さて今回は、横浜・桜木町界隈の第2弾です。みなとみらいへ行ったのか?って、ンなわけはない。あたしが行くのは野毛だ。
と、まあ、いきなり力むこともないのですが、その昔、みなとみらいの開発が進んでいたころ、ライターとしてよくあの街へお邪魔しました。
そのとき、地元の人たちからご案内いただいた飲み屋街が、野毛だった。もちろん、取材をしていたみなとみらい中心で動くわけですけど、さてもう1軒というと、必ず野毛に足が向いた。
当時は東京都下(多摩地域)へ帰るのに、東急東横線で武蔵小杉を使うか、早い電車に乗れてしまえば渋谷まで一眠りしてから乗り換えるのが楽だった。野毛の最寄り駅は桜木町であり、当時桜木町は東横線の始発駅でしたから、さあ、帰ろうかというとき、便利だったこともある。
あのころの野毛というと、みなとみらいができあがる前でしたから、役所関係やビジネスマンも多かったのでしょうか。とにかく非常に賑わっていた。
今50代半ばの私にとっては、やきとり、それも豚ではなくて鶏のほうのイメージが強い。それから、いいバーがありましたね。そうした名店が今も人気の店であることは、確認しております。
だから野毛には、ちょっと懐かしい感じがある。ただ、あまり深くは知らない。野毛で酔えば泊まりになるという思いがあったからいつも用心してきたし、それは今も変わらない。同じ東京でも世田谷あたりに住んでいればさほど怖くはないが、三鷹、調布、となってくると、店を出てから家まで2時間では着かない。だから、野毛を、かえって遠巻きにしてきたようなところが、私にはあるのです。
■ここでは迷わず刺し盛りを
そんな、あまり知らない野毛にやってきた。訪ねた店は「ウミネコ」。幅一間ほどだろうか。3人横に並んで歩くのは窮屈なくらい細い、ウナギの寝床のような路地の両側に何軒かの飲み屋さんが並び、そのうちの一軒が「ウミネコ」だった。初めての店である。
ビールはもちろん赤星。さっそく、注文して、ひと息つく。
カウンターも、棚も天井も、木製で古く、鈍い光を放っていますよ。
ここは以前は今とは違う飲み屋さんだったそうで、界隈でたいへん長く愛されたのですが、店主が高齢のため店をたたむことになった。その後を託される形で、現在の主である齋藤佑一さんが切り盛りしているという。「ウミネコ」という齋藤さんが開いた店はもともと、都橋商店街で評判をとっていた。
だから、齋藤さんの代になってから、古い店ではない。しかしながら店内には、にわか作りができない、本物の風格が漂う。そして、この雰囲気が、齋藤さんが現在提供している魚介、野菜、それから酒のうまさに、とてもよく似合っているのです。
「魚は毎日、仕入れに行きますよ」
齋藤さんは、毎朝10時ごろ、三浦半島の佐島まで魚を仕入れに自らでかける。佐島は小さな漁港だが、港の前の魚屋さんの店頭にすばらしい輝きがあることは、実は私も知っている。いい魚屋があるし、いい魚介があがる。
そんな話を聞いただけで、頭が少しぼんやりしてきますね。この時期、佐島ではナニが揚がるのか。そう考えると、頭がボーっとするのです。
佐島といやあ、タコだろうねえ。アオリイカもいいよねえ。もちろんアジ、サバ、あとはナニが出てくるか……。
瓶ビールをコップに注ぎ、ぐいと、ひと飲みしてから天井を見上げる。昔ながらの電気の配線がむき出しになっていて、配線の先の電球から柔らかな光が放たれ、カウンターを照らしている。
ほどよく暗いが、けっして暗すぎない。カウンターの上には、趣味のいい陶製の器が置かれ、皿の1枚、小鉢のひとつに、どんな酒肴が盛られるか、楽しみになってまいります。
「ここは魚がうまいですぜ」
編集Hさんから事前に入っていた情報だ。迷わず、刺身を頼もうと思う。
あれこれ自分の趣味を言うより、「今日の魚」を訊いたほうが早いし、苦手はないから、何が出てきても異存はない。そこで、Hさん、写真のSさん、それから私が3人で食べることとして、刺し盛りを頼んだ。
こちらの店では、3人なら、1.5人前をお勧めする、とのことです。つまり、盛りがいいわけですな。期待はさらに深まろうというものです。
■ノドグロを刺身で食えるとは
そして、やってまいりました。刺身の皿です。見るからに盛大。ため息の出る見栄え。見ただけで、ネタの良さがわかるし、気前のいい盛り付けに、軽く敬意を表したくなる。
本ガツオ、〆サバ、アジ、イカ、タコ、それから、これはカンパチかな……。ネタを見ていくわけですが、齋藤さんに聞いてびっくりしたのが、本ガツオの横の魚。なんと、ノドグロなんですな。
驚きました。ご存じ、アカムツのことですが、喉が黒いことからノドグロと呼ばれる魚です。私のイメージとしては日本海で獲れる高級魚。昨今、山陽方面への旅の機会に恵まれた折、山陰の港に揚がるノドグロを東京では考えられないくらいの安値で味わうという幸運に恵まれたものでしたが、まさか、横浜の野毛でお目にかかるとは思わなかった。
実は、いるんですな。太平洋側にも。しかも、普段は深いところに生息しているノドグロが、この時期、産卵のために浅い海へと上がってくるというのです。それも、刺身で食える。ありがたいことですよ。
ノドグロの隣のみずみずしい色合いを見せているのは石ガレイとのこと。これも、イサキと並んで旬の魚といえるでしょう。
ビールは、もう、空になっている。もう1本、迷わず、いただいて、冷たいところをきゅっと飲んで、しょう油を小皿にたらす。
真アジ、アオリカあたりから、いただきます。このあたりは、私のもっとも好きな夏の魚で、これほど新鮮でおいしいネタにめぐり合えればほかに何もいらん、というくらいのものですが、絶品のタコにつづいて箸を伸ばしたタチウオの刺身にもしびれました。
朝に仕入れて午後に仕込みをするから、これほどの刺身を提供することが可能になるわけですね。
齋藤さんの腕はたしかで、サバの〆め具合も塩加減も抜群。
ついでといってはナンですが、いっしょに注文したヌタが格別でした。アオヤギ、水ナス、ワケギのヌタですが、ぴりっとカラシを効かせた爽快な味わい。甘みは控えめで、酒に合う。
■大漁の翌日にお邪魔したい
地ダコを噛みしだき、活け〆の石ガレイの淡く甘いうまさをじっくり味わい、さあて、そろそろ日本酒にしてみようかと思って酒の銘柄を確かめると、好きな1本を発見。
広島は西条の酒「亀齢」。この辛口純米 八拾というのを試した。
「亀齢」は好きな酒で、近所の寿司屋で飲むときに必ず2合ほどいただくのですが、辛口純米 八拾というのは初めて。
精米歩合80%というから、米をあまり削らずに酒にしているわけですが、するりとさわやかな飲み口を提供してくれる。しかもこの酒、米が酒造好適米ではなく飯米であるらしい。
珍しいのをいただきまして、お次は「相模灘」。これは、写真のSさんにもお勧めする。
酒肴の追加は、身のしっかりしたイワシの梅煮と、かき揚げだ。
この季節、やはり、イワシはいいですね。それから、アオヤギと新タマネギと春菊のかき揚げは、刺身や煮魚と並んでこちらのスペシャリテといってもいいのではないでしょうか。
どうも、この店のつまみはうますぎだな……。
そういうことを久しぶりに思うわけですが、聞けば齋藤さん、毎週末釣りに行くということです。釣り場は東京湾。三浦半島の松輪港から出る船に乗って、1年中、魚を追いかけているという。
お金かかりますね。
と訊くと、にやりと笑って、まあ、こればかりは趣味ですからね。と答える。
狙いは一年を通して真ダイとのこと。釣り味と、魚自体のうまさと、両方を楽しむのだろう。大漁の翌日にお邪魔をすると、獲物のご相伴にあずかることもできるのだろうか……。
そんなことを考えていると、このカウンターの居心地はさらによくなる。
人に教えたい。けれど、すでにして、あまり教えてくれるなオレたちが入れなくなるから、と言う常連さんもたくさんいそうな気がする。だから私はひとまず、こっそり再訪しようと心に決めて、かき揚げをまたひと齧りした。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行