野方、荻窪を巡ってきました赤星100軒マラソン。スタートしたばかりではございますが、早くも新宿へと入り込みます。わが国屈指の繁華街であり、当然ながら古い店も多い新宿で、さて、どこを選ぶか。 思い出横丁――。そうです、いきなりど真ん中へ直球を投げ込むわけですが、中でも老舗中の老舗の扉を開けました。
■70年を経て到達した円熟
「第二宝来家」。思い出横丁のJR線路沿いの小路に並ぶやきとり屋だ。いや、やきとり、というより、いわゆるやきとん。モツ焼きの名店である。
「第一宝来家」が新宿西口で商売を始めたのは、戦後1年半ほど経った昭和22年の冬(2月か3月ということらしい)。
創業者は復員兵で、さまざまな物資を新宿へ運ぶ「かつぎ屋」やラーメンの屋台などで食いつないだが、どうにもこうにも道が開けなかったある日、米や小麦粉と違って統制品ではなかった豚の臓物に目をつけ、芝浦から新鮮なモツを仕入れることに成功する。戦前、精肉の仕事をしていた縁が幸運を呼び込んだ。
以来69年。「第一宝来家」も「第二宝来家」も同じ思い出横丁で、創業者のお孫さん兄弟がそれぞれ引き継いでいらっしゃる。
創業時のお話を聞かせてくれたのは、「第二宝来家」を切り回す金子栄二郎さん。創業者である祖父から数えて、三代目にあたる。
「私は以前IT系の会社でサラリーマンをしていたんですけどね。ある日、同居していた母親から言われたんですよ。店を継がないなら明日にも家を出ろと。いきなりですよ(笑)」
勤め先で果たすべき責任はもちろんある。だから即時退職というわけにはいかなかったけれども、金子さんは可能な限り早く退職し、店を継ぐ決意をした。
取材班が訪ねたこの日は、お盆の土曜日。私がガキのころなら家の戸口でオガラを焚いて先祖を向かえた旧盆の入りだ。
静かに先祖を迎え入れる日に、思い出横丁の客足はどうなんだろう。そう思いながらの入店であったが、私らが入るとほどなくして、1階の、入口から見て左側のテーブル席は満卓となり、カウンターにもお客さんがついた。さすが、名店だ。
ハツ、タン、カシラにコブクロを塩で。
ほかにコブクロ刺しを頼む。どれだけコブクロ好きなのか。
お通しの小皿のマカロニサラダをまずはひと睨み。うまそうである。
やおら、赤星をグラスに注ぐ。昼下がりの快楽である。
塩焼きの後にはタレ焼きと思っている。
タレは甘辛くてモツによく絡めばそれでいい――。ひょっとしたらそんな了見で調合を始めたかもしれぬ戦後のタレだとしても、およそ70年の歳月を経て、円熟の極みにある。
なにしろ70年と言えば古希である。古来稀なる長寿である(という意味でよかったか?)。人と同じく、揉まれて練られて熟して人を和ませる。理想の老境に達したタレである。
男の渋みにもレシピはありや?
カネの苦労:大匙2杯。
女の苦労:大匙1杯。
手柄の譲渡:小匙半分。
あとは残念無念で味を調える……。
そんな感じか。
翻ってこの私だ。
馬齢を重ねるってんですかね。いたずらに齢をとって今年で50と3年。あ~あ、ずいぶん歳食っちまったと嘆きもするが、酒を飲み始めてからの勘定ではせいぜい30年とちょっと。まだ若造だ。利いた風な口をきいてはいけない。カネと女のコクと甘みに欠け、手柄を人に譲る隠し味には無縁。ただ、残念無念が効きすぎて、血圧によろしくない。
何を書いているのだろう。私は、老成したタレでいただくシロモツに唐辛子をまぶすその光景を思い浮かべているに過ぎないのだ。
■見目麗しいコブクロ刺し
早い時間にお邪魔をするときはカウンターでちょっとだけ飲む。遅い時間に連れ合いと一緒のときは2階のテーブルで、そろそろいい感じになっている酔客たちの喧騒の中で2杯、3杯と飲む。
これまでの「第二宝来家」とのお付き合いを思い返しながら、赤星をゴクリとやる。
うまいねえ。なんだろな、このうまさは。
金子さんに思わず訊いていた。すると、
「昔のビールの味がするんですよ。ああ、ビールって、こうだったよなって」
おっしゃるとおり。私のほうが少し年かさですが、同じ昭和の子供だなと思う。昔のビール。まさしくそれだ。
マカロニサラダがうまい。そこへモツ焼きがやってきた。
金子さんに伺うと、
「コブクロ、鳥皮、テッポウ、シロなどは、それ自体の味があまりしませんよね。だからタレで食べるのがいいと思うんですよ。タン、ハツ、レバ、ナンコツなど、肉系の味わいのあるものは塩が合う。でも結局は好みです。モツ焼きをあまり知らない人の場合は、お任せでいいでしょう」
とのことである。
私らのテーブルに出てきたのは、ひとまず塩焼ばかり。タンを齧り、ハツの香りを楽しむ。カシラはタレでも味噌でもなんでもうまいけれど、あっさりと塩で焼くと、品があるような気がする。ビールが進むよ。
そして、見た目も美しい、コブクロ刺しが登場した。細かく切ったコブクロは見るからに新鮮だ。
「醤油を2回くらいまわしかけて、それから、よく混ぜてください。下に辛子が入っていますから」
言われたとおり、小鉢をもってそこに醤油をたらりと回し、それから箸を奥まで突っ込んでよく混ぜると、中から、薄いピンクのコブクロと黄色い辛子の色合いが表面に出てくる。それまでコブクロを覆っていたのは、細かく切った葱だ。
口へ運んで驚く。
「ああ、こりゃうめえ!」
取材班に小鉢を回せば、
「ホントだ、ゴマ油だ、葱とゴマ油、合うよねえ」
「辛子も効いてる。すげーうまい」
と声が続く。
「白飯にかけてもいいね」
トンチンカンかなと思いつつ私が口に出してみると、撮影のSさん、
「合いますよ。ぜったいメシに合う!」
とすぐさま賛同してくれた。
この小鉢に箸を進めた後で串からモツを噛んで引き抜き、ビールをぐびりとやってから、またまたコブクロ刺しの小鉢へ戻る。これも、三角食べの一種だろうか。ちょっと止まらない感じになってくる。
金子さんいわく、
「女性のお客さんにこれをお出ししたら、おいしい、おいしいって、ひとりでお代わりした方もいらっしゃいました」
なるほど、その気持ちは、よくわかる。
■受け継がれる酒好きの流儀
思い出横丁は今、日本に観光でやってくる外国の方々にも人気がある。それは、もう、ちょっと前からの現象である。
私には、ひとりで思い出横丁の客になると、昼下がりから決め込む日が、年に何日かは必ずある。理由はいろいろだ。この街を教えてくれたオヤジのこと を思い出したとき、なんてのは、きれいな話だが、貧乏事務所の決算が終わってひとまず今年も存続できたかと胸をなで下ろす夕刻、西新宿の会計事務所から、 一目散にやってきたりする。
そんな私が、何年か前から、あれれ? 外人さん、激増してねえか? と思うようになった。アジアの方々も多いが、Tシャツ短パン、首からカメラ1台ぶらさげた欧米人の姿も急に増えた。
大都会新宿に、こんなおもしろいところがあるよ。東京へ行ったら思い出横丁へ寄ってみな……。そんな伝言が広まっているのか。ただ物珍しそうに路地を歩くだけでなく、店へ入り、決して広くはないカウンターに身を寄せ合って、モツ焼きを齧ってみたりし始めたのだ。
私は、昔、ロンドン郊外のパブで一緒に飲んだイギリス人に、日本に来ることがあったらジャパニーズ・ヤキトリ・ケバブを食べさせてあげるよと誘った ことがある。そのとき彼は目を丸くして、トーキョーにもロンドンみたいなケバブがあるのかと本気で聞いた。今思えばケバブ屋台どころの騒ぎではない。
「新宿には70年も前からあるんだよ、宝来屋ってのが元祖だよ、冗談じゃねえや!」くらい言ってやりたかったが、残念ながら啖呵を切れるほどの英語力がなかった。
思い出横丁に残る店の中では、創業者から数えて3代目の店が多いらしい。中には4代目が継いだ店もあるという。金子さんたちはそうした仲間と連携して、この街を守り、いっそうの繁栄に導くための会合なども開いている。
新宿西口界隈だけでなく、ゴールデン街、渋谷ののんべい横丁、赤羽、阿佐ヶ谷、吉祥寺などの人たちとも意見交換する場を設けているという。
代々受け継ぐから守られるものが歴然とある。この横丁で酒を覚えて30余年の私にとって、新宿思い出横丁はありがたい。
では、このくたびれかけた酒好きにできることはあるのか。
ある。ほどよく、楽しく飲み、初めて入ってくる外国人や若手たちを歓迎し、けっしてしつこくせず、相席の精神に富み、ありがたい横丁に憩うことだ。それは、私の父たちが、してきたことでもある。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行