6月15日、久方ぶりで、屋形船に乗りました。船の名は「赤星丸」。そう、赤星探偵団御用達という段取りになっているのでした。サッポロラガービールを応援してくださる善男善女にご集結いただいて、船上の宴を開こうということだったのです。
そこへ、探偵団の一員である私は、まことに僭越ながらゲストということで乗船させていただきました。当日は天候にも恵まれ、波は穏やか。粋な女将と姐さんの接待も歯切れがよく、さすがは品川、江戸前だねえ、と思った次第。
料理もおいしく、屋根に上がるとそこから見上げるレインボーブリッジもなかなかに美しく、もちろん、我が国最古のブランドである赤星のおいしさもひとしおでした。
いいもんですよ、大川に船を浮かべてよく冷えた瓶ビールをいただくというのは……。気持ちのいいことがお好きな諸兄姉におかれましては、ぜひとも、この夏、屋形船の宴をお試しいただきたく存じます。
■多摩っ子のお江戸コンプレックス
さて、さて、その翌日のことです。午後、私は神田のほうに用事がありまして、その用がすむと、ランチタイム終了後の、なんとも半端な時刻になっていた。夕刻からは赤星探偵団の取材で飲むことになっているから、ここで、1杯やってしまうと、途中、休憩も挟めない。それは、ちょっと、具合が悪い。
では、もう、夕刻の酒場の近くまで行ってしまおうか……。ということでやってまいりましたのが、門前仲町です。
地下鉄を降り、地上へ出る。永代通りの、東陽町に向かって左側に富岡八幡宮がありますが、私が出たのは、右側の出口。通りを挟んでいるが、どちらも住所は江東区富岡。ちなみに、深川というのは、富岡から見るとちょっと北側にあたる。
やはり、独特の雰囲気がありますねえ。私などは三鷹生まれの三鷹育ち。三田あたりで育った方からは、
「あ、在のほうね」
なんて言われたものでしてね。ザイ? あ、ザイって、在郷、田舎のことか。ああ? この人、真正面から「田舎者」って言ったわけね、と、了解するまでに3秒はかかったほどの田舎者でございますから、そもそも、下町のなんたるか、江戸風のいかなるものかを知りません。
浅草橋あたりの銭湯で短髪・ゴマ塩頭のお父さんと一緒になるのも嬉しい。湯があんまり熱いもんだから大急ぎで上がると、先に脱衣場でタオルをバシバシ背中に打ちつけていたお父さんが、
「おお? ダンナも早えなあ!」
なんて声をかけてくれる。お互い江戸っ子、カラスの行水よ! こっちは、イッパシの江戸っ子扱いを受けたようで気分がいいし、こういうオヤジは昔、三鷹の銭湯にもいたなあ、なんて思うと、やはりホッとするのだ。
■初めてなのにどこかに懐かしい
永代通り沿いには魚がうまくて安いという超有名店があるが、私の目指したのはそこじゃない。一本裏の路地にある「鮎の里 山幸」さんだ。
5時の開店まで、小一時間ある。仕込みや開店までの諸準備で忙しい最中と思われる。私は、店の前を通り過ぎ、さらに永代通りから離れる方向へと歩き、川を渡った。橋の上から見ると、ちょうど潮が引いていて水位が低い。川沿いの道を行くと、散歩の休憩にうってつけの場所があった。
川の名前は知らないが、隅田川から分かれた運河で、木場方面へと連絡していて、途中から、豊洲運河にもつながっているようだ。ふと、永代橋の反対側、中央区新川に本社のあった会社でアルバイトをしていたころを思い出す。
印刷会社で、三鷹に工場があり、私はそこの作業補助と簡単な運搬の運転手だった。工場から本社への届け物があると、ときどき新川まで来て、まさに大川の畔にあった社屋から、ぼんやりと川の流れを眺めたりした。
そこから直線距離にして1キロほどか。意外に近いことに驚き、同時に、その頃から30年以上の年月が経っていることに、もっと驚く。
5時に合わせて店へ行き、編集Hさんと写真のSさんと合流。ちょうど暖簾を出すタイミングの店へとお邪魔した。
カウンターと、炉の切ってあるテーブルが2卓。こぢんまりとしているが、2階にはお座敷があって宴会にも対応するという。古さを演出した俄か造りではないので歴史があることはすぐにわかるが、聞くと、今年で36年目になるという。
赤星を頼む。
「最初の1杯は、お注ぎしますね」
そう言って、にこやかに瓶を傾けたのは、高柳弥由紀さん(旧姓・山田)。女将さんと呼ぶには若すぎるので、名前を教えていただき、勝手に、「みゆきさん」と呼ばせてもらうことにした。ご両親が始めた店を姉妹で継いで、今はお姉さんと一緒に切り盛りしているという。
店名に「鮎の里」とあるからには、こちらに来たら鮎を食べたい。
「最初は母が小料理屋を始めたんです。その頃父は勤めに出ていて、鮎釣りが好きだったから、休みの日には川へ出掛けて行ってはたくさん釣って帰ったんですね。その鮎をお店で出すようにしたら、鮎料理が評判になったんです」
まずは塩焼きでしょうか? もちろんそうだ! 頭の中で一人で掛け合いをいたしましてから、
「ああ、それから、刺身もください――」
「ああ、それから、それから――」と、慌てて付け足したのがハモのてんぷら。いいですね、こういう渋いお店で、明るく美しい若女将と話しながら飲む酒の肴が、どちらも旬の鮎とハモときたもんだ。
ふと外に目をやると、1年でいちばん日の長い時期だというのに、もう、薄暗い。これは、くるかな、と思っていたら、ぽつりぽつりと降ってきた。店の前の路地を行きかう人々の足取りが速くなっている。
私はゆっくりと瓶ビールをグラスに注ぐ。お通しに出た、イカとみず菜と明太子のマヨネーズ和えをつまみながら、初めてなのにどこかに懐かしさを感じさせる店内を眺め渡す。
■梅雨時にありつく最高の酒肴
鮎がきた。まずは、刺身。
こんなに可憐な顔してんのに捌かれちまって可哀想に、なんて思う間もなく、わさびを少しのせて、ぱっと口に入れる。
うん、これは、うまい。塩焼きとか、半日ほど風に当ててから炙るとか、あるいは煮びたしとか、鮎はなんでもうまいけれど、旬の今、香りもみずみずしい刺身は抜群である。
続いて塩焼きがきた。
熱々のカリカリ、背中のあたりからガブリといく。
最初はふってある塩味のみ。次は箸で身をほぐして、四角い醤油皿のたで酢につけていただく。爽快、である。梅雨時の最高の酒肴ではないかと、誰にともなく語りかけたくなる。
ところで、昔からこちらのビールは赤星なんですか?
問うてみると、そうではないとのことだ。
「じつは、好きなバンドのライブを見に下北沢に行った時、ライブの後に寄った居酒屋で、赤星を初めて飲んだんです。そうしたら、とってもおいしいので、これはウチでも置こうって思いまして……」
うまいから、店に置く。置く酒は自分で選ぶ。いい話です。
さあ、では、日本酒にしようかとメニューを見れば、吟醸、純米だけでなく、本醸造も普通酒も、ちゃんとそれと明記して提供している。これも大事ですよね。
誰にでも慣れ親しんだ味というものがある。俺の酒はこれなんだという、馴染みの酒がある。こういうことを嗜好というんじゃないか。テイスティングかぶれや、普通酒と聞いただけで「三増酒だよ」なんて小声で悪口を言う輩に、お馴染みさんの愛着はわかるめえ。私は、私の好みの、馴染みの酒を頼む。
そんなことを思っているところへ、ちょうど揚がったハモのてんぷら。これがまた、いいのだ。たいへん、贅沢な気分になってくる。
うるか、を頼む。鮎のワタの塩辛である。そしてもちろん日本酒も頼む。
撮影をほぼ終えたSさんもカウンター席につく。そこへ、刺身で残った頭や骨の揚げたのが出てくる。さらに大衆酒場の揚げ物に目がないSさん、メニューを見渡して、イベリコ豚のコロッケを注文した。
あっという間に時間は過ぎていく。
奥のテーブルについた3人組も、塩焼きから始めて、鮎三昧のようである。入口近くに座った単身赴任中というサラリーマン氏は「深川は最高です。街はいいし、うるさくない」としきりにこの界隈をほめちぎる。
たしかになあ、と私も思う。「山幸」のある界隈の細い通りには飲み屋さんがたくさんあるが、その全体に、あったかい下町の風が漂っている。険悪な感じがない。にぎやかでいて、穏やかなのだ。
店を出ると、雨はあがっていた。気分がいい。永代橋を渡って茅場町まで歩こうか。雨の後の湿った空気を吸いながら、そう思った。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行