赤星100軒マラソン、18回目にして、いよいよ、大宮へ出張って参りました。
例によってこの街との付き合いから申しますと、それはもう、競輪と盆栽しかない。大宮駅からひと駅の大宮公園駅から歩くとしばらくで大宮公園に出ます。
大きな公園でして、サッカーどころ埼玉県だけに、当然サッカー場はありますし、野球場では西武ライオンズの公式戦も行なわれます。加えまして、大宮競輪の開催地であるわけでして、これまで2度ほど打ちにきましたけれども、まあ、その、いずれも惨敗して帰った記憶がありますよ。惨敗です。
個人的なことですが、東京都下、東京都全体の南西の外れに住んだり仕事場をもったりしておりますので、競輪したけりゃ京王閣があるし立川がある。同じ埼玉県でも西武園競輪場なら、本当にもう、行き来になんの苦労もないが、大宮となると遠い。
そういう土地で惨敗するというと、帰りはもう、ヤケクソになりかねないわけですが、大宮の素晴らしいところは、心を和ませる盆栽の町があることなんです。その名も盆栽町といいます。競輪場から歩いても、そう遠くない。小さい鉢のひとつくらいなら、ぶら下げて帰ろうかという気になるくらい、気軽に行き来できる距離ですよ。
そういう町がありますから、競輪の後に盆栽を見に寄ったことがやはり2度ほどありますが、ちょっといい盆栽を買うぞ、なんて意気込んでいたら、わたくしの財布ではまったく立ちうちができないお値段だったりもした。
それでも、小さいくせに巨木に見える盆栽の世界に打たれていますと、「あの2連単のウラを押さえときゃ今頃は川口で豪遊だったのだ」などという、カリカリした精神状態からは解放されるわけなのです。
まあ、そんなことはともかくとして、電車で行くときにいつも気になっていたのが、JR大宮駅東口を出たすぐのところの飲み屋さんです。今回お邪魔をしたのがそこ。「いづみや本店」です。
■元大衆食堂ならではの品揃え
編集Hさん、写真のSさん、それから私、といういつもの3人は、3月末の午後4時、店の扉を開けました。
意外に広いです。駅前で長く営業している大衆酒場ですから予想はしていたけれど、ここは広い。そして、席の7割方、いや、8割方が埋まっている。それでも、今日は競輪開催日ではないからなのでしょうか、いかにも、という感じの人はいらっしゃいません。
競輪、競艇、地方競馬開催当日の付近の飲み屋さんの雰囲気というものは、私はたいへん好きでして、昔、若かったころは恐いもの見たさでしたけれども、最近では私自身がその場にすっかり溶け込んでいて周囲との区別がつかない。そんな安心感から、さらに好きになっている。
だからこの日も、大宮で開催しているといいなあ、なんて思いつつ来たわけですが、熱い熱いレース回顧をしている人はどうやら、いないようなのです。
従いましてたいへん穏やかな夕方酒場なのであります。いいですねえ。夕方酒場。サッポロラガービール「赤星」がよく似合います。
奥のテーブルにつき、まずは大瓶を一本。名物の煮込みもいただきましょうか。
店の創業は昭和22年とのこと。お話を伺いましたのは、酒類問屋大澤屋さんの代表取締役、大沢守輝さんです。
大沢さんはまだ36歳とお若い。創業者は、ひいお爺さんですが、この問屋と「いずみや」の両方を経営されている。大沢さんが「いずみや」も自分の家の経営であることを知ったのは、高校生のころだったといいます。
「昔の話を聞くと、忙しくて、皿が飛び交うような感じだったそうです」
昭和20年代。戦後の何もないところから街は復興を始めたわけですが、大宮駅のすぐ目の前のこのあたりは、まっさきに賑わいを取り戻したことでしょう。
また、大宮は旧国鉄時代から、埼玉県の鉄道拠点であり、大宮には工場もあったから、鉄道の街という側面もある。
当然のことながら、終電、始発の勤務の方々がいるし、夜勤の人々もいる。だから、朝から店を開ければお客さんは入った。同時に、昔は、朝から店を開ける店がそう多くはなかったともいいます。
「お通し替わりの煮込みやハムカツ、〆さばなどが人気です。もともとは大衆食堂でしたし、今も定食メニューがありますから、昼時は、お食事だけのお客さんもいらっしゃいますよ」
大沢さんの言葉につられるようにして壁面の品書きを見ると、お刺身やフライの各種定食をはじめ、丼物やラーメンにいたるまで、メニューがぎっしりと貼られているのである。いいねえ、こういう店は……。
大沢さんに伺いますと、たとえば競輪開催日などは、朝から来て、ちょっとひっかけるなりお腹に入れるなりしてから競輪場へ向かい、終わるとまた帰ってくる、そんな洒落た使い方をするお客さんもいるらしい。
聞いているだけですぐさまそのお仲間に入りたくなるわけですが、本日、つまり3月の末の夕方にお集まりのみなさんも、それぞれにリラックスされて、いい時間をお過ごしのご様子です。
■若い女性の2人連れがやってきて…
さあ、私たち3人も、飲もうではないか。
ということでビールをぐびりとやりながら煮込みに箸をつける。ネトネト、ドロドロはしていない。けれども、味はしっかりと染みていて、シャキシャキの少し辛いネギとの相性もすばらしい。七味唐辛子はもちろんたっぷり振りかけるのが私の癖ですが、もう、この一品でかなり満足してしまうのです。
しかしながら、続いて頼みましたマグロのぶつがまた、すばらしい色つやを見せておりまして、これにはワサビをちょいとのせて醤油につけ、するりと口の中で滑り込ませてからじっくりと味わいにかかる。
モノがいいんですな。これで360円は安い。そういえば、大瓶510円も安い。
大沢さんが店の経営を任された8年ほど前にはすでに赤星しか置いてなかったということですが、この伝来のビールとして定着した赤星が、今も大瓶で510円で提供されているというのは、すばらしいことだと思う。
さあさあ、追加注文をしようじゃないか。
さらに込みあってくる店内を見回しながら、なんとか、この店の一員になろう、溶け込もうとする。ふと見れば、若い女性の2人連れがやってきて、私たちのすぐ隣のテーブルについた。
物珍しそうに、きょろきょろしているところを見ると、どうやら、この店に入るのは初めてらしい。少し前までだったら、女の子ふたりではなかなか入れない雰囲気の店であったはずだが、昨今は女性もがんがん飲む時代。オヤジさんたちが巣食うような店でも平気で入っていく時代だ。その代わりにパンケーキなんか喰うオヤジさんも登場しているというから恐れ入る。
女の子ちゃんたちが大衆酒場へ来るのは歓迎。でもオヤジがパンケーキを食べてはいけない。これは偏見だ。大いに問題のある偏見であることもわかっている。でも、私はそう思うのだ。
そんなことはどうでもいい。身なりはちょっと派手だけれど、表情にはまだ若さがたっぷり残っている女性客と、我らがSさんはちょうど背中合わせになっている。こちらのテーブルが何を頼んで酒を飲んでいるのかが気になるのか、彼女はときどき、こちらに関心を示すのです。
椅子に置いた荷物を直そうとしたときだったか。彼女が、自分が座っていた椅子を引いたときに、彼女の背中とSさんの背中が少しばかり触れた。
あ、すいません。いやいや、いいんですよ、とかなんとか言い合っちゃってね。なかなかいい光景なんですな。
向かいに座っている女の子もいい。少し酔って勘定場へ行く足元がよれたお父さんに手を差し伸べて、「だいじょうぶ?」なんて、気遣ってあげている。ふたりともおしゃれだけれど、全然、スカしたところがない。
これこそ、大衆食堂、大衆酒場の夕暮れ時だと、私は膝を打ちたい気分になっている。何に対して合点がいったのか、自分でもよくわからないが、これでいいのだ、と、バカボンのパパよろしく、ひと宣言したい感じになっている。
■ちゃんと食べて元気でいなければ
ビールを追加。酒肴はハムカツにポテサラ、レバ、ツクネのタレ焼き、それから、Hさんの好物であるラッキョなどを注文する。
我ら3人は、初めて入った大宮の大衆酒場で赤星の瓶を傾けながら、すっかり調子が出てきている。調子に乗ってにごり酒も追加。
ふと見上げれば、天井が高い。そのため、この店は一層、広々としているように感じられる。少しの酒をゆっくり飲んでいる人がいるかと思えば、そのペース、さすがですねと声をかけたくなるくらいガンガンと飲んでいるお父っつぁんもいる。
オレもいつか、ああなりたいなと思う。いつまでも元気で、夕暮れの大衆酒場で、うまいビールを、喉を鳴らして飲む。そんな爺さんになりたい。
てなことを考えていたら、私としては珍しいことに、腹が減ってきた。ちゃんと食べて元気でいなければならないと思ったのか……。
「ラーメン、ください!」
炭水化物を頼んでいた。
やがて出てきたラーメンは、食堂の、昔ながらの中華そばだ。懐かしい味のする、素朴な醤油ラーメン。この汁がまた、お酒に合うから、さあ、困った。
だんだんと、それでも着実に、飲みたい気持ちがあふれ出し始めているのでありました。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行