白い暖簾がかかった間口はさして広くはないが、格子になっている木枠のガラス扉がたいそう渋いです。
バス通りに面した外観は、遠目にはビルの1階風ではあるけれど、そこにぐっと寄ると、昔ながらの一軒屋に見えてくる。
昨今、こういう構えの店も減ったよなあ――。
と鷹揚に構えて眺めていたのではありません。これは、小走りしながらちらりと見た瞬時の感想でありまして、なぜこのとき小走りであったかというと、私は、約束の時間に10分以上も遅れていたからなのでした。
大井町にたくさんの飲み屋さんがあることは知っているが、なかなか立ち寄るチャンスがない。大井競馬の帰りだと、京急立会川方面で飲むか、モノレールで浜松町へ戻ってしまうことが多く、りんかい線開通以来、渋谷新宿方面とのアクセスも格段によくなっているのに、まだ、大井町をよく知らない。
まあ、あり体に言いまして、わたくしが田舎者だってことに尽きるわけですが、それにしても、取材なのに遅れるなよなと自分に言いたくなるほど、時間の読みが外れてしまった。
それはともかく、訪ねましたのは「かねまん」さん。ふぐ、うなぎ、串料理の店で、私は初めてこの店の暖簾をくぐるのです。
■老舗の支店もいまや老舗
ご主人夫婦のにこやかな笑顔に迎えられ、小上りに陣取れば、ああ、なんという居心地の良さだろう。
さっそく頼むビールは言わずとしれた「赤星」。酒肴を選ぶのも後回しにして、いささか前のめり気味に1杯目を注ぐ。
ぷはぁ~。小走りの後のビールはうまいね。
なんて、バカなことを思うわけですけれども、このときになって品書きを見渡せば、まあ、なんとも品数の多いこと。びっくりしましたね。
何を頼めばいいのか、初めての客には見当もつきかねますが、ご主人の中田周治さんにいろいろ伺いつつ、まずは手はじめに、ムネタタキの酢だれ、というのをいただくことにしました。
私は存じ上げませんでしたが、こちらのお店、正式には「かねまん 大井店」という。そう、本店が別にあるわけなのですが、それがなんと明治13年創業の人形町の老舗「かねまん」。
なんでも日本橋魚河岸(豊洲の前の築地のそのまた前の市場ですな)で屋台営業をしていた初代が日本橋人形町に店を開いたとのことで、なんと、東京で、ふぐ料理の認可を受けたのは、この店が最初だったということです。
日本橋人形町には、牛鍋やら軍鶏料理やらとにかく老舗が多ございますが、「かねまん」はその代表格です。そして、そちらの支店がこちらの大井店ということなのです。
「大井の店ももう65年になります。もともとは親戚筋が、うなぎとふぐの店としてはじめたのですが、先代もご高齢になり、私が跡を継いで8年目です。私は本家の次男坊でして、人形町の方は今、兄が切り盛りしています」
今年41歳の中田さんはさらりと言うわけですが、ひと口に65年といいましても、不肖、私メが55歳でありますから、ちょうど10歳先輩ということになる。昭和28年からやっているわけですよ。
暖簾をくぐっただけで、ふわりと包み込むようであった独特の空気は、その長い年月が生み出すものなのかもしれません。
■この店、実は肉もうまい
さて、1品目がきました。鶏のムネ肉のタタキ。実に分厚く、気前のいい風情でもって、皿にデンと構えている。見るからにうまそうなんですな。いい眺めだ。
こういうひと皿というのは、なかなか巡りあわないものですよ。素朴で、どこにでもありそうな素振りをしていますが、なんというか、実があるというか、見てくれだけじゃない。
口に運んでみて、ほうら思ったとおりじゃねえかと、誰にともなく威張りたくなった。
それくらいに、見てくれじゃない。大人しそうに見えてしっかり一本スジが通っている。刻んだ小葱の歯ごたえと、酸っぱすぎず、ほどよく丸い酸味が、ムネ肉に合う。
と、ここで気づくのは、ふぐ、うなぎ、それからスッポン料理などが看板であるこの店の、肉がうまいということなんですな。
伺いましたら、芝浦の加工センターが近いから、豚肉なども実に新鮮なのが手に入るということで、ハラミ、タン、レバーにカシラなどなど、私の好きなやきとんの串に定評があるという。
そういや、酒にしたって、サッポロラガービールがあるのはまずもってありがたいこととしても、日本酒も銘酒があるし、焼酎は一升瓶で注文できるようだ。
近くのテーブルで早い時刻から飲み始めた常連のお客さんは、キープの一升瓶から好みの量をご自分のタンブラーに注ぎ、ウーロン茶で割ってビシビシと勢いよく飲んでいらっしゃる。いいねえ、いいねえ。
さあて、お次は魚、いってみましょうか。
頼みましたのはサンマのワタ焼き。イカのワタ焼きみたいなのを想像しておりましたら、違いましたね。そうして、食べてみて、ああ、これは抜群だと、今度は誰かに電話をかけたくなった。
ワタを酒、味醂、醤油などで溶いて伸ばしているようで、それを塗ってるんですな。塗ってから焼くのか、塗りつつ焼くのか、などとあれこれ詮索したくなるのは、これ、自宅にてトライしてみたい、などと不届きなことを思うが故です。
ワタの苦味は不思議なほど感じられない。ほんのりとワタの風味があって、それが、サンマにうま~く絡んでいる。それでもって表面がこんがり焼けているわけですからね。これはうまいよ。うまいと感じさせる香り、丸み、香ばしさ、食感、全部がそろっている。
ますますビールが進むわけですが、引き続き登場しました、うなぎの短尺焼き。これにまたもや、やられてしまいました。
短い尺ということで、どんな形なのかと思っていると、おお、まさに短尺。まあその、蒲焼の小さいのが2本の串に刺してある。
うまいんですよ!これが。普通に蒲焼を頼むんだったなと、即座に後悔しました。短尺で軽いおつまみに、なんてことを思っていたのですが、いやいや、こちらのうなぎ、脂の乗りもタレの味わいも、香ばしさも、ふわりとした焼き加減も、申し分ないのです。
私は酒を飲むときにはあまりものを喰いませんが、そんな私が、短尺ではなく、フルサイズでいただくべきだったと臍をかむ。そういう感じでございますから、この舌足らずな文章もなにぶん大目に見ていただきたい。
まあ、勝手を言っておりますが、なにしろ、何を喰ってもうまい、という確信を得まして、少食の呑兵衛もいささか興奮気味、はしゃぎ気味なのです。
同行の編集Hさんから分けてもらったポテトサラダまで抜群ですから、日頃なら日本酒なり焼酎なりにかえて、つまみのほうをセーブするタイミングにきているのに、まだまだ味わいたい。
■間違いない味が、ここにはある
本店の味を受け継ぐフグもスッポンも、もちろん予約が必要で、本日はその準備がないからどうにもならないわけですが、年内は休まず元旦まで営業を通すなどという話を聞いては、年末の宴のあれこれの相談もしたくなる。
普段は使っていない2階には、宴会にも対応できる座敷があるということなので、気持ちが動きます。フグのコースで豪華な年納めとか、スッポンで元気一杯の新年を、なんて声をかけたら、ああ、それ乗った!と手を上げる何人かの顔が浮かんできたりもします。
そんな妄想から我にかえると、店はすでに超満員で、大変な賑わいになっている。
さて、お次に頼みましたのは、当店自信のポン酢で食べる、牛ハラミのおろしポン酢。ハラミという旨みの濃いところを、あえてさっぱりとおろしポン酢でやる趣向です。
聞けば、前日にポン酢を仕込んだばかりなのでフレッシュなところを是非に、とのこと。フグの名店のポン酢ですよ、うまくないわけがない。
薄切りの鶏なんかだとさっぱりしすぎますが、こちらの一品は、こってりしっかり、ハラミ自体に力があるから、ポン酢と合わせてもインパクトが強い。
ああ、炊きたての白飯に乗っけて掻き込んでみたい……。
酒を飲む席であまり喰わない私がどんぶり飯を空想するのですから、自分でもちょっと驚くわけですが、そこへ追加できた一皿がまたいい。
レバニラ炒めです。しかも、レバーは焼きすぎない按配のいいミディアムレア。角がピンと立つほど新鮮な、この日仕入れたばかりのレバーを大ぶりにカットして、惜しみなく使う。
ああ、炊きたての白飯にのっけて掻き込んでみたい……。脳内コピペ状態。
そうなんだ! うまいレバニラ炒めってものは、こういうものなのだ。私のくたびれた大脳皮質は活性化され、どんぶり飯のお代わりができた時代の初々しい記憶が飛び出してきた。
言わずもがな、ですがね。ビールとの相性は一点のケチのつけようもないですよ。
そろそろお暇しようかと思っていると、お隣のテーブルにすっぽん鍋がやってきた。なんでもこちらのすっぽんは珍しい水炊きスタイルで、自慢のポン酢でいただくのだという。生き血が多くとれたそうで、幸運にもご相伴に与ることができましたよ。
昔懐かしい味とか昭和レトロとか、いろいろ言う人がいらっしゃいますけどね、平成も終わろうという今、実のある、間違いない味があるんです。若い店主夫妻とあったかい常連さんたちが、それを守っていらっしゃる。
いいねえ、いいねえ。こういう店は、たまんねえや。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行