ああ、ヒジキをつまみに飲むの、久しぶりだなと気付く。そして、それに気が付いたことが、ちょっと嬉しかったりもする。
ニュー新橋ビルは来年で還暦を迎える私などの、そのまた父親たちの世代に大いに愛されたビルであるはずだ。そこに、家庭料理の代表格であるような一品がさり気なくお通しで出てくるのが、いかにもよく似合うのである。
最初の一杯を飲み干し、しめサバとまぐろ山かけを頼んだ。
壁にかかっているホワイトボードに、この日のお勧めメニューが書いてある。店主の大島昌史さんによれば、これらはよく出る品であるとのこと。いくつかを拾ってみると、たこぶつ、こまい一夜干し、しらすおろし、あつあげ焼、牛もつ煮込、鳥からあげ、などの文字が目に飛び込んでくる。
どれも居酒屋の定番メニューであるが、家庭の食卓にのっていても不思議ではない。今時は居酒屋もさまざまだけれど、ここ「ひょっとこ」は、日ごろから食べなれた、多くの人たちが理屈抜きにおいしいと思う酒肴を揃えて待っている。
ちなみにこの酒場ではタバコも吸える。このビルに入っている居酒屋や喫茶店は昨今では珍しく喫煙可能店が多い。若い方々には賛否両論あろうと思うが、これもまた、昔ながらのスタイルだ。そんなところにも、昭和の文化を体験してきた人たちの郷愁を呼び起こすものが隠れているのかもしれない。
■昨今流行りのエセ昭和などではない
しめサバを一切れ。酢の加減、塩の加減、そして脂ののり加減、いずれも申し分ない。
それにしても、しめサバをつまみに、まだ明るいうちから飲る赤星タイムというのは、なんとも痛快なものだ。どこかの街まで旅に出てきたような、そんな非日常的な錯覚を味わうことができる。
このビルが完成したのは1971年と聞いている。もう満50年を過ぎたわけだ。71年というと、63年生まれの私が8歳のときということになる。吉祥寺の名店会館という商業ビルが東急百貨店にかわったのもその前後ではなかったか。生まれ育った場所に近い吉祥寺を引き合いに出して申し訳ないが、当時はまだパルコもなかった。
それはともかく、ニュー新橋ビルがあるこの土地は、いわゆる戦後の闇市のあった場所だと聞いた。闇市はやがてマーケットと呼ばれる飲食店街に整備され、大いに発展した後、新橋駅市街地改造事業によってニュー新橋ビルに生まれ変わった。マーケット時代に営業をしていた店の多くがそのままニュー新橋ビルに入った。
と、いうところまでは、なるほどなるほど、という話なのだが、こちらのビルはちょっと特殊で、実は、各区画が分譲されているのである。ビル内には各種の物販、飲食、マッサージ、占い、喫茶、雀荘、理容など多彩な店舗がひしめいている。
中層階からは法律事務所などもお見受けするようになり、私は足を運んでことはないけれど、さらに上層階の分譲区画は、オフィスとして使用したり、さらに上へ行くと住居になっているということなのだ。
分譲の雑居ビル。なんか、ちょっと洒落ているじゃないですか。一軒、一軒、オーナーがいて、店の営業が成り立っている。もちろん、営業しているお店には個人店もあり、チェーン店もある。だから、ふらりと入った客には、一般的なテナントビルと見分けは付きにくい。
けれども、ビル全体に漂っている街中のような雰囲気の正体をあれこれ詮索してみれば、それは一軒一軒が独立した商店主たちによる経営であることに行きつく。それぞれが、それぞれのやり方で、それぞれの規模や営業形態に見合った営業をしている。軒は並べているが、それぞれバラバラ。それが、街中の空気を生み出している。
まぐろの山かけには鮮やかな青海苔が振りかけられていた。いいねえ、山芋、青のり、まぐろぶつ。赤星がまた、うまくなる。
「毎日、午後3時に開けています。以前は早い時間にはお勤めを引退された方が多かったのですが、コロナを機にそうしたお客様たちは少し減りましたね。今はやはり、夕方以降、40代、50代が中心です。でも最近は、若いお客様、増えているんですよ」
大島さんはそう語る。笑顔の素敵な人で、つい話しかけたくなる。
「僕なんか五十肩で腕まで動かなくなるわ、腰は痛いわ、膝はガクガクするわで、もうたいへんです」
すると大島さん。
「私も一緒です、もう、ガタガタですよ」
と言って、にっこり笑う。
「失礼ですけど、大島さんはおいくつになりますか」
「59歳です」
「え? 昭和38年?」
「ええ」
「ああ、一緒です!」
嬉しいねえ、同級生。以前、この連載にて神田の「あい津」という渋い居酒屋をお訪ねしましたが、そこではお客さんふたりが私の1級後輩だった。生きていればあれこれ忙しく、気がつけばあっという間に歳をとるけれど、ふと入った酒場の店主やお客さんがほぼ同じ時代を生きて来た人だったりすると、それはちょっと恥ずかしく、恥ずかしくも、嬉しいのだ。
「お通しのヒジキとか、やっぱり、こういうのがいいですよ」
「他所で出さなくなっているから、いいのかもしれませんね」
なるほど。このあたりも、似非(エセ)昭和でない証拠か。
ところで赤星はいつ頃から置いているのだろう。
「10年くらい前でしょうか。銀座の『煉瓦亭』さんも赤星だって聞いたことがあって、なんかかっこいいなあって(笑)」
もともと生ビールがサッポロだった縁もあるが、大瓶を赤星にしてからは、こちらもよく出る。焼酎ベースの割りものを頼む常連さん、日本酒を好む常連さん、さまざまだが、私たちが出かけたこの日にお見えになった常連さん一行も、まずは赤星を、たいへんおいしそうに召し上がっていた。
■新橋はやっぱり新橋だった
調子が出てきた頃合いで、ちくわチーズ揚げを頼む。
ちくわにきゅうりが入っているのもいいし、何より磯辺揚げは格別だ。そもそも、ちくわや蒲鉾に、私は弱い。ワサビ醤油につけて口に放り込めば、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキーと相手を選ばないことを確信している。
唐突だが、ちくわと焼きタラコがあれば他にどうのこうのは申しません、というのが私のスタイルだ。しかも、チーズも好物であって、それぞれ別個に食べて酒肴になるものを一緒にして悪いわけはない。
別卓では編集Hさん、写真のSさんも時折り加わって、赤星タイムが始まった。そして彼等が最初に注文したのは「ソーセージ盛合せ」。
そうよ! それそれ、私も気になっていたのだよ、と思わず声をかけたくなる私はソーセージ好きだ。もつ焼き屋に行っても、真っ先に頼むことはまずないが、チョリソー串が品切れているとドスンと音を立てて意気消沈したりするほどの、ソーセージ好きなのである。
出てきた一皿を見て、にんまり笑う。うまそうだよねえ。さっきまで難しい話をしていたふたりが、
「あ、これ、うめえや」
「ほんと、いけますね」
とか言いながら箸が止まらないという。ヘタな形容が異様に長くて恐縮ですが、私にはそういう感じのソーセージ盛りなのであります。
次なるひと皿は、肉しゅうまい。これも、ホワイトボード上で気になっていた一品ですが、出て来てみると、ちょい醤油でパクっとやるなら、ひと皿4個はあっという間だろう。実際、この4つの焼売はあっという間に消え去るのである。
ソーセージ、しゅうまい、ときて、次に何がくるか。ニラ玉だ。「そして、ニラ玉」という歌にしたい流れ。卵とじ風のニラ玉ではない。円盤状の形のしっかりした、それでいて箸でつつけばプルルンと照れる、「そして、ニラ玉」なのであります。
気がつけば、仕事帰りと思しきグループが1組、また1組。それぞれが楽しそうにやり始め、店は俄然、新橋らしい活気を帯びてきた。
やっぱりいいなあ、新橋。私はタバコを取り出し、1本に火をつけて、屋久島の芋焼酎のソーダ割りを頼みました。
隣席の100軒マラソン隊はというと、どうやら、ハムカツを追加注文したようだ。
ハムカツといえば写真のSさんの大好物。この人のすばらしいとことは実にうまそうに、しかも一瞬でハムカツを食すところだ。昔、少年時代の友だちにもいたタイプ。駄菓子屋でいろいろ物色しつつ、なかなか家に帰らない親友を思い起こさせるのです。
昭和の風情を色濃く残す「ニュー新橋ビル」で、50年遡って駄菓子屋で寄り道をしているような、楽しい夕方の酒になりました。
(※2022年9月8日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行