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100軒マラソン File No.23

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

「萬太郎」

公開日:

今回取材に訪れたお店

萬太郎

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新宿は馴染みが深く、たいていはこの街で酒を飲んでいる。最初から最後まで新宿、ということもしばしばです。

3丁目界隈で深夜まで飲み、大通りをわたり、5丁目あたりで沈没ということもございます。昔は先輩に2丁目へ連れて行ってもらって、妙にモテるという嬉しいような恥ずかしいような経験も何度かいたしました。

けれど、意外なことに歌舞伎町に疎い。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

足を踏み入れた回数で言えば数知れず。バカダ大学の親友の行きつけも歌舞伎町にあったから、若いころから何度となく足を運んだ。

それなのに、疎い。疎いのは、敬遠しているからかもしれない。ずっとそう思ってきたけれど、最近になって気付いたのは、歌舞伎町と呼ばれる一帯の広さに、なかなか馴染めなかったのかもしれない。

■煙の匂いと昭和歌謡

「萬太郎」という店が、西武新宿駅の出口から2分もかからないところにあるのを知ったのは、この赤星探偵団の団長担当でもある編集者Hさんに教えられたからだ。

歌舞伎町は詳しくねえからなあ、と一瞬ひるんだのが原因か、日頃、道に迷うことのまずない私がスジを1本間違えて、開店時刻に5分遅れてしまった。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

平日の午後4時すぎ、店にたどりつく。

小ぶりな構えだ。周囲の建物も古い。外壁にパイプや電線がむき出しになっているビルもある。酒場街ならどこでも漂っている、複雑な臭いがある。

それが、妙に懐かしい。郊外の町から一気に失われた、煙と酒精の匂いだ。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

店へ入ってテーブルにつく。カウンターは常連さんの、あるいは、常連と言えないまでもひとりでやってくる男たちの席だと、察しがつく。だから、邪魔にならないテーブルにつく。

そもそもこちはらは3人連れだからそれが当たり前なのだが、ひとりで飲むときでも、慣れない店のカウンターは、気がひける。

そういうことがマナーだと、思い決めているわけではない。そうしたほうが落ち着くのだ。それだけのことでしょう。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

「瓶ビール!」と一声、発します。

赤星が運ばれてくる。よく冷えた大瓶を傾けてコップを満たす。この、まだひと口つける前のちょっとした間。これもビールのおいしさの一つなんじゃないか。最近はそんなことも思います。

時刻は午後4時をまわった、開店の直後ですが、ひとり、また、ひとり、お客さんが戸を開ける。

こちらは写真を撮影したり、メモをとったりしているから、明らかに空気が違う。けれど、お客さんたち、あまり気にする風でもない。

お店のほうでも、

「へい、いらっしゃいッ!」

なんていう、派手な声は出さない。淡々と注文をとる。お客さんのほうも板についたもので、好きなもつ焼きの何本かと煮込みなんかを、ささっと頼む。メニューを見て、あれこれ悩むというようなことは、ないんですな。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

「いい曲がかかってますねえ」

写真のSさんが感に堪えたような声で言う。

なんだって? と、思って聞いたら、おお、名曲中の名曲『津軽海峡冬景色』だ。私は一瞬、今が何時なのか、わからなくなりかけるのであります。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

煮込みを頼むと、奥さんから「もつの煮込み」である旨、確認された。実は、もう1品、牛スジの煮込みもあることを、この、しばらく後になって知った。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

うまい、煮込みですよ。透明なスープ。なんとも上品ですが、どんぶりの縁に辛みそが塗りつけてあって、これを溶きながら楽しむ。最初はさらりとした味わいだったスープが、濃厚になっていく、その変化を味わうわけですな。

ふと扉の外に目をやれば、紺の暖簾と赤提灯が見える。いかにも、これぞ、飲み屋という雰囲気で、いいものだなあとため息をひとつ。

ビールをまた注いでぼんやりしていると、曲はテレサ・テンの『つぐない』。この店のBGMは昭和歌謡の名曲が延々と続く。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

タン塩がくる。

もつ焼き屋ふうであるけれど、酒肴の種類は数多い。チャンジャ、ヤリイカの塩辛、しらすおろし、ポテトサラダ、トリの皮酢、子袋の中華和え、キュウリのニンニクしょう油漬け、ゴマダレバンバンジーサラダ、豚耳の玉ネギあえ、韓国風サキイカのあえもの、などなど。

あれこれ頼みたいところだが、ピリ辛の大根の酢の物をつつきながらビールをぐびりとやり、しばらく悩む。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

■歌舞伎町の今昔

しばらく悩んでいると、昭和17年生まれという大将、佐野弘仁さんが私たちのテーブルにきてくれた。

生まれは大阪。大宮で修行をし、焼肉屋さんとして独立したのは昭和47年のことだという。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

「立川のシネマ通り、知っている? 最初はあそこでやってたんですよ。平成5年までね。それから、景気も悪くなったりして、姉が歌舞伎町で商売をしていた関係で、こっちを紹介してもらってね」

知っています。立川シネマ通り。駅の北口から競輪場と行き来するときに私は、ここを通るのが好きです。今は少し古びた、でも、それゆえにしぶく、風情のある通りなのですが、かつては賑やかだったと聞いたことがある。

立川の変貌ぶりには驚かされてばかりの私ですから、シネマ通りの名前なんかが出てくると、なんだか妙にうれしい。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

考えてみたら歌舞伎町だって、すいぶんと変わったわけで、疎いとはいえ新宿でばかり飲んでいた私だから、歌舞伎町の昔と今の違いにも、今さらながらに目がいくのです。

この店のある一角は、西武新宿駅の目の前で、たいへん便利なところではあるが、古い、小さな建物がぎっしりと並んでいる場所もまだ残っている。

大将によると、1階に「萬太郎」の入っているこのビルも、できたのは昭和35年という。私よりも先輩なのだ。けれど私は、こういうところのほうが落ち着くようだ。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

タレ焼きのナンコツをぼりぼりっとやる。

ミラノ座もコマ劇場もない歌舞伎町ってことになると、ただでさえ疎いのに、さらに疎遠になりそうだが、まあ、こういうお店が残っている限りはオレにも居場所があるか……。

ビールをごくりとやり、ふわふわのポテサラをなめる。これも、いい。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

地回りをしてくる人たちにも一歩たりともひかなかったという男気の持ち主。立川シネマ通りと歌舞伎町でたたき上げただけあって、もの言いも歯切れがいい。

「行儀の悪いヤツは睨み付けてやるんだよ。恐くないよ。こっちは、なんにも悪いことしてないのに、謝ることないんだ。なんのために警察があるのよ。わたしはね、刑法、勉強したよ。あっちだって手出しできないんだってことがわかれば、なんにも恐くない(笑)」

いたんですよね、大将みたいな傑物が、昔は。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

でも、この大将、恐い人じゃない。笑顔のやさしい、穏やかな人です。老子の思想に学び、感謝の気持ちを重んじる。

平成5年から品書きの値段を上げずにがんばり、さすがに消費税8%というとんでもない時代になって外税化したけれど、歌舞伎町でほぼ四半世紀、安くてうまいものを肴に飲みたい人々に、精一杯の心を配ってきた。開店時に大将が手書きしたというメニュー札が店の歴史を物語る。

「ユッケ、せんまい、豚足とか、焼肉屋のころからのメニューで、得意なんだ。だから、まあ、サービスとして出している。ユッケやレバ刺しはできなくなったけどね。うちのレバ刺しは大人気だったんだよ」

つまり、大好評につき、焼肉からやきとりへと商材を変えた後も守った品があるということ。頼まない手はない。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

編集Hさんも写真のSさんも、赤星に突入している。食べてみると、こちらの牛せんまい、ピリ辛のタレとゴマの風味が絶妙で、抜群といいたくなる。これで350円は、安い。

カウンターのお客さんが入れ替わり、テーブル席にも勤め帰りのグループが入ってくる時刻になった。私が日ごろうろつく思いで横丁界隈からでも、歩いて5、6分だろう。

疎かった歌舞伎町の端っこに、これからちょいちょい寄りたい店がまた1軒見つかって、うれしいやら、ありがたいやら。なにしろ、酒がうまいわけです。

変わりゆく歌舞伎町の、変わらない赤提灯

取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行

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