サッポロラガービール「赤星」を訪ねて歩く赤星100軒マラソン。連載90回、91回と名古屋老舗シリーズをお送りしてきましたが、今回がその第3弾です。訪ねたのは「八幡屋」という一軒。昭和29年創業の、とんやきと串カツ、そして赤味噌仕立てのおでんで知られた店です。
名駅2丁目という住所が示す通り、名古屋駅から徒歩10分ほどの場所にある。かつて流れていた笈瀬川は、今は暗渠だが、暗渠の上は笈瀬川筋と呼ばれる通りになって、その名を残している。駅からぶらぶら歩けば、知らず知らずのうちに飲み屋が並ぶその筋に入り込んでいるという寸法だ。
土曜は午後4時、平日は5時が開店時刻。私たち赤星100軒マラソン取材隊は、少しだけお話を伺うために、平日の4時半にお邪魔しました。
開店寸前まで続く仕込み作業
「いらっしゃいませ!」
大きな声と明るい笑顔で迎えてくださったのは3代目ご主人の前田薫比古さんです。昭和40年のお生れで、今年59歳。先代であるお父様が急逝されたために、32歳のときに店を継いだそうです。以来、27年にわたって店を切り盛りし、創業70年の老舗酒場に育て上げてきました。
「私の代になってからメニューに加えたのは、おでんの厚揚げくらいですね。あとは、昔のまま。おでんの出汁も継ぎ足し継ぎ足し。味噌を入れたらその分量に合わせてザラメを入れる。酒は入れません。ホルモンから出汁も出ますしね」
そう話しながらもご主人は、一瞬たりとも手を止めない。夜営業の開店まで30分を残すばかりとなった段階だか、まだ仕込みは終わっていないのだ。
新鮮なレバーの入ったバットから左手でレバーを取り、右手に持った串を打っていく。手さばきは驚くほど鮮やかで、思わず見とれてしまう。ご主人は仕込みのために、毎朝8時には店に出てくるそうです。
「毎日、毎日、店を開ける寸前まで仕込みですよ。ランチ営業の後もまた仕込みです。この店が今まで続いてきたのは、冷凍ものを使わず生のモツや肉を使ってきたからだと思っています。特に内臓系は、業者の方も3代目で私も3代目。長い付き合いをさせてもらっていて、とても新鮮な内臓を納めてもらえる。
その日の朝に潰したばかりの内臓を直接納品してもらっているので、レバーだって臭みがまったくないですよ。うちでは、これが当たり前のことで、代々同じことをやっている。店が今まで続いたのは、冷凍ものを一切使わず創業以来のやり方を変えていないからです」
レバーの串打ちを続けながらご主人は事もなげに話します。巷のモツ好きが聞いたらたちまち涎を垂らすような内輪話。それが、店の骨格をなす哲学でもあることに、感動せざるを得ないでしょう。かく言う私もモツには目がないひとりです。
店内の壁にはメニューがぶら下がっています。串カツ、とん焼き、肝焼き、肝唐揚げ、どて煮、ネギマ、心臓、それからおでん各種。ちなみに串カツは、ソース、味噌、タレ、塩コショウの4種類の味を選択できるという。
とん焼きとは何でしょうか。ご主人に伺いました。
「小腸です。肝焼きはレバー。ほかに心臓とネギマがあります。小腸は生のものをボイルしてからカットして串を打ちます。それを味噌で煮たのがどて煮ですね。串カツとネギマの肉は、豚のもも肉です」
なるほど。関東とも関西とも違う名古屋独特の串焼き。早く1本を口にしてみたいと気が急いてくる。店舗入口付近の厨房では、焼き台に炭が赤々と熾され、とろりとしたおでん鍋の表面からは湯気が立ち上っている。
ふと見れば、ご主人がレバーの串打ちのラストスパートに入った隣のテーブルで、女性スタッフが豚肉と葱に串を打っている。そう、これがネギマである。この女性の手さばきがまた、ご主人に劣らず、素晴らしいのである。
私の目線に気づいたご主人が教えてくれます。
「彼女はパートさんなんですが、もう35年も働いてくれています。こういうスタッフに恵まれてなんとかやってこられました。今後は、いつかは彼に、いいバトンを渡したいと思っているんですよ」
そう言って眺めやった先にいたのは、男性のスタッフ。ご主人が一平ちゃんと呼ぶその人は、忙しい手をとめて、話してくれます。
「中西一平といいます。私は16歳からここでアルバイトを始めて、大学卒業までお世話になりました。それから一旦社会へ出て、2年間は酒販店で働き、また戻ってきました」
一平さんは現在35歳。ご主人には3人の娘さんがいらっしゃるそうですが、娘さんたちも一平さんなら後を任せられると賛成しているそうです。
こちらを訪ねてからまだ25分くらいしか経ってないのに、立て続けにいいお話を伺うことができて、酒場ライター冥利に尽きます。
ため息が出るような底深い味わい
「お疲れ様でした」
さっきまでネギマの串打ちをしていたパートさんが退勤の挨拶をして店を出て行った。腕時計を見ると、4時59分。神業だ、と驚く間もなく、店は開店したのです。私も大急ぎでカウンター席につき、ひと声発しました。
「赤星ください。それから、とん焼き、肝焼き、串カツにどて煮、お願いします!」
店の外で待っていたお客さん8人ほどがどっと店内へ入って来た。カウンターの奥の、さっきまで私がご主人のお話など伺っていたエリアにはテーブル席が配され、店舗入口からすぐ左に入るとお座敷もある。
店はみるみるうちに混んでいき、予約で押さえられている座敷の席を覗くと、店内いっぱいになるのに、そう時間はかからないのだった。
タレにからんだとん焼きは、噛みしめるほどに味が染む。肝焼きは火の通し方もほどよく、レバーの鮮度の良さを感じさせる。串カツの衣にしみる味噌ダレが、濃厚で格別なうまさを添えてくる。
それからどて煮。これは、コンニャク、たまご、赤棒と呼ばれるなぜか赤いハンペンなど、他のおでんネタともどもいただく。これぞ名古屋と思わせる豆味噌とザラメの得も言われぬ混淆と、継ぎ足し継ぎ足しの年月が生み出すため息が出るような底深さだ。
気がつくと、私の横で、背の高いアルバイトの兄さんが、テイクアウトの電話注文を受けていた。ひとわたり注文の品を確認してから、彼は最後に、こう言った。
「7時半ですね。お待ちしています。気を付けてお越しください」
この若者が特別なのか。それとも昨今の若者がみなこれほど素晴らしいのか。いや、この店だけに限った話か。私はいろいろ考えてしまうくらいに感激してしまった。気を付けてお越しください……。なかなか言えるもんじゃない。
そしてこの、店に漲る迫力とわくわくする雰囲気。出すものは、串焼きと、味噌おでんと、串カツである。なんともシンプルで、どこにでもありそうな街角のおやつである。それが、これほどまでに舌を喜ばせ、心を浮き立たせるのは、なぜなのか……。
居合わせたお客さんたちに質問して歩きたいような、そんな人懐こい気分にもなってくる。
次々とやってくるお客さんの邪魔にならないよう、この辺で座敷で店の喧噪の一部に溶け込み始めた取材隊たちに私も合流することにした。
食べるのも飲むのも得意という若い世代のこと。串カツなど、ソース、塩、味噌と3種類を頼んで、さかんに赤星を飲む。
いずれきっと100年酒場に
ところで、他のテーブルを見回しても、赤星比率は非常に高いようだ。ご主人に先刻聞いたところでは、ビールの注文の6割方は赤星だという。
わかるような気がする。赤星1本に、串カツ2本、とん焼きと肝焼きはマストとして、おでんひと皿、と飲み食いしていくと、うーん、赤星2本目に突入するのは人情というものだ。それゆえに、赤星比率が高まるのではなないだろうか。
神業によって串に打たれてからまだ1時間くらいしか経っていないネギマに齧りつきながら、そんなことを思い、取材隊が注文した赤星をグラスに注ぐ。
私の横では、取材隊の営業担当者が、ジョッキにアイスを突っ込んだものを飲んでいる。何かと問うと「ガリガリ君チューハイ」だという。
このアイスバーには当たりがあるのだが、実際、当たりが出たらもう1杯サービスするのだそうだ。それを面白がって先だっても4人で10杯注文したグループがあったとか。おもしろいねえ。
しょうもなくて、楽しい。ちなみに、営業担当者によると、「まさにガリガリ君チューハイであってたいへんおいしい」とのことだった。
ああ、うまいなあ、この店……。初めて来た笈瀬川筋の、串焼きと串カツとおでんの店で、東京にはない雰囲気を知った幸運に感謝します。
戦場のような厨房では、ご主人と一平さんがフル稼働で注文をこなしている。オイルショックもバブル崩壊もリーマンショックもコロナ禍も乗り切って70年続いたこの店は、一平さんの時代にきっと100年酒場になるのでしょう。
そのときも、今と変わらぬ哲学を、貫いていてほしい。そんなことを思って、赤星をもう1本、いただくことにしました。
(※2024年5月21日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行