前々回、向島の「かどや」という名店に行った帰りだった。
ああ、浅草、近いなぁ……。
軽く飲んだ後だったから、ゼロベースからの飲み直しということではないのだが、浅草の近くにいると、なぜかちょっと寄りたくなる。
昼間から千住あたりで飲んでいて、夕刻、ああ、けっこう酔っ払ったなあ、と赤ら顔で街へ出てきたときなども、
ああ、浅草、近いなぁ……。
と思うことしばしばで、そのたび、逡巡するのだが、結局のところ、寄っていることが多い。
週末の早い時間帯だったら、ホッピー通りへ直行し、メインと最終レースの馬券を買ってからモツ煮込みで1杯やったりするわけですが、それ以外でも、鮨に焼き肉、居酒屋にバーと、寄りたい店があれやこれやあって、大いに迷う。
少し遅ければ、観音裏の中華屋さんで紹興酒と餃子とか、そのまた奥の知る人ぞ知る飲み屋さんで仕上げの焼酎とか……。
浅草生まれ、浅草育ちの人に案内をお願いした一夜以来、それまで行くアテの少なかった浅草は、俄然親しみやすくなっている。だからこそ、付近にいれば、ああ、ちょっと寄りたいなぁと思い続けているのだ。
けれど結局、向島の帰り道は、新宿まで出てしまった。多摩南西部に自宅のある私の場合、向島で下地をつくり、浅草で軽くハシゴということになれば、新宿で夜明かしになるのが目に見えている。だから用心もするわけなのだ。
ただし、寄らなかったら寄らなかったで、そこには大きな悔いが残るのも事実。近いうちに絶対に浅草で飲む――。そういう決意が生まれる瞬間でもある。
■畳敷きの広々としたカウンター
で、このたび、浅草の、しかも観音裏と呼ばれる大人なエリアへとやって参りました。
文字通り、観音様(浅草寺)の裏ッ方。見番とお座敷がある花街として知られる。あまり大きな建物はなく、道もわりに細く、住宅街ではあるが、飲み屋さんの暖簾もちらほら見える。
「ぬる燗」も、そんな一軒だ。
紺の暖簾が渋く、間口は広くないが、中へ入れば奥行きがあり、奥の座敷だけでなく、カウンター席も畳敷きである。入口で靴を脱ぐ形だ。
こういうの、いいですよねえ。広々としたカウンターに向かうとホッとする。初めて来たのに、なんだかとても居心地がいい。
今年で12年になると、店主の近藤謙次さんは言う。いただいた名刺を見ると、肩書は「お燗番」。つまり、主人であり、お燗番であり、板長なのである。
「浅草は地元じゃないんですよ。紹介もなく観音裏に飛び込んできて、最初のころは、近所の人たちから心配していただきました」
言葉はいたって穏やか。それでいて下町気質というか、かったるいところがカケラもない。黒のダボシャツが実によく似合う人である。
サッポロラガービールは、大瓶と中瓶を用意している。もちろん大瓶をいただく。
さっそく、ぐびりとやると、お通しに小ぶりの汁椀が出てきた。
「豚ひきと卵の汁です」
最初にスープを出すバーがあるが、居酒屋のお通しで汁が出るのもオツな気がする。
口に含むと、やさしい塩気と豚の脂、それからふわりとした卵の感触が、食欲を呼び醒ましてくれる。というより私の場合は、日々の飲み疲れからの回復の道筋を示してくれる一杯であるような気がするのだ。
ビールをさらに、ぐびりとやる。
小椀の汁を飲み干すと、カウンターの上の器に盛られたところが、ひときわ目を引いて最初に注文したつぶ貝煮が出てきた。
殻から身を取り出したつぶは、煮てあるうえに、山葵を少しばかりつけて味わう。このアクセントが効いていて、まだ夕方だというのに、「飲みたい気分」を一気に引き上げてくれる。
■連日連夜の酔いも忘れて
品書きに目を走らせると、今宵の肴として、50~60種類が載っている。
刺身の筆頭は蝦蛄、2列目に真鯛塩〆とある。煮物の合鴨ロース煮もいいし、揚げものの下仁田葱の天ぷらなんてところにも目移りする。これだけの、いかにもうまそうな肴を日々用意するのは並大抵じゃない。
たいへんでしょう、と問うと、
「私も好きでいろいろな店へ行きますから、まあ、これくらいは……」
自ら飲みながら食べながら見つけた味を自分のものにするために、あれこれと試行錯誤を繰り返し、一方で仕入れの問題など難関は数々あったと想像されるのだが、近藤さんは、「まあ、これくらいは……」と言うだけである。
素っ気ないのかというと、そんなことはない。むしろ、ひとり調理場を守り、お燗番もつとめながら、客の話を小耳に挟む余裕さえ感じる。
私も知っている名うての「飲み手」たちがこちらへ足を運び、馴染んでいるという。ご主人はそれとなく教えて下さったわけだが、その背景には、酒のうまさ、酒肴のうまさ、店の雰囲気といったあらゆる要素を包むご店主のお人柄に、飲兵衛たちが惚れているであろうことを、思い浮べるのであった。
いい店だなあぁ。連日連夜の酔いも忘れて、私は早くも軽く感動し、次の酒肴、鶏白レバー醤油煮にまた、心を打たれるのである。
そろそろ、日本酒にも手を伸ばしたい。宗玄、鶴齢、宝剣など、昨今気に入っている酒の名が、品書きにずらりと並んでいるではないか。
しかしまあ、急ぐことはない。じっくりと鶏レバーを味わい、またまた酒肴の品書きを睨み、やはり、ここは素通りできぬと、新秋刀魚のいしる醤油焼き、それから干し桜海老おから煮を注文した。
これが、いずれも、うまいんですなあ。
オカラ煮のほうは、桜海老の香ばしさが、そんじょそこらのオカラ料理と違うのだと明確に主張をしているようだし、いしる醤油焼きの秋刀魚も肉が厚く、身がしっかりしているからこそ、いしるの香りにも十分に伍していくことができているのだと思わせられた。
■地元にこんな一軒があったなら
うまいですねえ……。
たまらんですな……。
編集Hさんと言葉を交わしていると、カメラのSさんがひと言。
今日は、車じゃないですから……。
そうだったのか! もう、撮影のあれこれは、だいたい済んだのかい? え? 済んだ? じゃ、じゃ、飲もうじゃないの!
さあて、とばかりにSさんにラガーを頼み、私は、失礼をして、日本酒にも手をつける。
この、いしるの秋刀魚には、開運の燗酒にした。
「二斗樽で買って、瓶づめしてから、近くの酒屋さんに預かってもらっているんですよ」
嬉しいねえ。私は樽酒がけっこう好きなんだ。樽香の移った清酒の燗をちびりとやり、オカラ煮や、さらにHさんが追加した丸茄子の揚げだしや身欠きニシン焼きなどをつまみながら、ビールもいただく。この塩梅がなんとも言えない。
その後、店は徐々にではあるが、確実に混んできて、やがて満席になった。ご主人の手元の動きにはまったく澱みがなく、無駄口をきかず、ひたすら、準備したうまい酒肴と、酒を出す。
カウンターにお集まりのお客さんたちも、なんとも愉快そうな表情である。この晩は土曜日だったのだが、みなさん、お近くの常連さんだろうか。住む町にこんな一軒があったなら、週末に席を取りたいと願うのは当然のことだろう。
少しずつ寒くなるこの季節に、こんなに温かくておしいい酒場に憩えるのは、なによりの褒美というものだ。
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行