隅田川を渡って南千住から北千住へ入ると、街の空気が少し変わった気がします。日光街道の最初の宿場として栄えた街だからか、それとも、千住の魚河岸と呼ばれる中央卸売市場があるからか。どこか、すかっとした、明るい雰囲気に包まれるような気がするのです。
駅前から旧日光街道沿いにかけては、老舗の酒場も多く、一度の訪問で、目当ての何軒かを回り切るのが困難なほどに、酒場好きにとって充実した街です。今回、向かう店は、旧日光街道を渡り、新しい日光街道も渡った、その先にあるという。私にとっては、初めてのエリアになります。
北千住は、乗り入れる鉄道の本数も多く、また、都心にきわめて近いことから人気が高い。そのため、駅周辺はちょっとしたビッグタウンだ。けれど、ほんの少し駅を離れていくと、すぐに住宅街に入る。道を一本入ると、細い路地になっていたり、通り沿いにも古い商店が昔のままの風情で、残っていたりする。
たとえば加藤煎豆店さん。シブい構えで、通りかかるなり、吸い寄せられた。落花生、甘納豆、塩豆などが、木枠のガラスのケースや、楕円球のガラス瓶に入っている。煎餅屋とか駄菓子屋、あるいは、小さな和菓子屋、そして、こうした豆なら豆を専門とするような小さな商店が、少し前までは東京のいたるところに残っていたような気がします。
お豆腐屋さんとかね。たいていはご家族経営で、行きつけになると、たまに、ちょっとおまけをしてくれたりする。鮮魚店も精肉店も、酒屋さんも、みんな昔は、小さな個人商店で、だからこそ、その店なりの癖というか、まあ、個性といいましょうか、そういうものが前面に出ていたものです。
こういうことを書くと、涙目で昔を思い返す懐旧オジサンだと思われるかもしれませんが、いいんです。むしろ居直って、昔へ逆行してやろうかと考えているくらいのものですから、私はやはり、ここで、薄皮つきのピーナッツを二袋、求めることにしたのです。
■まさに筋金入り
さて、10分ほど歩いて目当ての居酒屋につきました。店名は「酒屋の酒場」。藍に白抜きの暖簾がきれいですよ。
常連さんの迷惑にならないよう、この日は特別に早く入れてもらいました。奥に長い店内の、左側はカウンターで、右側はテーブル席です。カウンターに席をとり、さっそく注文をする。
「赤星をください」
「はい、赤星。うちは、店を始めた60年以上前から、ビールは赤星なんですよ」
2代目の大将、川岸浩哲さんがそう言う。
先代が故郷の栃木から千住へやってきて、親戚の酒屋さんにお勤めになり、酒屋から分離する形で飲み屋を始めたのが昭和30年代前半のこと。現在の大将は、38年の生まれというから、物心ついたときには、すでに酒場の子、だったわけですな。
「子供のころは、店が遊び場でした。4歳くらいのときにはもう、お客さん相手に話をしたり、お客さんに遊んでもらったりしてましたね」
物心ついたときの記憶が飲み屋の光景というのは、まさに英才教育ですな。私も7歳くらいのときには屋台のもつ焼きを親父や兄貴と楽しんだものですが、川岸さんはやはり、筋金入りという感じがいたします。当然、大人に混じって仕事もするわけです。
「小学校の2,3年生のころからは、お運びもしていましたよ。煮込みとか、炭酸とか。5,6年になると焼き物を手伝い始めて、中学に上がったときには揚げ物も(笑)」
まさに、筋金入りなんですな。
壁の品書きに目をやれば、実に魅力的な品々が夕方の飲兵衛の気を引きますよ。
刺身だけでもすごいよ。カンパチ、特上マグロ、アジ、シマアジ、ヤリイカ、タコ、北海タコ、ツブ貝、赤貝、ホタテに〆サバ。ほかにも、牛モツ煮込み、白子おろし和え、ナメタガレイの煮つけにサバ塩焼きにホッケ、アナゴの白焼きと、まさに、目移りする品ぞろえである。
これだけの品数があれば、週に2度3度と足を運んだって飽きない。これぞ、みんなの人気を集める大衆酒場のあるべき姿なのでありましょう。
■「昔はみんなよく飲んだんだ」
最初の1品はマグロの刺身。
居酒屋のつまみの中で、マグロというのは常に、幅を利かせているような気がいたしますが、こちらのマグロは見た目も美しい。暖簾に大衆酒場と書いてある店で、こういういいネタが出るのがうれしい。
こちらの先代はこの店を始める前、近所の千住の市場に通って魚のことを勉強したということです。そういう経験があるからこそ、人のつながりと、魚を見る目ができてくるのかもしれない。
生意気にそんなことを思ううち、仕込みを終えてひと息ついていた先代の川岸道二さんが調理場に立って、今度は、マツカワガレイの刺身を切ってくださった。
「マツカワはね、昔は本当に高価で、うちでは扱えないブランド品だったんですよ」
今も決してお安くはないカレイの王様ですが、さすがに、うまいですな。私のように、ただ飲むばかりが取り柄の男にはもったいないくらいで、脂ものり、引き締まり、歯ごたえもあって上品だ。
今年で83歳になる先代は、ニット帽をかぶり、包丁を使う傍らで、昔の話も聞かせてくださいました。
「サッポロさんとはね、ニッポンビールのときからなんだ。よく売ったんだ。25リットルの樽を、ひと晩で6つも売ったんだから。近くの肉屋に頼んで冷蔵庫を貸してもらって、そこで冷やしていた。瓶になってからも売れましたね。倅が生まれた日なんかは、ひと晩で大瓶160本だったかな(笑)」
ビールは腹が張るから、中瓶1本くらいでいいや……。そんなこと言う人が少なくありませんが、今、父親の世代を思い返すと、昔の大人というものは、大瓶のビールを何本も飲むようなことがあったような気もします。そんな話を先代に向けてみたら、にやりとされた。
「そうだよ。みんなよく飲んだんだ。ひとりで大瓶5本くらい、平気で飲んだ」
なんだか、うれしいような話じゃありませんか。ひとり大瓶5本……。ねえ、これは相当に、景気がいいってものですよ。
マツカワガレイの味の良さは、ビールはもちろん、日本酒にもぴったりだろうし、この時期、燗酒をじっくり飲む、というのも捨てがたい。一方で、レモンサワーなどに切り替える方向で考えるなら、ここいらで揚げ物もいいのではないか。
分厚い玉子焼きに手を出しながらそんなことを思いつつ、また品書きを眺めると、アジフライとある。ここは迷わず注文しておくことにいたします。
■早い時刻の酒の楽しみ
ときに、午後5時の開店以降、実は猛烈なスピードで、この店は賑わい始めたのです。
というのも、5時の時点で、店の外に数人のお客さんの姿があり、5時5分には、我々を含めて4人のグループが3組入店。カウンターにひとり客の姿もあったから、驚くではありませんか。
それほどまでに、この店で飲むことを楽しみにしている常連さんが多いということでしょう。なにしろ、駅からは少しだけ離れていて、ぶらりと歩いていて、ふと暖簾をくぐる、ということは、そうそう頻繁に起こるわけでもないだろうと察しがつくからです。
しかしながら、そういう立地で、この店はすでに60年を超える歴史を誇り、今なお、早い時刻からお客さんを吸い寄せているわけですから、それはもう、店の底力のなせる業、としか言いようがないのかもしれません。
アジフライをかじる。パリパリと、心地よく衣が崩れ、ふわりとしたアジの身が口中に広がる。これも、格別だ。
ビールをもう1本。手際よく供される赤星の瓶を握ると、その冷たさがまた心地いい。
大瓶からコップへ注いで飲むスタイルは、海外ではとんとお見掛けしませんから日本独自のこのかもしれませんが、注いでは飲み、飲んでは注ぐ、このテンポというものは小気味のいいものでして、ひょっとしたら偉大な発明なのではないか、という気もしてきます。
さてさて、忘れてはならないのは〆サバです。ほどよい塩加減が酢の甘味を引き出すようで、身の鮮度ともあいまって、絶妙な味わいになっている。
ここで、先代から勧められた、カジキマグロのねぎま汁が出た。
啜ってすぐに、ああ、うまいねえ、と皆が声をそろえる逸品。言葉は甚だ抽象的になりますが、沁みわたるうまさだ。
さて、これを中締めとするか、ひとまずの箸休めとしてネジを巻きなおすか。
おいしいお汁をいただくと、その後の酒はよりうまくなるものですから、ここはちょっと迷いどころだけれども、ひとまずあともう1本いただいておこうか、という暫定的な結論が即座に出るのもまた、早い時刻の酒の楽しみなのかもしれません。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行