寒い日が続いおりますが、寒いときこそビールがうまい、ということがございます。北海道在住の人たちは家の中をものすごく暖かくしてシャツ1枚でアイスクリームを食べている、なんて話を聞いたことがありますが、あれと似たことなのか。
ポカポカと暖かい酒場でコートを脱いで、その日最初のビールをひと口、ぐびりとやるときの気分は、かなりのものです。東京っ子の私には、冬といえばカラカラに乾いた季節という刷り込みがありますからなおさらのことかもしれませんが、真冬の夕刻というのは、意外なほどに喉が渇いている。
今回は、そんな感じで乾燥し、喉も渇いた状態で、高円寺へやってまいりました。
場所は庚申通り商店街を北へ向かって、早稲田通りまでは出ない、そんなあたりの右側の路地を入った、ちょいと先。1階はカウンターのみ、2階は座敷で、びっしり入って20人くらいのお店でしょうか。
店名を、「焼き貝 あぶさん」と言います。前回のこの赤星100軒マラソンでは浅草の観音様の裏手にておいしい赤貝をいただきたわけですが、今回も目当ては貝だ。
■甘い刺身醤油がやたらと合う
今度の1月で11年目を迎える店を現在切り盛りするのは伊藤祐介さん。
「店のオーナーが始めた当初、このあたりに、貝の料理屋さんがなかったから、何かおもしろいものを、ということで貝専門店をやろうということになったんです」
板場で、調理の手を止めることなく語る伊藤さんは、現在35歳。大分県の出身で、以前は10年以上、新宿の水炊きの老舗で板前修業をしていたということです。
「高円寺に引っ越してきて2日目に、知り合いが訪ねてきて、どこか飲みににいこうよという話になったんですね。僕が借りた部屋がここの近所で、家を出てすぐこの店の看板を見つけたんですが、たまたまその知り合いが貝好きだったんで、ちょうどいいお店があるね、ということで入ったのがきっかけです。それから5年くらい客として通って、僕が30歳になるころに、ここのオーナーと、一緒にやろうかという話になって、今に至ります」
お若いけれど、和食の修業は積んでいる。手元の動きに無駄がないし、会話のテンポがいいところにも、どこか自信が伺えるわけですが、客としては、それが何より。うまいのは当然、会話も弾んだほうが楽しいに決まっている。
さて、なにはともあれ、まずはビールをいただきましょう。出てきたのは赤星だ。瓶ビールはずっとこれ一辺倒とのこと。貝は、刺し身と、焼きものと、それぞれ3品ずつのおまかせセットをいただくことにした。
ネタケースを見せてもらうと、ホタテ、カキ、白ミル貝、ホッキ貝、赤貝、それから大アサリ風のと、白い殻の小ぶりなのもある。聞けばこれは白貝というらしい。それから、平貝の姿も見える。
どれも、新鮮そのものといった感じ。ネタケースの中はそうした貝でびっしりだ。これは、楽しみだなあと、見ただけで、おいしい気分になってくる。
最初のビールは予想に違わず、それを欲していた喉を喜ばせながら胃袋へと下っていき、ほれ、うまいだろ、と、声をかけてくるかのような快感を後に残す。言い草はなんとも大袈裟なれども、まあ、それが私の感覚ということです、ご了承くださいませ。
貝刺しの3点盛りが出てきた。
今日の3種は平貝、白ミル貝、赤貝だ。おお、美しいぞ、この見た目。わたしは醤油の小皿を受け取ってから、刺し身に箸をつける前に、また1杯のビールをぐびぐびっと流し込む。
それでは、いただきます。
「お醤油はちょっと甘い、長崎のチョーコー醤油です」
むむ、でたな。九州の甘い刺身醤油。と、やたら辛い醤油が好きな私などは一瞬身構えるわけですが、赤貝にワサビを少しだけのせてから醤油も軽くつけ、口へ放り込めば、貝の身の締まり具合と味の濃さに、甘めの醤油がやたらと合う。
刺し身もいいが、軽く焙って、醤油をつけて、焼き海苔を巻いた磯辺巻きにしても、いけるんじゃないか……。と、想像するだけで、ドライすぎず濃すぎもしない、中庸と呼びたくなるような手元のビールは、さらにうまくなるのです。
仕入れは6、7割は築地。他は産地からの直送のことです。
「北海道が多いですけど、全国、季節によってもいろいろです。貝に特化している業者さんもあります」
そんな話を伺いながら、口に入れるのは、貝刺しの3品目、白ミル貝です。これは、歯ごたえもすばらしいが、なにしろ、香る、香る。
■焼いた貝の甘いことといったら…
カウンターの隅には巻貝を盛った鉢があります。磯つぶ貝とサザエを、昆布出汁と少しの塩でさっと煮たものだそうですが、貝刺し3品のネタの良さからして、最初にこれを頼んでしまうと、止まらなくなりそうな気もいたします。
さて、そろそろ、焼き貝の出番。最初にあがったのは白貝です。
これといった味付けをしていないということですが、そのままで十分に深い味があるんですね。半焼きの状態で身を切って、また殻に戻して火にかけただけ。ただそれだけ、としか見えないのですが、熱いところを口にするだけで他愛なく相好を崩してしまう。
「甘いですねえ」
思わず、そう口にすると、それに対して、
「そうでしょう!」
と答えたのは伊藤さんではなく、当欄担当編集のHさんだ。彼は取材の下見に抜かりのない敏腕であり、努力家でありますから、こちらにも以前におじゃまをしていて、この店の、すばらしいところを知っているわけです。
で、「そうでしょう!」と言われた私といえば専ら飲むばかりの馬鹿者でありますが、Hさんの気持ちだけはよくわかる。自分が気に入った店に知り合いをつれていって、その人が喜ぶのは、なにより嬉しい。飲兵衛冥利に尽きるというもので、それを私も、知っている。
それはさておき、焼きシリーズの2品目、ウチムラサキが出た。見た目がアサリに似ているので大アサリとも言われますな。それを焼いたところへ、貝でとった出汁をかけまして、醤油をひとたらし、さらにたっぷりの生海苔をのせる。
海苔が青臭くて邪魔にならないかと心配したが、まったく、そうではない。大アサリは焼いただけで十分うまいけれど、生海苔でひと味、のるわけです。さすがですね、これは。
ビールの追加はもとより、日本酒も燗酒でもらい、次なる、焼きものの3品目、ホッキ貝に対峙しました。カツオの酒盗がとろりとのせてある。伊藤さんいわく、
「ホッキが少し甘いから酒盗を合わせてみました」
これがまた、いい酒盗でしてね。塩辛いばかりの酒盗も少なくないですが、これは違う。ホッキ貝はちょっと肉厚で、ぽってりと豊かな感じだし、それを焼いて甘みが増しているところを、酒盗とからめていただくわけですからね。これもう、ちょっと感動的なことになるのであります。
うめえなあ、という心のつぶやきと、「クエ刺しちょうだい」という実際の発声が私の中で重なった。
そして、二本目のビールの残りをちょうど飲み終えるころに、クエが出た。
燗酒は、店のおすすめ。新潟の「想天坊 外伝 辛口純米」にしてもらったのだが、この酒の切れがよくて、酒盗と合わせたホッキ貝や、コリっとした食感の後から濃厚なうまみが浮かび上がってくる。新鮮なクエの刺し身との相性も格別だった。
■こんな気分は久しぶり
うまい、うまい、と調子にのっていると、気がつけばカウンターは満席になっていて、みなさん、あれもこれも、実にうまそうに食べている。2階の団体さんも盛大に注文を重ねているようだ。
板場をひとりで回す伊藤さんの手が休まることはない。
本日、これまでのところ常連比率が低いようで、最初は様子を伺うような遠慮もあったお客さんたちも、だんだん、温まってくる。
伊藤さんが巧みに会話をリードすることもあって、話題はいつしか、年末(取材は2017年12月中旬)引き渡しのお節料理になっていた。こちらの店特製のお節の話である。ただでさえ、ああ、こいつはうめえ、と思う酒肴を前にしているそのときに、店特製お節の注文ができるという話になれば、みんな、のってくる。
受け取りに来られないなら、大晦日に配達もしますよ、という話になって、店内はちょっとした興奮状態。俄然盛り上がるのでありました。ずいぶんいろんな酒場で日夜飲んでいるけれど、顔も見たことのないイチゲン同士のこんな一体感は、滅多に出会うものではありません。
この幸運に感謝せねばと思うほど、こちらの気分も高揚していく。そして、貝でとった出汁を使った絶品出汁巻玉子、鮮度もボリュームも抜群のあん肝、終いには貝出汁を使ったパスタまで、次々に追加して、またまたビールを頼むところまできた。
いやあ、楽しいや。初めての店で、こんな感じになるのは久しぶりだねねえ……。店を出て、庚申通りを戻る間も、しばらくはそんなことばかり考えていました。
いや、それにしても、イチゲンの、しかも取材飲みでありながら、すっかり長っ尻をいたしまして、お店にも、ご一緒させていただいたお客様たちにも、たいへん失礼をいたしました。あい、すいません。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行