京浜急行の黄金町駅と、横浜市営地下鉄の阪東橋駅のほぼ中間あたり――私にとってはほとんど未知のこの土地に、赤星100軒マラソンの記念すべき40軒目、「肉おでん まるちゃん」はありました。
取材当日、黄金町と日ノ出町を間違えた私は、おかしいな、いい加減到着してもいいはずなのだが、などと、ぶつぶつ言いながら、慣れない道をたらたら歩いて、ようやく店の前に着いた次第。
そこで、当企画の写真を撮っているSさんと落ち合い、目的地である店の佇まいを眺めたわけです。
「おお、ここ、渋いぜ」
「渋いですね」
平屋の一軒屋です。ビルの谷間の民家の風情がある。なぜ、この一軒だけが無事に残ったのか、理由は即座に想像がつきかねるのですが、その一方で、残った、というありがたみが湧いてくるような構えでもある。
そこへ、編集担当のHさんがやってきた。昨年、この界隈を歩いたときに偶然見つけたのがこの店で、以来、気になっていたという。
聞けば、お店自体は、新しい店なのだとか。まだ暑い季節におでん、というのもオツなものかもしれないし、さっそく入店することとあいなりました。
いやあ、いい雰囲気なんですな。これが、開口一番、というより、まだ何も口に出していない段階での感想だ。
客席はカウンター席のみだけれど、空間に奥行きがあるから、想像をはるかに超えて、広々としている。そして、清潔感にあふれている。赤提灯をぶらさげたこぢんまりとした店々の中には、うす汚れた感じをむしろ売りにしているようなところもないではないですが、こちらは、すきっとしている。
■外はまだ昼間のうち
席につき、覗き込んだおでんの鍋からも、きつすぎる匂いが立つことはない。見れば、おつゆも澄んでいて、きれいなのだ。
「赤星ください」
「はいよ、赤星!」
声に張りがあり、笑顔がいいのは、店主の高橋淳さんだ。一瞥で人を和ませるようなところがある。
時刻は午後4時。開店直後。外はもちろん、まだ昼間のうち、という時間帯です。この時間の赤星がまた、格別ですな。
冷たい瓶を握る手のひらからも、喉を越すときの爽快さが思われて、つまり、飲む前からおいしい。我ながらどうかしていると思いますが、まあ、それがわたくし、というもののクセみたいなもの。実際に口にしてみて、
「くぁ~」
と他人様には聞こえないくらいの声が漏れるのはご愛嬌というものです。
「いわしだんご、うずらたまごのばくだん、しらたき、ください」
おでんダネは豊富でユニーク。まぐろだんご、とか、串カツ、なんてものまである。串カツのおでんっていったいどういうものなのか。後で調査することを心に決めました。
店には、我々と同様、開店時刻直後からお客さんの姿があった。おふたり連れでカウンターの奥のほうへ席をとり、慣れた感じで注文をしている。
お話しの端々から――盗み聞きをしているわけではないですよ――どうやらこの後、プロ野球観戦に行かれるらしい。
ここは横浜。スタジアムといえば横浜スタジアムでしょうね。近いのかな、と思いつつ、頭の中で懸命に地図を広げてみるのですが、どうにもよくわからない。
新たにお客さんも入ってこられて、やはり地元の方のようだから、それとなく、聞いてみました。
「伊勢佐木町とか、野毛とかは、ここから近いんですか」
「野毛は歩いたらちょっとありますよ。でも、伊勢佐木町はすぐそこ。この路地の一本隣が伊勢佐木モールです」
ああ、そうなんだと、先刻いただいたばかりの店主の名刺の住所を見れば、ここも伊勢佐木町6丁目なのでありました。
伊勢佐木町には昔、真面目な出版営業マンだったころに何度か来ている。有隣堂の本店があって、そこに詩集のセールスに来ていたのだ――今のようなただの酔っ払いではなく詩集の販売に歩いていた時期もあるのですよ、私には――。
そのとき利用したのが関内駅で、横浜スタジアムはたしか駅からすぐであったと記憶しているから、そうか、それならこの店から歩いて行けるということが、ようやくわかるのであります。
それにしても、いいですね。野球の前におでんで1杯。ちなみにこちらのお客様も、赤星、ですよ。嬉しいですねえ。
■居心地も麗しく
私のおでんの皿が出てきた。
いわしだんごから齧りつくと、クセがなく、あっさりとして、うまい。つゆもまた、見た目のとおり、すっきりとした、いい味。昆布とカツブシと、アゴでとった出汁のおでんつゆは、毎日、全量入れ替えて、日をまたいだものの継ぎ足しはいっさいしないとのこと。
「毎朝10時から仕込みです。一日に使う出汁は、18リットルの鍋で2杯分。仕込みは温度も測りながら、じっくりやります」
高橋さんいわく、おでんを煮込む際は沸騰してもダメだし、70℃を下回ってもダメ。適温は、80~85℃であるそうで、実は、おでん鍋の縁には小さな温度計がセットされていて、営業中もしっかりチェックしているのだ。
すっきりして、薄味で、それでいて、深い味わいもある上品なつゆは、こうした緻密な管理のもとで守られているのですな。だから、うまい。
うずらのたまごが仕込んであるばくだんも、ほどよく汁を吸って甘く、軽く、中に仕込んであるうずらの玉子がほくほくとして、まことにおいしい。人気の一品と見ましたね。
お客さんは、最初のおふたりがカップルで、次の、私が界隈の位置関係を聞いた方が女性、それから高橋さんのお勤め時代の同僚の男性が夏休みを使ってやってきて、さらに、続けて、女性客がひとり、またひとり、やってきた。
ご職業はさまざまのご様子ですが、みなさん麗しいご婦人揃いでございましてね。このあたりもご店主の魅力かと思うと羨ましい限り。店の居心地という観点から言っても、麗しい限りです。
オヤジでごったがえすおでん屋、という感じでは、まったくない。ありがたい店ですよ。
■串カツおでんの衝撃
みなさん、それぞれ楽しそうに夕方のひとときを楽しんでいらっしゃるわけですが、先刻から、たこ焼き、なんて単語が飛び交っている。私のほうは追加したがんもどきを味わっていたのですが、たこ焼きはやはり気になります。
それとニンジン。おでんダネのダイコンや芋は定番だけれど、ニンジンはあまり見かけない。これもおでんダネだとすると、興味深いというか、冒頭で気になった串カツともども、調査せずにはいられません。
ちょうど、飲みタイムに合流したHさんとも分け合う形で、これらを一斉に食べてみる。
これがすばらしいんですなあ。
まず、ニンジン。ほどよくやわらかく、味はちゃんと沁みている。聞けば、下ゆで後、ちょっと濃い目の出汁につけて冷蔵庫で一晩寝かせ、中まで味を吸わせてからおでん鍋で仕込むということらしいですね。
それからたこ焼き。これは、表面がカリッとしている。軽く揚げてあるんですなあ。
この、まん丸の、カリッとしたたこ焼き、ソースとか、私なんぞは醤油をかけてそのままいただいてもいいようなものですが、これをおでんのつゆにちょいと浸して口へ放り込むと、ああ、これ、なんてったかな、あの、明石のほうの、そう、明石焼き、という合点の仕方もできるわけなのです。
ビールはもちろん、酎ハイにも、日本酒にも問題なく合いそうですが、赤星を飲み終えたHさんなどは、シングルモルトのソーダ割りとのペアリングに挑戦し、実に楽しそうです。わたしもつられて、先刻から目をつけていた農口酒造の「M310 大吟醸 磨き5割」をいただいたりなんかするわけです。
そこへ、出ました、串カツですよ。
参りましたねえ。豚の串カツ。あれをおでんダネとして喰ってしまおうというわけですが、これがまた、いけるんですな。豚の脂がつゆに溶け出るとでも申しますか、とろりと甘く、2本でも3本でも食べてしまいそうです。
開店から1年と8ヵ月(取材時)のこのお店。店主の高橋さんも、飲食業の経験があったわけではないというのに、頼むもの頼むもの、みんなうまいので驚きます。
なんでも、高橋さんは、お勤め時代、野毛や横浜駅西口のおでんの屋台にずいぶん通ったということです。そこで、かなりイケる口の酔客として見聞きしたことが、今の店に生きているということなのでしょう。
落ち着く、いい、店です。多くのお酒飲みに、まずはお立ち寄りいただきたい1軒と申し上げたい。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行