この店のビールはなぜ「赤星」なのか・・・。ある日、なじみの飲み屋でふと考えた。どうでもよいことだけど、気になって仕方がない。そこで、思い立った。赤星を置く店を100軒めぐって「なぜ」を探ってみよう、と。
■選手宣誓
梅雨本番でございます。どうにもこうにもこう蒸し暑いとやってられませんが、蒸し暑いからこそよろし、ということもないわけじゃない。そう、ビールがうまい。
とりあえずのビール、通称「とりビー」とか「とり生」なんてことを言う人もあるようですが、じめじめした1日の暮れがたに、ああ、早くビールを飲みてえ!とひたすら気分を盛り上げながら酒場の暖簾をくぐるときの気分は格別です。
「お飲みものは?」
「おぅ、ビールだ、ビールちょうだい!」
運ばれてきた1杯の最初のひと口を、あぅ、なんて言いながらゴクっと飲み下して、プハー!と大袈裟に息を吐く。
だいぶ芝居がかっているわけなんですが、酒場のカウンターで観察すると、こういう人が少なくない。あぅ、ゴクっ、プハー!が立て続けに3人くらいいたりする。
かくいう私もすぐに芝居がかっちまうタチだからご多分にもれないわけですが、この最初の1杯てのは、生ビールにするか瓶ビールにするかで毎度悩みます。
そんなもなぁ生に決まってら。いやいやよく冷えた瓶ビーも捨てがたいよ。いつもこの葛藤がある。
でかいジョッキのふわふわの泡に上唇を突っ込んでぐいぐいっといくのものいいが、コップに注いだ瓶ビールをひと息に飲み切って次の1杯を注ぐのも楽しい。ジョッキの生は油断をするとすぐに温くなるが、瓶の場合は冷えが持続する。あくまで個人的な見解として、こういうことを考える。
で、瓶ビールといっても、生がある。ドラフトビールという、熱処理をしていないビール。日本の場合はほとんど生でしょうかね。そしてもうひとつ、熱処理をしている瓶ビールがある。昔ながらのビールというのでしょうか。これが、またうまい。
ちょっとややこしいんですが、つまり日本酒同様、ビールにも生と火入れの2種類があるということ。そして、私が好んで行く店にはなぜか、この火入れ版を置いているところが少なくない。
赤羽の『まるます家』さんにしても神田の『なか川』さんにしても、府中は中河原の『真仲』さんにしても、瓶ビールというと、決まって赤い星印のラベルのヤツが出てくる。
サッポロラガービール。愛称は「赤星」。不思議なんですよ、これが。
『まるます家』さんは大衆酒場であって、鰻や鯉料理の名店、『なか川』さんはおでんと手づくりの酒肴の店、そして『真仲』ややはりつまみのうまい居酒屋と、酒場と言えば酒場だが、酒肴の種類も客層も箱の大きさも雰囲気もまるで異なる店なのに、瓶ビールといや、赤星がすっと出てきたりする。
で、私はね、この昔ながらのラガービールというものに、やはりちょっとばかりの懐かしさを感じるようなのです。
ある日、競馬の帰りに府中の『真仲』で赤星を飲んでいて、さて、赤星を置く店はなぜこれを置くのか、詮索したくなった。味か、製法か。ラベルデザインか、単なる昔からの付き合いか。それとも、これぞ日本の瓶ビールの正統という自負か、はたまた、店のつまみとの相性か……。
思い巡らせば巡らすほどにわからない。そこで、思い立った。赤星を置いている店をひたすら回って飲んでみて、酔っ払いの五感のすべてをつかって、「なぜ」に対する答えを見つけたい……。
とかなんとか煩く主張しておりますが、なに、わたくしの場合、単に飲みたいだけですよ。赤星を置く店を仮に100軒訪ねて秘密を探るなんてことを掲げは致しますが、本音を言やぁ、飲みたいだけです。
でもまあ、せっかく始めるわけですからね、どうぞ、末長いお付き合いのほどをお願いいたします。
■目指したのは「昭和のもつ焼き屋」
と、いうことで、やって参りましたのは、西武新宿線野方駅から徒歩2分ほどの『秋元屋』さん。飲兵衛ならご存じの方も多いことでしょう。なんといっても、こちら、味噌ダレのやきとんでは、元祖と言われる名店です。
夕方5時の開店を過ぎるとすぐ、2,3人の常連と思しき人が現れる。
「生!」という人もいる、瓶ビール、という人もいて、「赤星」と指名する人がいる。瓶ビールは、サッポロの黒ラベルも置いているから、「赤星」という指名買いをする人は、ラガーをぜひとも飲みたいってことなんでしょうかね。
このあたり、さて、区別がつくのかいな。シングルモルトの飲み比べなんかをやると、かなりわかりやすいブラインドテストでもあっけなく間違えて恥ずかしい思いをすることしばしばのあたくしの場合、そういうことが気になるのです。
そこで、秋元屋の総大将、秋元宏之さんにそれとなく聞いてみた。みなさん、違いがはっきりわかっているのかと……。
「ラベルを隠して黒ラベルと赤星とをお出ししたら間違える人もいるでしょう。つまり、雰囲気で赤星を選んでいるの。ラベルに、『JAPAN’S OLDEST BRAND』ってあるでしょ。なんといっても、SINCE1876だから」
かく言う大将も、赤星を置く理由を問われたら間髪入れずにこう答えた。
「イメージですよ、イメージ。古いもつ焼き屋、昭和のもつ焼き屋のイメージ。それが赤星なのかなあって(笑)」
屈託がないっていうか、身も蓋もないっていうか。
でも、大将のそういうざっくばらんな姿だけを見て、いい加減だなと思ってはいけません。「細けえことにはこだわりません」と見せかけておきながら、その実こつこつといい仕事を積み重ねている。そういう自負があってこその軽い受け答えだと、鋭く見抜く眼力が、酒場巡りも昨日今日ではない飲兵衛には求められている!
か、どうかは、知りません。知りませんが、開店直後からカウンターの客になってみれば、昭和のもつ焼き屋をイメージとして追いかけただけではないことは一目瞭然です。
■今の店はもう、開店当初とは「別物」です。
隣のお父さんが、せんまい刺しを頼む。ここは関東のもつ焼き屋です。ということは豚もつやかしらなどを扱う、いわゆるやきとん屋さんであるはずなのだが、せんまいと言えば牛の胃ですわな。
そう思って品書きを見れば実は鶏のほうも充実しているし、サラダもポテトとマカロニの両方を供し、自家製のつくねに煮込みはもちろん、ずいぶんと品数が多い。
「最初はね、串の種類も6、7種類しかなかったんですよ」
そういって、2004年の開店当時を大将は振り返ります。
「築50年くらいの建物だったんですけど、中央線から一本外れたところでやりたかったから、物件探しにはちょっと苦労したんです」
実は大将、もつ焼き屋はおろか、酒場商売の経験すらなかった。埼玉県は蕨にある名店『㐂よし』に修業に入ったときはもうオッチャンで、しかも、包丁が使えなかったという。大将はここで味噌ダレを教わる。
だから本当は『㐂よし』が元祖なんですが、『㐂よし』に通いながらも、下町や都内の名店を歩きまわった。いい酒場を、とにかく見て歩く。大将には、老舗への大いなる憧れが生まれていたのだそうです。
「ちょうど2000年代のはじめくらいに大衆居酒屋がちょっとブームになって、私も店を巡ってブログに書く方々の仲間になって、すばらしい大衆居酒屋の、モノマネをしたいって思った(笑)」
そうして、まずはもつ焼き店としての開業にこぎつける。
「椅子が13席。コの字カウンターにとにかく憧れていたから、大工さんにいろいろ無理を言ってコの字にしてもらった。壁とか、そういうのも、古い感じを出すようにした。それから、開店から8年ほどいてくれたスタッフの女性。オレより年上だったんですけど、この人の存在によって、店には、最初から老舗感が出た(笑)」
冗談ばっかし言ってらっしゃいますが、ここからが秋元さんの真骨頂でしょうか。串も6種類くらいしかなかった店は、流行りに流行るのである。
「最初は13席だったんですけど、すぐいっぱいになって、椅子を調達して15席にしました。今と比べたら何十分の1ですけど、最初から売上は上がったんですよ。毎月10万円くらいずつ増える。そんな感じでした。ただ、最初の頃は正直言ってお出しするもののレベルは低かった。お店の体をなしていない(笑)。
でも、一度来て下さったお客さんが次に来るときには、何かがよくなっている。そういう感じでした。今、ときどき表のテーブル席から自分の店を眺めることがあるけれど、もう、別物ですよ」
■変わるもの、変わらないもの、それぞれの味
秋元さんいわく、煮込みも、当時と今とではまったく別物という。それからスタッフたちの貢献が大きい。
「いい人ばかりでね。みんな、人気者になってくれた。ウチには実は名物はないんです。味噌ダレは㐂よしさんに教わって売りにしてきましたが、ウチの従業員が引き継いだり、そのまた後で継いでくれた孫弟子みたいな人たちが拡散してくれて、ウチが味噌ダレの元祖だと思ってくれる人が出てきたということなんですよ」
あたくしは個人的に、もつ焼きはシロと軟骨のタレとタンの塩が好物ですが、隣の人が食べているつくねを見てぐっと心をつかまれた。迷わず注文する。
叩いたナンコツの歯ごたえと、ふつう、甘くとろける感じに仕上げるタレ味ですが、こちらのはスパイスがきいていて、なんともいえない。
思えば、わたくしが瓶入りのラガービールともつ焼きを楽しむようになった30年ほど前、串ものはもっと大らかというか、ざっくりとした酒肴だった気がする。
もちろん、ネタのよしあし、切り方、串の打ち方、なにより炭火の加減など、店によって千差万別だったとは思うけれど、いまより大雑把だった気がする。それがよかったと思える部分も少なくない。
けれど、今、秋元屋さんの13年の歴史を振り返ってみて、ひとつとして、開店当初と同じレベルのつまみはないんだなと思えば、これはまた非常にありがたいし、なにより、流行った理由が得心できるというものでしょう。
変わらないようでいて、少しずつ変わっているもの。それがまず、人を飽きさせない。一方で、変わらないことで安心をもたらす、そんなビールもある。
赤星を置く店100軒歩けるかどうか、定かでないですが、実に幸先のいいスタートが切れたように思う次第です。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行