回数を重ねて参りました赤星100軒マラソン。サッポロラガー、巷間「赤星」と呼ばれる瓶ビールを求めて酒場を巡るマラソン酒も、今回で39回を迎えます。
このたび出かけますのは、中央線の高円寺駅。北口へ出て、しばらく北上すると、早稲田通りに出るのですが、そこまで至る間にも、実にたくさんの魅力的な店に出くわす。それが高円寺の魅力です。
この街は、学生時代の友人が部屋を借りていた街であり、そのときから20代いっぱいまでの通学通勤の途中駅であったことから、私にとっても、長く馴染みのある街。けれど、実のところ、あまり知らない。
もともと酒場を訪ね歩くようなことがあまり得意ではなかった。特に、何某の本に出ているとか、かつて作家の誰それが通った店であるとかないとか、そういう情報に導かれて出かけるのが、ちょっとばかり恥ずかしく、生来の出不精も重なって、そんなことになってきた。
それでも、高円寺といえば、古い沖縄料理の店がある。バーのいくつかも知っている。他にも、懐かしいような雰囲気の喫茶店に大衆食堂、そうそう、銭湯にモツ焼き屋……。馴染みは深くはないものの、高円寺といえば、と思い返せば、記憶の古い引き出しまでひっくり返した挙句、かえって散らかしてしまいかねません。
そういう雑多な思い出と、昨今知った情報とが具材として混ざり合っているのが、私の高円寺鍋という按配なのですが、今回は、そこから、とっておきの1軒を訪ねます。
■山形にちなんだ酒肴と蕎麦で
早稲田通り沿いの店、椿。
どんな店かと問われると、いろいろと切り口がある。ひとつには手打ち蕎麦の食べられる飲み屋と紹介することができる。
蕎麦屋で飲むというのは、一般的ですが、そうではない。ここの主体はあくまでも酒を出す店であり、そこで本物の、手打ち蕎麦が食べられるということになります。
バーの中に、こうした手打ち蕎麦を売り物にする店がありましたけれども、今はどうなっているか、私は存じ上げませんし、椿のは、バーのケースとも違います。
カウンターの内側は厨房になっていて、天ぷらを揚げる鍋があり、刺身を切るスペースがあり、壁際には、酒や肴の品書きがぶら下がり、蕎麦の用意をするスペースもある。蕎麦屋ではなく、飲み屋であり、カウンターの右端は厨房の覗きながら飲み食いできる特等席であるともいえる。
椿のもうひとつの顔は、酒肴の中心が山形にちなむところにある。
たとえば、きゅうり、ネギ、ミョウガ、ナス、などの夏野菜を昆布などと一緒に細かく切って醤油で味を調えたものを「だし」という。昨今突然、全国的に有名になったが、これは山形の郷土料理のひとつで、夏場は飯や豆腐にかけるとうまい。とりわけ、豆腐にたっぷりのっけると、涼しげなつまみになるのだ。
だしだけでなく、もちろん、芋煮だってある。肉は、鶏も豚も牛も山形銘柄にこだわっているし、蕎麦は山形産「出羽かおり」の石臼引き粉を毎日手打ちしている。
そしてなにより、地酒。県内の蔵元のものが、季節ごとの限定酒まで、マニアックに揃う。
■酒場における、私のフォーム
能書きはさておき、さっそく赤星といこう。
お馴染みの瓶がカウンターの上に出された。では、いただきます。
お通しの小鉢は冬瓜のカニあんかけ。ああ、もう冬瓜のシーズン到来なのであるなとしばし眺め入り、上品な餡の味わいとともに、サクサクとした爽快な歯ざわりを楽しむ。
淡い。淡いのだが、薄っぺらなのではなく、しっかりと、最初のビールの相手を務めてくれる。このトウガン、いい仕事をしているなと、またしばし、眺める。野菜と会話をするようになったらいよいよ危ない気もするが、まあ、うまいのだからいいじゃないか。
続いてのつまみは、山形の、ごくごく地味なものを頼んでみる。
ひとつは、忘れたくない、あれです。そう、玉こんにゃく。声を大にして言いたい。私は、玉こんにゃくが好物である。
山形の酒蔵の直営居酒屋などでも、この玉こんにゃくを出しておりますが、いつでも、あれば喰うという姿勢を、私は、崩したことがない。つまり、私の、酒場における、ひとつのフォームとでも呼ぶべきもの。
バッティングもピッチングもフォームが乱れては、良い結果は得られない。逆に、フォームをしっかりチェックし、守っていれば、好不調の波こそあれ、結果は必ずついてくる。
わけのわからない話をしておりますが、この絶品玉こんにゃくには、辛子をつけて、丸ごとひとつ口へ放り込む。ビールにも酒にも、当然ながらよく合うのである。
さてさて、刺身もいただこうか。
現在、椿の厨房に立つ笹谷健悟さんに今日のネタをよろしくと、2人用の盛りあわせを頼みますと、
「イサキ、ホタテ、アオハタ、カンパチ、クロムツがあります」
イサキ、アオハタ、カンパチ、クロムツ。どれも旬の魚。こちらで提供する魚介の質のよさは、実は以前にお邪魔をしたときにも経験済みであったから、旬の魚の名前が出ただけで、供される一皿のクオリティにも察しが付いて、それだけで気分は高揚してくるのだ。
■酒がすいすいと入っていく
刺身を待つ。そのひとときも惜しい。そこで、ビールを追加し、さらには、店自慢の山形の地酒の品書きなどを眺めわたしながら、ああ、お新香もほしいと思い至る。
「胡瓜の三五八漬けというの、ください。三五八って、どんなのでしたっけ?」
しばらくで出てきた一皿は、まことに艶やかなキュウリが、はやく口に入れてくれと言わんばかりに新鮮そうで、これまた、嬉しい気分にしてくれる。
「これは、塩麹漬けです。少し甘いですから、お好みで辛子をつけて召し上がってください」
ああ、そうだった、そうだった。麹漬けのことだ。たしか、山形だけでなく秋田でも、これを食すのではなかったか。
秋田のざっくり切った大根の麹漬けをナタ漬けといったと記憶するが、こちらのキュウリもまた、塩揉みよりも、糠漬けよりも、丸い独特な味わいで、塩辛さも強すぎず、かなり、うまい。
そこへ刺盛りがきた。
きれいな刺身の一切れを口に運べば、鮮魚の、申し分ない食感と脂ののった旬の感覚の両方が楽しめる。特に、アオハタとイサキの食感はぷりぷり、こりこりとして、いかにも冷酒に合いそう。
ということで、まずは東北泉の、雄町辛口純米をいただく。
そして、カンパチの刺身をひと口。もっちりとしたカンパチのうまさは、この季節ならではといえる。酒がすいすいと入っていって、あっという間になくなってしまうから困ったものだ。
その間にも、実は、この日の最初に頼んでおいた、エビと野菜の天ぷら盛りあわせの品々が次々に揚がってくる。
酒を白露垂珠に切り替える。ミラクル77 無濾過純米、という酒。米を23%しか削らないのに、すっきりとした口当たりで魅了する。
天ぷらに合いますし、これまた一瞬で飲みきってしまいそうな勢いですが、このあたりでもう1回、赤星に戻るというのも妙手なのです。
エビ天でビール。ここに立ち返ってまた、出直す。1軒で2度も3度もおいしいという、ちょっといじましい飲み方ですが、わたくしは嫌いではない。
そして、鴨肉。バルサミコ酢を用いて、洋風に仕上げた鴨の焼き物でして、これまたビールにも日本酒にもぴったり。
山川光男という、不思議な名前の山形地酒をさらに追加して、鴨肉の歯ごたえと、噛みしめて口中にじわりと広がる旨みを存分に味わう。
■堪能した、と言う前に
さあ、さあ、締めは蕎麦ですよ。
ミョウガ蕎麦に、納豆そば。これを交互に試す。贅沢ですねえ。実に贅沢な締めである。
こちらの納豆そば、ちょっとその辺のものとはちがいます。
山形県酒田市で昔から親しまれているという黒森納豆を、泡立てた卵白に混ぜ込み、そばを覆うように上から掛けまして、最後に黄身を落とす。見た目こそ前衛的ですが、これがうまくないわけがないということは、お分かりいただけるでしょう。
贅沢な締めで、申し分ない。
これで最後が蕎麦湯でしょう? 堪能した、というひと言が出てもいいくらいだけれど、ここでもう一声。
「米鶴、ください」
蛍ラベルという銘柄で、氷を浮かべて飲んでもいいという。夏の酒ということだろうか。このすっきりと甘い味わいと、蕎麦湯のほっとするような後味が、また、いいのだ。言葉を失うとは、こういう瞬間のことを言うのでしょうな。
では、今回はこのあたりで失礼します。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行