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浦和に、いい店を見つけました。当企画の編集Hさんが浦和を探索する中で目をつけていたお店です。一軒家の、ちょっと風情のある、居酒屋と割烹の間といいましょうか。私としてはやや高級な感じのする酒場。店名を「わたや」といいます。
浦和駅から歩いて10分ほどでしょうか。初めて訪ねた私は地図を頼りにこの道でいいのかなと訝りながら歩きました。というのも、店は、繁華街から住宅街へと入っていったところにあったから、少しばかり戸惑ったわけです。でも、周囲は静かだし、落ち着いている。
店内は広々として、右手にカウンター席があり、その中は広い調理場で、左手から奥にはテーブルが配してある。贅沢なのは、お庭です。たくさんの鉢植えがあるなァと眺め渡していると、盆栽の鉢がいくつもあることに気づきました。聞けば、ご主人の坂本渉さんのご趣味とのことです。
こういう手間暇のかかる趣味をお持ちの方というのは、何事につけ勉強家であり、工夫をせずにはいられない方であることが多い。私は、それだけでちょっと得をした気分になるのです。
■BGMの沖縄音楽を聴きながら
さっそくビールを頼むのですが、ご主人が用意するのは赤星。サッポロラガービールです。
「私も、どこへ飲みに行ってもビールはこれなんですよ。飲みやすいし、うまみがあるし」
そう。その通りですね。私もそう思う。
そこで1本。まずは、シュポンと抜いていただきまして、最初の1杯を流し込む。この喉越し。苦すぎない、この味わい、丸み。うまいですね、赤星。
「お通しもお出ししますが、ほかに前菜的なものだと、いま、猪苗代湖の、とてもいいじゅん菜があるんです。さっぱりとして、いいと思います」
「それ、いただきます」
編集Hさんは、品書きにあった、ゴーヤの佃煮という一品に気を引かれた模様です。たしかに、これはいったい、どういったものなのか気になる。
「ゴーヤとじゃことかつお節とゴマを混ぜて、甘く煮てあるんです。ゴーヤの苦みもあまり感じませんよ」
なるほど。酒のつまみに、実にうまそうな品ですな。私たちは、さらに山形県産のダダ茶豆を注文いたしました。
お通しが運ばれてきた。イワシの梅煮、ゴーヤとツナのサラダ、バイ貝煮の3点です。
左側から箸をつける。ふわりとした食感のイワシのうまみ、煮汁のうまさ、ほのかな梅の風味、そういうものがすっきりと大人しく、端正に、お互いを尊重しながらほほ笑んでいるような感じ。何がいいたいかって、このひと口にも、混然一体となってこそのうまさが沁み込んでいるということです。
そして真ん中のゴーヤとツナのサラダ。ゴーヤの苦みとツナが酸味を伴って口中を爽やかにしてくれる。右はバイ貝。噛むと染み出すこのうまみだ。ビールにも、焼酎や日本酒にも、なんにでも合う。
本日のBGMは沖縄音楽のようだ。さっきから、耳に心地いい音の風景だなあと思っていて、ふと気づいたら、沖縄のアーティストの曲が多い。なんでも、坂本さんは石垣島がたいへんお好きなのだという。
私も、石垣、伊良部、宮古、与那国に立ち寄ったことがありますが、沖縄の離島はとても魅力的で、一度行ったら忘れない。そのまま暮らしてしまいたくなる。散歩をしているだけでうまい酒を飲んでいるかのように心地いい気分にさせてくれる、数少ない土地のひとつだと思っています。
奥様(いや、女将さんと呼ぶべきか)の泰子さんが、次なる品を出してくれた。
「アメーラトマトとじゅん菜の柑橘酢です。トマトは軽井沢でつくっているもので、私たちも農園まで出かけて直接買い付けたりしています。それと、じゅん菜は、福島県の猪苗代湖のものです」
これが、うまかった。じゅん菜にはゼラチンのような独特のぬめりがたっぷり。つるつると食感もよく、酸っぱさが強すぎない。
ちょうど今くらいの時期に、淡水の沼で採れるのがじゅん菜だ。しょっちゅう口にする食材ではないのだけれど、甘みの豊富なアメーラトマトと合わせ、しかもほどよい酸の柑橘を使って和洋折衷の酢の物に仕上げているあたり、にくいではありませんか。
さらに心にくいのは、奥様がサービスしてくれたラッキョウなのだ。
「酢醤油に漬けただけですけれど、よろしかったら」
大振りのラッキョウの食感もいいし、酢醤油の塩梅もすばらしい。コリコリと齧りながら、折よくでてきたダダ茶豆の熱々のところを口へ放り込む。すると、ふくよかな香りと深い甘みが、ラッキョウの酢醤油漬けにもまた、実によく合うのです。
■自宅近くにあれば間違いなく通うのに
眺め渡せば、目の前が、とても健康的な光景になっています。魚と野菜ばかりで、油ものもない。けれど、ビールはよく進む。
モツ焼きやこてこての煮込み、さらには分厚いハムカツなどでビールをぐいぐいやるのも楽しい。けれど、酒飲み生活40年、胃腸も肝もかなり大人びてきた私などにはやはり、いわゆる日本的な、やさしい酒肴尽くしというのが、なんともありがたい夜がある。それに、この店の場合は品数が多いから、毎日来ても、おそらく飽きない。そう思えばまた、嬉しくなる。
それは酒のほうも同じことで、品書きにあるものだけでなく、冷蔵庫には、その時期おいしい地酒が何種類か揃えられている。見るからにうまそうな銘柄ばかり。これなら、毎日来ても、おそらく飽きない。
私が頼んだのは、夏綿純米酒、山田錦だ。宮城県一迫にある金の井酒造の酒で、いかにも清涼な飲み口、ガラスの盃を空けるなり、ホッとした気分になれた。
「うちの大将の出汁巻きはおいしいですよ」
と奥様も積極的に勧めてくださった出汁巻き玉子がやってきた。
見た目にはごくノーマルな一品だが、口に含むとふわりと浮かぶように軽く、出汁の風味も風にのって追いかけてくるような軽さ、心地よさ……。
「うんまいねえ!」
「うまいっすね」
かわす言葉のシンプルさを文学的素養の不足と謗るなかれ。こんなひと言がウソ偽りなく、なんの気遣いもなく、スッと出る出汁巻き玉子である。そうご理解をいただきたい。
お通しに箸をつけたときから想像していたことだけれど、何を食べてもうまい。私はそのことだけで無性に嬉しいのだが、我が家から通うとなると、片道1時間以上をかけての長丁場となる。悩ましい。自宅近くにあれば間違いなく通う。実際、こちらのような店は、我が家の近くにはない。
さて、どうする……。
冷酒を啜り、ダダ茶豆に手をのばし、出汁巻き玉子のひときれを口に入れつつ、考える。
ああ、そうか。南関東競馬の浦和開催時には、私はちょいちょい浦和にいるではないか。たしか、9月にも10月にも、浦和競馬場開催の競馬はある。昼間、競馬場に遊び、夜はこちらで、赤星ナイト。旬の酒肴と極旨の冷酒なども楽しむ……。
そんな思いを巡らせるならば、我が幸福感はさらに高まっていくのです。
奥様が毎年漬けるというお手製の梅酒と、よく漬かった立派なサイズの梅をいただきます。
甘みを抑えて飲むならソーダ割りがお勧めということでしたが、あえて、オンザロックにします。そのほうが、梅酒本来のうまみがより強く感じられると思うから。それと、梅を漬けた酒が黒糖焼酎と聞いてはやはり、オンザロックで氷の解けかかる際のところを味わいたいとも思うのです。
この梅酒も梅も、ただものではありません。
煮卵のように大きい梅をかじり、幸せな香りに酔っていると、気がつけば店は、ひとり客、ふたり連れの客で、混み始める。まだ、夕方である。
カウンターのお客さんは見るからに常連さんだし、私たちの背後のテーブル席のお客さんたちは、評判を聞きつけてやってきた方々のようでもある。カップルの席からは、料理が運ばれるたびに、「おいしい」という言葉が漏れ聞こえてくる。
■3人のオジサンが、無言で…
鮎の一夜干しがきた。ご主人が勧めてくれた一品だ。ちょうどいいサイズの鮎を開いて一夜干しにしたものを、焼いてくれたのである。
ああ! うまい! 頭からバリバリと噛み、その旨みを逃さずにすべて味わいつくす。この季節に喰わなきゃ嘘なんだよな、やはり。と改めて思う、一夜干しの有難さ。旨みがギュッと締まって、酒の肴として、文句のつけようがない。
私は、また、お代わりを考える。ビール、日本酒、梅酒ときたから、次は、ずばり焼酎だ。
「長雲 一番橋をください」
Hさんが写真のSさんの分も入れて3人前のアジのフライを頼んだとの同時でした。この店のアジフライだよ? うまくないわけがないよ。そういう了解が3人の間に成立し、迷わずに頼んだのでした。
「長雲 一番橋」というのは、奄美大島の黒糖焼酎。これは好きな銘柄です。器は石垣焼だ。底面はガラスの成分を釉薬に加えて仕上げているので、石垣ブルーと言われる南洋の深く澄んだ海の色をしているのだと、奥様が教えてくれた。
そしてアジフライ。サクサクのフワフワ。ソースでよし、醤油でよし。とにかく熱いうちに食べるべし。Hさん、Sさん、そして私の3人のオジサンが、無言で貪り食う恰好になった。
いやあ、楽しいな。店は、先代が始めてから10年。現在の店主が継いでからでもまだ7年と比較的新しい。夕方から夜にかけて浦和を通りかかるなから、ぜひともこちらを思い出し、電話1本入れて席を確保してから、ゆるりお出かけいただきたい。
(※2022年8月5日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行