文京区湯島。本郷の高台から上野広小路の下町にまたがるこの土地は、けっして広くはないけれど、何と言いますか、底の深さを感じさせます。
天神さんの界隈には、うまい鶏料理、天ぷら、それから、名門と誉れ高い居酒屋があるし、御徒町、上野も近いから、東京名物といってもいいような、とんかつや蕎麦の名店に足を運ぶにも便利です。さらに言うなら、おでんの名店があり、老舗のバーも2軒ほど、すぐに思い浮かびます。
こういう土地にあっては、ちょっとうまいコーヒーを飲もうとか、昼はあそこのカレーにしようとか、あれこれ思い浮かべながら歩くのが何より楽しいし、夕刻になれば、久しぶりで寄席を覗いてみるという選択肢も捨てがたい。
魅惑のネオン街がまだ静かな夕暮れ時、混まないうちに入って一杯ひっかけたいなというときに、暖簾をくぐりたい一軒があります。
それが、「岩手屋」さん。少し長めの縄暖簾の左手には、日本酒の化粧樽がふたつ、重ねてあります。銘柄は「酔仙」。岩手県陸前高田の酔仙酒造が造る酒だ。
さあ、さっそく入りましょう。
■大先輩の昔話を肴に
いい店だなぁ――。
私がここへ入ったのは、今回で3度目になりますが、開店直後というのは初めてです。低い白木のカウンターが相変わらずきれいで、席に腰をかければ、ごく自然に、ホッとした気分になれる。
ひとり乾杯のビールは赤星だ。コップに注いで、ごくりとやる。喉を通った液体が爽快さと、ほんのりと丸い苦味を残して胃袋へ消えていく。
さて、もう1杯。たてつづけにコップ2杯のビールを飲んで、お通しのもやしをつつきつつ、頼むのは、いきなり三陸の味。その名を「焼きかぜ」というメニューですが、これは、貝殻の上にびっしりと盛った雲丹を炙ったもので、見るからに贅沢。
ため息の出る見栄えなのですが、焼き雲丹に山葵をすこしのせて、醤油につけて口へ運べば、味わいも香りも、贅沢この上ない。
ここに、厚揚げを追加して、両方の皿に箸をのばしつつ、最初のビールを飲み終えるころ、ひとりのお客さんがありました。
いつもの席。という感じで腰をかけるのが、カウンターの一番端。こちらが取材中である旨を告げると、一緒にその場で過ごしていただくことを快く承諾いただいた。私は、これから続々やってくるであろう常連さんたちの邪魔にならぬよう、すぐ隣のテーブル席に移動することにした。
「もう、足掛け55年、通ってるよ」
台東区上野の名門、黒門小学校の同窓生に教えられて初めて来たのが20歳のころで、以来、通い続けていると仰います。肩に力が入っておらず、ご自分のペースでうまそうに飲み、タバコもすぱすぱ吸われる。半世紀以上の飲み歴を誇る大先輩の仕草は、見ていて姿がいいなあと思わせる。
私などは、大酒飲みを気取ってみたところで、通った店のもっとも長いところで、35年に届きませんから、なんとも幼稚。みっともないことも、まだまだやっている。
だから、こうした先達のいる酒場に、ときどき無理をしてでも足を運んでみることが、私にとって、かなり大きな喜びになっているようなのです。
「サッポロビールってのは、北海道で飲むとうまいよね」
私は思わず吹き出してしまった。そういう見立てをしたことがなかった。なんだか、とても楽しい酒になってくる。
さて、では、この辺で、岩手の酒を頼もうか。編集Hさんが赤星の2本目にとりかかるタイミングで、私は「雪っこ」を注文した。これは冬季限定の活性原酒だが、思い出深い酒である。
2011年6月。私は、震災から3ヵ月半ほど経過した被災地を訪ねた。震災と津波で被害を受けた宮城県石巻の墨廼江酒造、福島県浪江の鈴木酒造店、それから、岩手県陸前高田の酔仙酒造の3蔵を巡った。鈴木酒造店も酔仙酒造も、蔵をすべて失っていたから避難先への取材となった。
けれど、そのとき、3蔵とも、その年の秋に、酒を出すと明言していた。酔仙酒造の場合、蔵も在庫もすべてを失っていたから、造りを再開したのは同じ岩手県内の岩手銘醸という会社の古蔵でのことだった。なにもかもを失っても諦めない。それは、墨廼江酒造にも、鈴木酒造店にも共通していて、実際、これらすべての蔵が、震災後の新酒をその年に出荷している。
その中で、もっとも遅く、10月になって酒を出すことができたのが、酔仙酒造であり、さらに、そのとき出た1本が、冬季限定の「雪っこ」だったのである。
岩手屋さんで「雪っこ」を飲む。感慨深いものがある。ひときわおいしく感じられるのは、不思議なことです。
■変わらずあるものへの愛着
店は、昭和24年から営業を続けている。先々代にあたる創業者は最初、同じく居酒屋の名店「シンスケ」さんのあるところで営業を開始した。それから7年を経て、昭和31年に、今の場所へ移転してきた。
その後、代がかわり、昭和47には、近所にもう一軒「岩手屋 支店」を開き、2軒の店を4人の兄弟で切り盛りしてきた。そして現在は、この日はお休みだったが御年82という本店の2代目と、世代としては3世代目にあたる親戚筋で、2軒の暖簾を守っている。
初代が盛岡出身だから、岩手屋。もちろん、同郷のお客さんたちも数多く通ったのだろうけれど、こちらの場合、場所柄からか、東京大学や東京芸大などの先生たちにも愛されたという。
カウンターで飲む先達はこんなこともおっしゃった。
「ここの初代は厳しい人で、酒を注いだり注がれたり、客同士がそういうことをしない酒場だった。それから、つけでは飲ませず、必ず現金払い。それでも大変な人気でね、4時前に来ないとすぐ一杯になって入れないような店だった」
昭和30年代の終わりころの話だろうか。ちょうど私が生まれたころの酒場風景ということになり、知る由もないが、なにやら懐かしく、温かく思えてくるから、不思議なものである。
つまみに頼んだ氷頭なますが、また格別だ。酸味がほどよく、生臭さはまるでない。添えられたとんぶりの、ぷちぷちした食感がいいアクセントになる。
茄子と秋刀魚の揚げ浸しで、酔仙の樽酒に移行し、赤星も追加する。さらにカメラのSさんが未経験ということなので、くさやを頼むことにした。
樽酒は燗をつけてもらったが、この本醸造も、いわゆる飲み飽きしない、いい酒だと思う。
震災から2年を経た早い春。私は再び、被災した酒蔵を巡ったが、そのときは、大船渡市に建設された酔仙の新工場にお邪魔している。
「まだまだ、これからなんですよ」
すでに稼動してはいたが、当時の金野靖彦社長はにこやかに語ったものだ。
2013年の2月のことだから、あれから4年半もの歳月が過ぎている。あっという間に感じられる4年半だが、酔仙という酒は変わらず、うまい。いや、私の個人的な話だが、以前よりも、この銘柄への思いは強くなっている。
同じことが、ビールにも言えそうだなと、ふと思う。工夫を凝らし、技術の粋を集めた新銘柄もおいしいが、昔からあるもの、変わらずそこにあるものだけが持つ魅力もまた尽きない。そういうことを、最近、よく思う。古い家屋や街並みに対する愛着のようなものだという気もする。
■くさやの香りに後ろ髪をひかれ
新島産だというムロアジのくさやが出てきた。私も、ちょっと久しぶりの味になるが、ほどのいいくさやで、たいへんうまい。ビールにも、燗酒にも、よく合う。
初体験のSさんは、ひとつまみ口へ入れ、
「なるほどぉぉ。こういうことですか……」
お口に合わなかったか。ちょっと心配していると、またひと口、つまみ、
「うーん、ふた口目でなじんできた」
よかった。余計なお世話だが、見ているこちらまで嬉しくなってくる。
BGMなどない静かな店内で、古い柱時計がボーンと鳴る。常連さんの姿もちらほら見える。さあ、こちらはそろそろ、お暇しよう。
店を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。2軒あるバーのどちらへ寄るか。両方行ってもいいか。居酒屋を出て、そんなことを考えながらぶらつく時間は、なんど経験しても楽しいものだ。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行