これまでにも何度か書いてきたことですが、私が東京の東側を意識するようになったのは、せいぜいここ4,5年のことで、それ以前は、あまり縁のない土地だと思ってきました。
馴染みのある東側といえば、かつて仕事場のあった日本橋馬喰町がぎりぎり。だから、神田、浅草、新橋、銀座くらいが、私の飲み活動の東限だったのです。
けれど、昨今、老舗の酒場を意識的に歩こうと決めて、その気になって歩いてみると、西よりむしろ東側のほうに、昔気質というか、雰囲気も昔のままの酒場が残っていることに改めて気づいた次第です。この連載でも、向島や錦糸町ですばらしい居酒屋に遭遇してきたものです。
そして、このたびは、東京の東の果て、江戸川区へと足を運んで参った次第。降り立った駅は小岩です。総武本線の駅ですが、各駅停車しか停まらない。この駅で下車したのは、ずいぶん前のこと。馬喰町界隈で飲んでいて、千葉方面の先輩に誘われ、フィリピンパブに遊びに行ったとき以来です。
あのときゃ、長かったなァ。とため息が出る。年末で、飲みくたびれているところへもってきて、飲めや歌えやの大騒ぎになった。その店が北口なのか南口なのか、それさえ思い出しようもないわけで、街へ出た私は、まったく頼りない感じでした。
それでも、地図を頼りに出向いた先で店の看板を見逃すことはあるまいと確信していたのは、今回訪ねる店の名が「大竹」だからである。あたくしも、大竹、でございます。見逃すわけがない。
■開店時間前にもう満員
思っていたとおり、店はすぐに見つかった。開店前にお邪魔をして少しばかりお話を伺えれば、という段取りだったのだが、見れば店内の、道に面した席にはお客さんと思しき人影がある。
あれ、もう、やってるのか? と思うけれど、店の入口に営業中の札は出ていない。だが、しかし、よく見ると、店内の奥のほうにもお客さんの姿がちらほら。あらら。こりゃ、完全に営業中だなァ。
思い切って入店してみると、今、開けたところ、といった感じです。この日が日曜日だったのですが、お休みの日は、常連さんが少しばかり早くからやってくるということなのかもしれない。
「ひとり、入れちゃうとね。すぐ、こうなっちゃうの」
お店の姐さんが、私たちのテーブルに飲み物の注文をとりにきたとき、教えてくれた。
店内は、コの字のカウンターと、小上がりにテーブルが3卓あるだけで、大箱というわけではないけれども、日曜日の4時を少し回った時点で、すでに、満席に近いのだった(※正規の開店時間は4時半)。
サッポロラガービールを頼む。まずは、ひとわたり、みなさんの飲み物の注文を受けると、今度は順番に、おつまみの注文を取ってくれる。
品書きはきわめてシンプルだ。もつ焼きは、どれも2本で200円。3人の客なら3本という対応もしてくれる。ネタは、タン、ハツ、シロ、レバ、カシラ、ネギマ、ナンコツ。刺しは、タン、ガツ、テッポー、コブクロ、センマイ、カシラと充実。こちらはどれも300円。
タン、ハツを塩、シロをタレで、それからコブクロ刺しと煮込みをひとまず注文する。
最初に出てきたのは、コブクロの刺し。平皿に、ピカピカのコブクロとネギ。皿の隅には、おろしニンニクと辛子がもってある。
しょうゆベースのタレは、酢とごま油を混ぜたものか。酸味がほどよく、ぷりぷりのコブクロとの相性は完璧といいたい。
ここに、おろしニンニクをちょいとのせ、ネギをのせ、口へ放り込んで味わう間ももどかしく、赤星をぐいっとやる。
「おいおい、こりゃ、うまいよ」
思わず編集Hさんに声をかけ、はやく喰ってみろよと、催促する。
■壁のホワイトボードに親近感が湧き
ふと、入口のほうへ目をやると、外に置かれた椅子とテーブルにもお客さんの姿がある。中へ入るのを待つ人は、それとはまた、ほかにいる。
ものすごい人気店だ。開店前から客が並ぶ店をいくつも知っているけれど、こちらの勢いは相当なもの。
カウンターの中で接客を仕切る若女将の小気味いい指示もあって、客は1席の無駄もなくカウンターを埋め、小上がりのテーブルも、ときに相席となる。
客のどれくらいが常連か。表情や周囲との溶け込み具合から察するに、8割を超えると見た。
こういう店にすんなり馴染むのは簡単じゃない。むしろ、難しい。けれど、仮にひとりで迷い込んだとしても、疎外感に苛まれることはないだろうなと、私は思った。それは、ごく個人的な趣味の問題なのだが……。
壁に、ホワイトボードが掲げてある。この春の競馬のG1レースの中から、高松宮記念以後、日本ダービーまでのレース名が縦軸に記してあり、横軸には、おそらく常連さんの名前が記してある。その数40名。
レースを的中させた印か、マス目に赤のマグネットシールが貼ってある。それぞれのレースの配当も記入されている。
トータルの的中数で競うのか。配当金額の合計で競うのか。定かではないけれど、この話題なら、初めての人との間でも、十分にお話ができる。そういう接点を見つけられると、誰と話すわけではなくても、店に迎え入れられたような気がするのは、さて、私だけか。
考えてみれば、小岩は江戸川競艇場にも近い。一度だけ遊びに行ったことがあるけれど、私の地元の多摩川競艇場より愉快だった記憶があるから、ボートの話でも大丈夫だな、などと、思う。
とはいえ、周りのお客さんにこちらから話しかけることはない。私は、周囲をときどき眺め、常連さんの注文の声を聞くともなく聞きながら、ビールを飲み、今、目の前に運ばれてきた、もつを喰らうのだ。
■大竹が大竹で「大竹」デビュー
タンもハツも、抜群。ハツに血の匂いがまったくしない。先ほどコブクロ刺しをひと口食べたときにも、ああ、新鮮だなァと感じたのだが、その思いを新たにする。うまい。
「ここの煮込み、うまいですね」
Hさんも、軽く感動している様子。
見ていると、この煮込み、ジャガイモの有り無しや玉子の追加などの注文をつけて、お土産に持ち帰る人がけっこういる。私の背後のテーブルにいた親子連れも土産にした。それができあがるまでの間、お子さんはジュース、お父さんはお茶ハイを飲む。
あまりの混雑に写真のSさんも動き回るのをあきらめ、私たち3人は、もつ焼き、煮込み、コブクロ刺しを楽しみながら、赤星を飲む。そして、満を持してレモンハイにきりかえた
ここのタンブラーには「大竹」の2文字が記されていることは、ずいぶん前から知っていた。あのタンブラーで飲みたいと、ずいぶん前から思ってきた。理屈ではないのです。「もつ焼き 大竹」で「大竹」のタンブラーでオータケが飲みたい、と思っているだけのことです。
カシラ、ナンコツ、ネギマがくる。このへんから、少し、勢いがついてきて、腰を落ち着けたい気分である。
もやし、それから、キムチを追加。ビールもレモンハイも追加。
腹の底から、いい店だなァという思いがわきあがってくる。それはHさんも同じようで、
「ここ、家の近所だったら最高なんじゃないかなあ」
と、しきりに言っている。
■西にはない「東京」に後ろ髪をひかれ
本当は、次々にくるお客さんにテーブルを譲るころあいなのだが、このお店がこれから、どんな具合になっていくのか、それをしばらく見ていたいばかりに、私はなかなか、さあ、そろそろ行くか、のひと言を発しない。
そうこうしているうちに、開店前後からカウンターを埋めてきた常連さんたちが、ひとり帰り、ふたり帰り、気がつくと、新しい顔に入れ替わってきている。外の、赤い提灯の下のテーブルも、お客さんが入れ替わったらしい。
お新香を追加したのはHさんだ。きゅうりの糠漬けを口に入れて、ひと言。
「こんなにうまい漬物は久しぶりです。小岩に住もうかな」
その気持ちはよくわかる。ここは東京の東のはずれだが、ここにはたしかに「東京」が残っている、と思わせる。
西のほうははるか遠くまで開発・再開発の手が伸びて、ある意味、見るも無残な姿になっているのだけれど、小岩には、こんなに温かい店が残っている。土地の人たちが集まってにぎやかに飲む、ご近所のための空間が残っている。
私たちは結局、たっぷり3時間飲んで、下町気質あふれる、もつ焼きの名店を後にしたのだった。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行